空き家の怨霊 V
本当はさっきから聞いていた。
沐生は自分の足首を掴む女に向かって微笑みかける堺を見ていた。
そうしていると、いつもの中性的な感じは消え、大人の男にしか見えない。
珍しくイラついている自分に気づく。
堺が晶生をかばったことも、二人で此処に居たことも。
そして、なにより、晶生のあの一言が気になっていた。
『堺さん、貴方は本気のときは、そんな言葉遣いは……』
あれは、本気の状態の堺を知っているからこそ出た言葉ではないのか。
だいたい、怪しいんだよ、お前ら、と二人を見ていた。
二対一で向き合っているような今の状況も気に入らない。
昔からこんな感じなのに、なんで、堺は俺のマネージャーをやってるんだ、と思っていた。
いや、仕事の上では信頼している。
有能なマネージャーだし。
誰にも代わりはできないと思っているが。
堺が自分のマネージメントをしたいと言い出したことがまずわからない、と思っていた。
だが……。
「……この女、いや、この人はお前の身内なんだな?」
今、自分にとり憑いている女の顔は堺によく似ていた。
「そう。
僕の姉だよ、美由紀。
七年前に行方不明になった」
行方不明? と沐生は彼を見る。
堺の側に立つ晶生もまた、窺うように、彼を見ている。
『見ていたくせに』
というあの美由紀の言葉。
「……俺はなにを見たんだ?
お前が俺についているのはそれでだろう」
「憑いてるとか人聞き悪いね。
僕は霊じゃない」
と堺は笑う。
「やっぱり、お前は気づいてなかったんだね。
自分がなにを見たのか」
堺は足許にあった先程の大きなガラス片を取ると、晶生を抱き寄せる。
その喉許にそれを当てた。
晶生が堺を見上げるが、特に暴れたりはしなかった。
「お前は此処で美由紀が殺されるのを見たんだよ。
午後二時。
撮影はこの近くに新しくできたばかりだった公園で、もう始まっていた。
そのとき、参加していたのは、お前、晶生、日向、汀、そして、僕だ。
次の仕事があったから、僕は少し早めに撮影を切り上げ、移動することになってた。
母が此処に来て待っててくれるはずだったんだけど、ちょうどついでがあるからと、美由紀が迎えに来てくれていた。
ところが、この人気のない空き家は、犯罪を行うのに絶好の場所だった。
美由紀には前から困ったストーカーが居てね。
この日も美由紀をつけていた。
美由紀が入ったこの家に、今はスタッフも誰も居ないと知った男は、美由紀の頭を殴打し、此処で殺してしまった。
僕はそれから少し遅れて、此処に戻ってきた。
そしたら、お前が出てきたんだ。
なんで、此処に居るんだ? と僕は聞いた。
まだ、お前の撮影は終わってなかったからな。
忘れ物を取りに来た、とお前は言った。
外の道に、姉の車が止まっていたから、誰か中に居なかったか、と聞いたが、お前は知らない男が居ただけだと言った。
僕が中に入ると、そこの北側の間で姉は死んでいた。
襖は全部開け放たれていて、窓も開いていた。
姉を殺した人間が何処から逃げたのか知らないが、あとで母親に聞いた姉が出かけた時間と、スタッフから聞き出したお前が忘れ物を取りに戻った時間から行って、お前が犯行を見ていないはずはない。
いや、犯行は見ていないにしても、倒れて死んでいる姉を見ていないはずはなかった。
お前が何故、自分の見たものを黙っているのかわからなかったが、訊いてみるわけにもいかなかった」
「……お姉さんが死んでることを誰にも知られたくなかったから?」
とそっと晶生が堺に訊いた。
「そうだよ、晶生。
美由紀は失踪してるんだ。
死んではいない」
と堺は笑う。
「そんなこと、お姉さんは望んでなかったのに、とは私は言わないわ」
そう晶生は言い出した。
『そんなこと』がなんなのかは言わなかったが、もう自分にも晶生にもわかっていた。
堺の姉を殺した男はもう生きてはいないはずだ。
「よくやってくれた、ありがとうって思ってるかもしれない。
でも」
と堺の顔を見上げて言う。
「そうやって、貴方たち家族が苦しんでるのは見たくないと思うの」
