過去 III



 ビルとビルの間の狭い通りに、そのドアはあった。


 くすんだ水色の木製のドア。

 その小さな入り口に、店の名前が小さく書いてあるだけなので、なるほど、見過ごしてしまいそうだ、と晶生は思った。


 人気の店らしいので、店の中の方が人目につかないだろうかと心配したが、個室だった。


 なるほど。

 此処ならゆっくり話せるかもしれない。


 それにしても、一体、なんの話だ、と思う。


 茶色と白で統一された落ち着いた部屋。

 テーブルも椅子も、片隅に置かれたローボードもアンティークで小洒落ていた。


「よく雑誌に、『隠れ家 レストラン』とか、『隠れ家 カフェ』とか広告出してあるの見ると、隠れてないじゃんって思うんですが、此処は本当に隠れてる感じですね」

と言うと、


「……此処は隠れ家にと作ったわけじゃなくて、単にわかりにくいんだろ。

 おい、料理は勝手に頼むぞ」

とこちらの意見も聞かずに、汀はさっさと頼んでしまう。


「おかしな遠慮をされてもめんどくさいしな」

と言う彼は、高いコースを頼んでくれたようだった。


 前菜も来ないうちに、

「沐生のことで話があるってなんですか?」

と訊くと、いきなり核心に迫るな、という顔をする。


「なにか嫌な話でもされたら嫌だなあ、と思いながら食べたら、味がわからないじゃないですか。

 美味しいものはゆっくり味わいたいです」

と言うと、


「いや、先に話して、嫌な思いをしたまま、食べるのもどうだ」

と言ってくるので、


「嫌な話なんですか?」

と確認してみたのだが、そういうわけでもない、と言う。


 だが、汀は渋い顔をしたまま、グラスの水を見ている。


 しばらくして、口を開いた。

「お前、沐生とはどうなってるんだ?」

「え?」


「この間、水沢樹里が婚約したろう。

 お前らもいきなり、結婚するとか言い出さないだろうな」

と言ったあとで、溜息をつき、言う。


「沐生とはこういった話はできないからな。

 あいつ、子供の頃から知ってるのに、全然、腹を割って話そうとかないから」


「まあ、沐生は誰に対してもそうですから、特に社長に対して距離を置いてるわけでもないですよ。


 それから、私はまだ高校生です。

 いきなり結婚とかないですよ。


 っていうか、別に付き合ってるわけでもありません」

と言うと、そうか? と疑わしげに見てくる。


 そこで料理が来たので、しばらく、二人とも黙っていた。


 料理の説明をして去る若い男の店員さんを見ながら、バイトくんかな。


 私たち、どんな関係に見えるんだろうな、と思った。


 お兄ちゃんと妹とか?


 似てないか、と笑うと、

「なにヘラヘラしてるんだ」

といきなり毒舌をかまされる。


 ……社長、いつも通りですね、と思った。


「沐生があんな風になったのは、いつからかな」

「あれ、最初からですよ」


「そうか。

 じゃあ、あの事件が原因というわけでもないんだな」

と言ってくる。


 そして、汀が、あの事件のことを口に出して言ってくるのは初めてだな、と思った。


 まだ自分たちが子供の頃起こった、沐生の両親の横領事件。

 沐生の父親は、当時社長だった汀の祖父の甥のひとりで、若くして、役職に着いていて、母親は経理部に居た。


 突然持ち上がった横領事件。

 額は大きく、沐生の両親は責任をとって、車で海に飛び込んだと言われているが、遺書は自宅にあったが、遺体も車もまだ、見つかってはいない。


 だが、正直、信じられなかった。

 証拠は揃っていたが、あの沐生の父親がそんなことをするなんて。


 汀は長谷川家に近しいうえに、横領された会社の人間となったので、今までそのことを話題に出してくることはなかったのだが。


「煙草いいか?」

と前菜を食べ終わった汀に言われ、


「嫌です。

 と言っても吸いますよね?」

と睨んでやったが、汀は、よくわかってるじゃないか、と言いながら、既に火をつけている。


 社員も大変だろうな、これが社長じゃ、と思い、社員を思い浮かべてみたが、あまり社長の言うことをはいはい、と聞きそうな人材が思い浮かばなかった。


 堺とか。

 女子社員も結構言いたい放題だ。


 そういう風に、社長に意見の出来る人間を選んでいるのだろうなと思う。


 堺など、側で好みでない銘柄の煙草を吸おうものなら、

『やだーっ。

 髪に匂いがつくーっ』

とか言って騒ぎそうだな、と思い、笑ってしまう。


 実は、自分も吸うくせにな、と思った。


 そんなこちらの顔を見ながら、汀が言う。


「本当に沐生なのか?」

「え?」


 お前の相手だよ、と汀は煙草を灰皿に置きながら言う。


 背もたれに背を預け、こちらを見た。


「堺かと思ってた」

と。


「……なんでですか」

と言うと、いやあ、と言ったあとで、


「見たから」

と言う。


 いつ?

 何処で?


 なにをっ? と思う。


 まあ、堺は少々セクハラ気味だが、あの口調なので、なにかお姉さまがふざけて後輩をからかっているようにしか見えないはずなのだが。


「いや、いつだったか。

 堺がお前を慰めてるのを見たんだ」


 なんだ、そんなことか、とほっとすると、

「……今、ほっとしたろう」

と言われた。


 その目つきに、ひいっ、さすが若くして社長になるだけのことはある。

 怖いよ、と思った。


「あの男、ああ見えて、なかなか優しくないのにな」

と言ってくる。


「あの男って言われても、ピンと来ませんね。

 堺さん、女性的ですからね」


 少なくとも、そう振る舞っている、と思い、言うと、

「お前の前でもそうか?」

と窺うように見ながら訊いてきた。


「別に変わらないですよ」

と言うと、


「……この狸め。

 役者に戻る気はないのか」

と言ってくる。

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