ファラオの呪い  II

 


 トイレの中にスリッパはなく、そのまま靴で入るようになっているのだが。

 床が水浸しなので、ちょっと嫌だった。


 入り口に少し高くなっているところがあり、そこにマットがあるので、それで拭けばいいか、と晶生は思った。


 ドアは閉まっていたようだが、水が外に溢れ出さなかったのは、それが理由ではないようだった。


 トイレの床が廊下より少し低くなっているからだ。


 トイレットペーパーでよく見えないが、倒れている男も下半分が濡れている。


 血も滲み出してないし、外傷はないかな。

 頭はよく見てみないとわからないけど。


 ハンカチを小器用に使いながら、顔に載せられているだけのマスクを晶生は持ち上げる。


 その瞬間、きゃああああっと悲鳴を上げたのは、樹里だった。


「中岡さんっ」

「えっ?」


 樹里はトイレに駆け込み、中岡の横、タイルの上に座り込もうとする。


「待ってっ。

 そこ、びしょ濡れよ」

と晶生は樹里を引き上げようとしたが、その場に座り込んで、泣き出してしまう。


 口々に野次馬が言葉をもらすのが聞こえた。


「これが水沢樹里の婚約者?」

「やっかみで殺されたんじゃないの?」


 まだ死んでないと思うが、と思いながら、噂通り、爽やかなイケメン風の男を見下ろす。


 気を失っているようだが、特に苦しそうではない。

 そのとき、救急隊員と警察が駆けつけてきた。


「はいっ。近寄らないでくださいっ」

「林田さん」


 見紛うことなき、童顔の男が先頭に立って、やってきた。


 颯爽と入ってきたのだが、その手には何故か、コンビニのビニール袋があった。


「お昼買ってたら、お前、近くなら行けって言われて」


 なるほど、温めたばかりらしいお弁当のいい匂いが現場に充満し、緊張感をなくしている。


 手際よく、救急隊員が中岡を担架に乗せようとし、慌てて、鑑識が現場を写真におさめていた。


 林田についてきた警備員らしき男が、運ばれる中岡の顔を見て、呟く。

「あれ? この顔、何処かで……」


 樹里がぎくりとした顔をしていた。


「すみませんっ。急いでくださいっ」

と樹里は警備員の視界から中岡を隠すように立ち、言う。


 そのとき、ぎゃあああっ、と後ろで悲鳴が上がった。

 美術スタッフらしき男が叫んでいる。


「これっ、今から収録で使うやつですっ」

と黄金のマスクと石板を指差す。


「すみませんが、お返しできません」

と林田が言う。


 うそーっ、と美術スタッフは叫んだ。


「お返しできません」

と林田が無情にも繰り返す。


 権力行使のパワハラか?


 美術さんは、それを作り直すために、慌てて帰ろうとしていたが、林田に腕を掴まれていた。


「待ってください。

 これ、発泡スチロールですか?


 これは何処に置いてあったんですか?」


 次々質問を繰り出してくる林田に、ひいいいっ、と美術さんは悲鳴を上げる。


「今っ、急いでるんですっ」

 だろうな、と晶生は苦笑いして見ていた。


 手を振りほどかないのは、意外に林田が強力なのか。

 それとも、警察権力に遠慮してのことなのか。


 生真面目な分、林田は怖い。

 融通が利かないからだ。


 樹里は中岡について、出て行ってしまった。

 晶生は自分も林田に怒られないように、背伸びをして、中を見ていた。


 そうっと撤収しようとしている村の首根っこを振り返らずに掴む。


「なっ、なんなんですかっ」

と村はモップを手に叫んでくる。


「いえ。

 警察も貴女にお話をお伺いしたいんじゃないかと思って。


 逃げない方がいいですよ」


「逃げるっ?

 逃げるってなんですかっ。


 私は何もやましいことなんてないっ。

 ただの掃除のスタッフなんですからっ」


 だんだん声が高くなり、掠れてくる。


 その叫び方が、怪しくなくとも、怪しい感じに己を演出しているのだ。


 後ろの方で、よく事情のわかっていない連中が、あの掃除の女が水沢樹里の婚約者をモップで殴ったらしい、と囁いていた。



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