過去 IV
「戻るもなにも、私は元モデルですよ。
役者業はほとんどやってませんよ」
「ほとんどやってないその演技が、ずっと目に焼き付いている」
と汀は背を預けたまま、目を閉じる。
「幼くして、人を殺した子供の役。
よくあの監督、素人同然のお前に振ったなと思っていたんだが」
鬼気迫る迫力があった、と言う。
いや、そりゃあ、あるだろ、と思いながら聞いていた。
役者はおのれの引き出しを開けて、他人に見せる職業。
こんなに開けやすい引き出しもなかった。
あれを見て役者として凄いと言われても喜べないし、その他の役をそんな風に演じられる自信もない。
「沐生が役者になったのは、あれを間近に見たからじゃないかと思うんだ」
「え?」
「とり憑かれたようにあのとき見てたからな」
沐生もあのとき、スタジオに居た。
だからやりたくなかったのだが。
「……その話が本当なら、私は自分で沐生を遠ざけてしまったわけですね」
と少し笑って呟く。
役者業を再開するとき、家族に迷惑をかけたくないという理由で、沐生は家を出て行った。
「まあ、俺的にはその方がいいんだが。
ああ、沐生が役者に専念してくれるという意味でな」
そこまでまた料理が来たので、汀は黙る。
「ところで、昼間の霊が出る家な。
いつか見たことがあると思ったんだが。
そういえば、あの近くで撮影したことがあったよな」
「え? そうでしたっけ?」
「あのとき、控え室みたいな感じで、あそこを借りてたことがあったじゃないか。
お前もあのとき居ただろう」
「そうでしたっけ?」
忘れたな、と思っていると、
「お前はなんでもすぐ忘れるからな」
と不満げに言われる。
「玄関入ってすぐ、古臭いトイレがあったろう」
「ああ、女の子の霊が居るとこ」
と言うと、汀は嫌な顔を出すする。
「あの昔風のトイレが印象に残ってて、覚えてたんだ。
当時は霊が出るなんて話なかったぞ」
「うーん。
よく思い出せないんですが。
特に霊を見た記憶もないってことは、どの霊もそのときは、居なかったのかもしれませんね。
あそこ、空き家なんですか?」
「普段はな。
だが、盆や正月には町から帰ってきた親族が集まるそうだ」
仏壇があったと笹井が言っていたから、親の位牌などはそこに置いておいて、子供たちが帰ってくるのかもしれないと思った。
「あそこ、なにが居たんだ?」
「わからないです。
外には、例のなにかの理由で無念の死を遂げたらしい女の人が這っていて。
中には女の子の霊と、もうひとり、男の霊が。
女の子の霊もあまりよくなかったですが、そんなに力が強かったわけではないし。
あの這う女の人の霊の方が念が強いように見えましたね。
あの子が彼女が恐れていた霊だとは思えないので、よく見えなかった男の霊の方が、彼女の言う悪霊かも」
「まあもう、俺たちには関わり合いのないことだがな」
「……そうですね」
と浮かない顔をした晶生に、
「なにかあるのか」
と訊いてくる。
「ところで、あそこを使ったのって、沐生のお父さんの事件より前でしたっけ?
後でしたっけ?」
と言うと、それもなにか関係あるのか、と言う。
あの事件より前なら、私にも沐生にも、そう霊の姿は見えていなかったかもしれないが、と思ったが、
「後だったろ、確か」
と言ってくる。
ああ、そうだ、と汀は笑った。
「笹井さんがお前たちに感謝していると伝えてくれと言ってたぞ」
「でも、もう手助けはしませんよと言っておいてください」
そして、ああ、と付け加えた。
「沐生が、笹井さんは仏教系より、神道系の力を借りる方が合っている、と言ってましたよ」
わかったわかった、とその辺の話には興味なさそうに、汀は言った。
食事のあと、外に出ると、汀が、
「俺はまだ仕事がある。
タクシーで帰れ」
と五千円くれた。
「最近もらったなかで、一番多いです。
みんな、お小遣いくれるって言ったら、千円か二千円ですよ」
と言うと、
「それ、お前の値段じゃないのか?」
と言ってくる。
「……なんでそんなに安いんですか」
と言うと、汀は笑って、
「沐生のお古だから」
と言う。
おいおい。
「いりませんよー、お金」
「いいからそれ持って乗って帰れ。
送ってやれないから」
じゃあな、と汀は晶生をタクシーに押し込み、住所を告げると、自分は違うタクシーに乗って行ってしまった。
結局、なんの用だったんだと思ったが。
まあ、たまにはああして、昔の知り合いと話したいのかなと思う。
社長でない頃の自分を知る人間と。
晶生は少し走って、汀のタクシーが見えなくなったところで、運転手に行き先の変更を告げた。
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