ねえ、と晶生は女の霊を見たようだが、女はこちらの会話にも弟にも気づかずに、ぶつぶつ言いながら、自分の足を掴んでいる。
まあ、霊なんてこんなものだ、と思った。
生きている人間は、死んだ魂がこう思っているのではないか、ああ思っているのではないかと、いろいろと考察しているが、実際のところ、こうして、死ぬ間際に思ったことをそのまま繰り返し思っているだけの霊も多い。
だから、今のこの姉の状態が見えている堺に対して、晶生の言葉もあまり説得力がないような気がした。
「堺さんにこの家の霊が見えなかったのは、此処であったことを思い出したくないから。
そして、自分を迎えに来たために殺されてしまったお姉さんの姿が申し訳なくて見られないから」
そう。
なのに、晶生が居ると見えるのは、堺が晶生という存在にすがっているからだ。
口ではいろいろと言ってはいるが、堺は心の中では、子供の晶生に頼っているのだ。
「どうやら、なにもかも僕の自己満足のようだね」
と堺は苦笑する。
「どうしようかな、これから。
晶生を連れて逃げるとか?」
少し楽しそうに言う。
堺の意外にがっしりとした腕に抱きすくめられている晶生は、いやいや、ないでしょう、と呟く。
「何処にも逃げなくても、どうせ、誰も喋らないし。
堺さん、そうお母様にもお伝えください」
晶生のその言葉に、ガラス片を掴む堺の手がぴくりと震える。
「後から駆けつけて事件を知ったお母さんが犯人の男を殺されたんですね。
その男の死体を隠し、美由紀さんの死体も隠した。
お姉さんは失踪しただけ、殺されてはいない。
なにも事件は起こってないわけですから、お母さんにはその男を殺す動機も理由もない。
男が消えたことも堺さんのお母さんには関係ない。
たぶんですが、沐生には、お姉さんが殺されるところも、その死体も見えてなかったんですよ。
此処、私はいまいち波長が合わないみたいなんですが、男の霊が居るようです。
事件が起こったのは、七年前。
その頃には、我々は、生者と死者の区別がつかなくなっていました。
沐生は中には男だけが居た、と言っていました。
沐生が見たのは、犯人ではなく、その悪霊です。
恐らく、その霊の陰になって、倒れていたお姉さんが見えなかったんでしょう。
だけど、お姉さんの方はまだ意識があった。
だから、死にかけている自分を無視して出て行った沐生に対して、見ていたくせに、おのれ〜っ、と思っていたわけです」
こちらが喋るまでもなく、晶生は見ていたようにその場の状況を語ってくれる。
恐らく、彼女の言う通りだ。
今更問われても、よく覚えてはいないのだが。
覚えていないのは、それが、スタッフの一人が空き家に残っているという、ごく普通の光景にしか見えなかったからだ。
「訊いてみればよかったのに」
と晶生は堺に言った。
「沐生になにを言ったところで警察にはなにも喋りませんよ。
その理由は貴方はご存知でしょう?」
「……なんで、殺したのが僕じゃなく、母親だってわかった?」
その問いに、晶生は笑って言った。
「目が違うからですよ。
私たちとは」
その理由も晶生は言わなかった。
沐生は目を閉じる。
「そうか。
仕事をやめてまで、マネージャーになって、沐生を見張る必要はなかったってことだね」
自分がなにかをあそこで見ていたのなら、いつかそのことに気づいて、喋るんじゃないかと堺は思っていたようだった。
「私、堺さん、結構好きでしたよ。
芝居やってるときも、モデルやってるときも。
ぜひ、復帰されてください」
と晶生は言ったが、晶生の喉許にガラスを当てたまま考えていた堺は、
「いや、もういいや」
と言った。
「今の仕事が気に入ってるんだ。
気がついたら、ぼんやりして、次の仕事に行くのを忘れてる役者を叱りとばすのも嫌いじゃないし」
俺のことか、と沐生は、いつも自分を怒鳴りつけるマネージャーを見る。
「じゃあ、晶生から手を離せ」
と言うと、
「いや」
と言う。
「なんでだ」
「いい匂いがするから」
と言い、晶生を抱き締めると、そのつむじに鼻先をやり、嫌がられていた。
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