懐古ホテル



 青白い月の光を受けた古い瀟洒なホテル。

 相変わらず、入り口の扉は開いていた。


 浮浪者とか住み着かないのか? と思いながら、晶生は中に踏み込んだ。


 花のない大きな花瓶の横から、

「晶生。

 なかなか来なかったじゃないか。


 なにか事件はないのか」

とよく響く声がした気がするが、霊なので、響くはずもない。


「そうそう身近なところでないわよ」

と晶生は眉をひそめる。


 中央の階段を上がり、いつものようにそこに居た遠藤の側に腰掛けた。


 相変わらず、脇腹には血が滲んでいる。


 昼間の話をすると、ほう、と遠藤は興味深そうに言った。

「その這う女とやらは、そんなに美しかったのか」


「そうね、かなり。

 早く生まれ変わった方が、世の中に美女が増えていい気がするんだけど」

と言うと、どんな基準で、転生を判断してるんだ、と言われた。


「しかし、そうか。

 それはちょっと見に行きたい気もするな」

と言う遠藤の腹を見ながら、


「じゃあ、とりあえず、そのナイフ、抜いたら?」

と手を伸ばすと、飛んで逃げる。


「……遠藤、いつ、成仏するの?」

「して欲しいのか」


「いや、したくなったら、すればいいんだけど。

 でも、貴方が居なくなったら、私もつまらなくなるし」

と言うと、遠藤は、


「そうだろう」

と満足そうに言う。


 両の膝で頬杖をついた晶生は、今は霊の気配もないロビーを眺めながら、

「じゃあ、刺したまま、一緒に見に行く?」

と訊いた。


「いや、おそらく此処から動けない気がするよ」

と遠藤が言うので、


「だからさ、そのナイフが貴方をそこに縫い止めてる気がするのよ」

と言うと、


「だが、抜いたら成仏してしまう気がする」

と言う。


「仕方ないなあ。

 私がまた、なにか見聞きしたら教えてあげるわよ」

と言い、立ち上がった。


「晶生」

と呼びかけられ、ん? と振り返る。


「いや、無理するなよ。

 それから……周囲に気をつけろ」


 なんだかわからないまま、遠藤の真剣な顔を見ながら、晶生は、うん、と頷いた。


 二人の後ろ。

 二階の廊下を男の霊が這っていたが、それはまったくこちらを気にする風にもなかった。


 霊というのは、本当にマイペースだ。






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