懐古ホテル I
もう撮影は終わったのだろうか。
廃墟同然のそのホテルには人気がなかった。
だが、鍵は開けっ放しになっていて。
無用心だな、と思いながら、晶生は中に入る。
夕陽が落ち、代わりに上った月が廃墟を照らしていた。
綺麗だな、と思ってロビーの高い位置にあるひび割れた天井を見ていると、
「月はいいねえ」
と遠藤の声がした。
相変わらず、階段で刺されている。
「まるで、私にスポットライトを当ててくれているようだよ」
確かに、ちょうど、窓から差し込む明かりが遠藤を照らしてはいるが。
「そんなにみんなに見られたいなら、廃墟で霊なんかやらずに、もっと違うところに行ったら?
駅前とか」
と言いながら、晶生は側まで行く。
「そうだ。
笹井さんに紹介してもらったらいいじゃない。
みんなが見に来るわ」
「誰だ? 笹井というのは」
ざっくり今日の話をすると、遠藤は、ほほう、と言ったあとで言った。
「犯人はその笹井という男なんだな。
で?
そいつは、なんで、そいつはそんなことをしたんだ?
なんで、お前は、そいつが犯人だとわかったんだ?」
晶生は溜息をつき、側に腰かける。
「遠藤。
少しは自分で考えない?」
「なんで私が探偵まがいのことを。
お前が暇つぶしに、外の話をしに来てくれるだけで、充分だよ」
とまったく考える気はないらしく言った。
「犯人は、何故、トイレットペーパーを解いてたんだ?」
「そこにまずいものが入り込んでたからじゃない?」
「まずいもの?
っていうか、トイレットペーパーに物なんか入り込むのか?」
「普通は入らないわ。
でもさ、あのトイレは、何度も村さんによって、水浸しにされてるの。
その間に、床にトイレットペーパーが落ちてたら?
あそこのは、紙に包まれてるやつじゃなくて、剥き出しのだから。
トイレットペーパーが濡れた床に落ちて、湿って乾く。
そしたら、こう、波々な感じになって隙間が出来るのよ。
今も、数が少ない方のトイレットペーパーが濡れてた。
でも、その隙間なんて、本当に僅かなものよ。
あそこに挟まりそうなもの、いろいろと考えたんだけど。
マイクロフィルムとかね。
でも、例えば、産業スパイとか。
そういう連中は、ひっそり動こうとするから、こんな派手なことをするはずがない。
だけど、なにかヤバイものなのは確かなのよ。
慌てて解こうとしたり、その現場をうっかり見た中岡さんを慌てて突き飛ばしたりしてしまうくらいだから。
そのうっかり隙間とかに入り込んだりして、無くした人間が慌てるものがなんなのか、考えてたんだけど。
コンタクトじゃないかなと思ったの」
「コンタクト?
目に入れるあれか」
「そう。
ハードだったら、よく飛ぶのよ、あれ。
私は見えなくても平気だから、滅多に入れないけどね」
乾燥してたら、瞬きしただけでも飛ぶわ、と晶生は言う。
「それで意外に飛んで、思いがけないところに入り込んじゃったりするのよ」
「犯人はトイレを出ようとして、鍵を開けとき、うっかり、コンタクトが飛んだんじゃないかと思ったの」
「焦るかもしれないが、人を突き飛ばす必要は普通ないな」
「そう。
普通はないわ。
だから、吹き飛ばしたコンタクトを探しているところを見られて焦る人を想像してみたんだけど。
とりあえず、私の知ってる人の中では笹井さんしか浮かばなかった。
ファラオの面を使う、トイレの前のスタジオで撮影していたのも笹井さんたちだったしね」
「盲目の霊能者が、霊を踏み、コンタクトを吹き飛ばしてちゃな」
と遠藤は笑う。
「笹井さん、目が悪いのは本当だと思う。
でも、コンタクトで矯正できる程度のものだった。
だけど、盲目の霊能者の方がそれらしいとか事務所が言って、見えないことにしてるんじゃないの?
なのに、うっかり、コンタクトをつけたまま、局に来て、しかも、トイレで飛ばしてしまった。
使い捨てなら、知らんぷりもしたのかもしれないけど。
ハードは結構高いし、万が一、自分のものだってバレたらと不安になったんでしょう。
まあ、知らん顔して出れば、わかることはないと思うけど、やっぱり動転してたんじゃない?
トイレットペーパーの間に挟まったらしいと気づいた笹井さんは、慌てて取ろうとした。
このとき、他のトイレットペーパーが床に落ちた。
だから、濡れてるトイレットペーパーがあったのよ。
これも濡れた面によっては、また、びよんと広がって乾いちゃうかもね。
笹井さんは、焦って指を突っ込んだけど。そういうのって、指を入れれば入れるほど、隙間が広がって、物が中に落ちていくじゃない。
乾いたコンタクトレンズがどんどん奥に入っていっちゃったんでしょう。
それを必死にそれを解いてるところに、中岡さんがやってきた」
なるほど、と遠藤は言う。
「人はつまらぬことで覚悟もなく、犯罪を犯すものだな」
確かに。
もし、中岡さんが死んでいたら、これは殺人だ。
お気に入りのシュークリームを買っていって、詫びたくらいでは済まない。
「遠藤は、いつも覚悟して悪いことしてたの?」
「当たり前だろう。
自分が繰り返し、罪を犯す人間だという自覚はあった。
だから、家族も持たなかった」
「その、遠藤を刺した人が結婚したいって言ってきたら?」
「しないさ」
そうなの、と頬杖をつくと、
「寂しい人生だろう」
と言う。
「じゃあ、転生したら?」
その寂しい人生に執着していないで、と思ったが、遠藤は、
「今のまま生まれ変わっても、また同じことをするさ」
と言う。
「そんなものかしら」
「そんなものだよ」
「生まれてくる環境が前と違っていても?」
「お前がそんな性格なのは、今の家庭環境がおかしいからか?」
そんな性格ってな、と思いながら、遠藤を見ると、笑っていた。
「近づいたら斬る、くらいの雰囲気があるぞ。
『なにか』が起こる前からそうだったんだろう」
だから、異常時にもすぐ対応出来たんだ、と言う。
「それじゃ、並大抵の男じや近寄れないよな。
お前の前世は、殺し屋か、女詐欺師か」
何故、自分と一緒にする……と思った。
「それとも、傾城の美女か」
遠藤が階段に手をつき、軽く口づけるように顔を寄せてきた。
霊なので、特に逃げなかったが、実際に触れなくとも、気持ち的には同じような感じを受けた。
「……なに企んでるの、遠藤」
と顔が近いままの遠藤に小声で問う。
「今日は、このままもう帰れ、晶生。
お前はつけられている」
振り返るな、と遠藤は言った。
そして、
「ああ、霊じゃないぞ、お前をつけているのは」
と月光の下、そう付け加えて笑う。
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