かなりめんどくさいダムの殺人 I

 

「わ、忘れるわけないじゃん~っ」

という晶生の声を聞いて、こいつ、忘れてたな、と沐生は思った。


 どうやら、今朝のダムの殺人事件の話をしているようだった。

 晶生の友人がやはり、容疑者のひとりとなったようだ。


 なにやら物騒な会話が展開しているが、この家の人間はみな、聞かぬふりをしている。


 生来の性格のせいか。

 自分たちの事件のせいかな、と思いながら、沐生は晶生の父親と共に、ナンプレをやっていた。





 深夜、沐生はそっと晶生の部屋の障子を開けてみる。

 鍵がないというのは、物騒なものだな、と自分で思いながら。


 障子から差し込む柔らかな月明かりに照らされ、晶生は気持ち良さそうに眠っていた。


 そうしていると、最初に会った頃と変わらない無邪気な顔立ちに見えるのに。


 障子を閉め、晶生の側に腰掛けた沐生は、その顔を眺める。


 こいつがこんな風になってしまったのは、俺のせいだろうな。


 ……たぶん。

 いや、もともとの性格も大きいと思うが。


 などと考えていると、人の気配を感じてか、晶生が目を覚ました。


 一瞬、迷い、

「ああ……沐生。


 ごめん。

 霊かと思った」

と失敬なことを言う。


「ときどき、目を覚ますと、勝手に私の上に霊が乗ってるから」


 俺は今、乗ってない、と言ったあとで、

「生霊じゃないのか。

 真田か……」

と言いかけ、言葉を止める。


 真田か、堺の、と思ったが、堺の方はなんだか笑いの種には出来なくて黙った。


 晶生と堺のことに関しては、なにか恐ろしくて突っ込んで訊けない部分がある。


 本当にお前、今、霊と間違えたのか? と訊きたくなる。


「生霊か……」

と呟き、晶生はなにやら考え込んでいる。


「で?」

「は?」


「オトモダチのダムの殺人はどうなった?」


「ああ、そうそう。

 犯人を見つけてくれと言われたのよ」

と言う晶生に眉をひそめる。


「そんなことは警察に頼め」


「……いまいち当てにならなさそうだから、私に言ってんじゃない?

 凛は知ってるから」


「なにを?」

と訊いたが、晶生は、いや、別に、と言い、小さく欠伸をした。


 此処に殺人犯が野放しになってることをか、と思ったが言わなかった。


「大抵のことに関しては、日本の警察は優秀だ。

 任せておけ」

と言ったのだが、


「本気で言ってる?」

と晶生は笑う。


 何処か皮肉な笑みだった。


 本当に警察が優秀だったら、今、自分たちが、こんなことにはなっていないし。

 また、その後、自分たちが捕まらないでいることもなかったはずだ。


「だからね、明日……」

 なにか言いかけた晶生の唇を塞ぐ。


 晶生は逃げずにそれを受けていた。

 少しして、離れ、沐生は言った。


「堺さん、また、お前のところに行ったろう」


「……来たわね」

「なにしに来た?」


「別に、私に会いに来たんじゃないのかも。

 遠藤に会いに来たんだったのかもしれないわ」


「また、あそこに行ったのか」

とつい、責めるように言ってしまう。


 霊にまでやきもちを妬く、心の狭い男だと思われただろうが。


 ああいう霊には近づいて欲しくないと思っていた。


 あの世とこの世の境に居るような晶生があちらの世界に引っ張られそうで嫌だったから。


 晶生から見れば、自分の方が生きているのか死んでいるのかわからない感じなのかもしれないが。


 自分から家を出ておいてなんだが、こちらに帰ってきたいと思ってしまう。


 ずっと晶生を見張っていたい。


 それか晶生がうちに来るとか。


 いや、それは晶生のご両親に対してまずい、と思ったとき、足音がした。


 廊下を誰かが歩いている。

 晶生は沐生の胸に顔を寄せ、じっとしていた。


 いやいやいや、お前、その体勢の方が見つかったとき、まずいだろう、と思ったが、ちょっと嬉しかった。


 障子に晶生の父親らしき人影が映る。


 それはぎしりぎしりと足音を立てながら、東側へと移動していった。


 完全に気配が消えたあとで、ぼそりと晶生が言う。


「あれ、お父さんじゃなかったら、ホラーよね」


「お父さんで、障子を開けられる方がホラーだ」

と言うと、晶生は笑った。


 ずっとこうしていたい気もするが、晶生から離れようと決心したのは自分だ。


 そうしなければ、晶生がいつまでも、思い出したくない過去にとらわれてしまうから。


 なのに――。


 晶生の小さく白い顔がすぐそこで、自分を見上げている。


 愛らしい黒い瞳に自分の顔が映っていた。


 堺さんが悪い。

 あの人が、晶生の周りをちょろちょろするから。


 少し距離をおいて見守るなんて余裕のあることが出来なくなってしまうから。


 そう言い訳しながら、晶生の頬に触れ、もう一度、その唇に触れてみた。


「……沐生が居ると、現われないの」


 そう、今はなにも居ないベッドの上を見ながら、晶生は言う。

 なにが、とは聞かなかった。


「そうか」

とだけ言い、そのまま後はなにも言わなかった。



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