懐古ホテル II
「あの女は外で刺されてきたんだ。
私が犯人を見ているはずはない」
「そうね。
犯人は此処に入って来てはいない。
では何故、私たちは、自分たちがドアを開ける直前に、樹里が刺されたと思ったのか。
それは、階段を上がり、手近な部屋に入った樹里が、そこで、刺されたふりをしようとしたからよ。
貴方の誘導で、私たちは二階へと上がった。
ちょうど、私たちが来たのに気づいた樹里は、そこで、わざと、刺された瞬間の声を演出した。
だけど、もう相当きつかったんでしょうね、立っているのも。
荒い呼吸は隠せないでいた。
だから、荒い呼吸があってから、うっ、と刺された声が聞こえた。
私たちがドアを開けたとき、樹里は一度、前に倒れかけて、持ち直し、右横向きに倒れたわ。
前に倒れたら、深くナイフが刺さってしまう、という冷静な計算があったからよね」
「あの女が上で刺されたことにしようと思ったのは、犯人をかばうためか」
「そうでしょうね」
「全身、生クリームまみれだったのは?」
「それは、ナイフの柄についたクリームを誤魔化すためよ。
樹里はナイフで刺されたまま、中に入ろうとした。
だけど、それだと目についてしまうから、手にしていたケーキ屋の箱の一部を内側に折りたたんで、腹に抱えた。
ナイフの柄をその中に納めて隠すためよ。
ナイフは上手く隠れたけど、その代わり、シュークリームに溢れんばかりに入っていた生クリームがべったり柄についてしまった。
拭き取っても、べったりした感じは残る。
沐生の楽屋に入ってから、まずいと思った樹里は誤魔化すために、全身にも生クリームを塗ったの。
犯人になにかの意図があって、そうしたと見せかけるために」
「ふむ。
で、犯人は?」
と偉そうに脚を組んで、遠藤は言う。
「いや、だから……自分で考えたりとかしないの? 遠藤」
「お前が答えを知っているのに、私が考える必要はないだろう。
解答が目の前にぶら下げてあるテストをわざわざやるのは時間の無駄だ」
いや、脳を鍛えるってそういうもんなんじゃないですかね、と思ったのだが、いちいち言うのもめんどくさいので、自分の口で言った。
「犯人は、あまり背が高くなく、太っていて、筋肉質でない男よ」
「何故だ?」
「犯人をかばいたい樹里が犯人は沐生に似ていると言ったから。
沐生とのスキャンダルが出たばかりだからそう言ったというよりは、犯人の容姿が沐生と真逆だったからそう言ったんじゃない?」
ああ、もうひとつ、条件が増えたんだった、と晶生は付け加える。
「犯人は多弁な男よ」
「なんでだ?」
「病室を訪ねたとき、樹里が、沐生のような無口な男は好みじゃないって言ってたから。
ああ、また犯人の条件がひとつ増えたな、と思ったの」
「ふむ。
なるほど。
では、彼女は、犯人が沐生と正反対の男だったから、沐生に似ていると言っただけということか。
沐生の楽屋で犯行が行われたかのように見せかけたことも、偶然で」
そこで遠藤は笑う。
「……まあ、全部沐生に罪を着せるための細工だったと考えられなくもないけど、樹里がそこまでするとは思いたくないし。
もし、そうなのなら、……まあ、ちょっと痛い目を見てもらうことになるかもね」
淡々と言う晶生を見て、遠藤は、お前は私より怖いからな、と言う。
「まあ、犯人は女という可能性もあったんだけど。
樹里は此処へ入る直前、ファンの男の子と話してる。
その時点で刺されてたのなら、長く立ち話をするなんて呑気なことはしない気がするのよ。
それに、貴方の話を聞いて、この階段を上がっていくときの樹里の表情を思い浮かべたら、やっぱりかばってるのは、男の人のような気がしたのよね」
「まあ、そうかな。
あの女があんな必死になるのは、好きな男のためとかそういうときだけだろうから。
ところで、お前の今の話を総合すると、犯人は、ひとりしか居ない気がするんだが」
と遠藤は言う。
「此処へ入る前に、女は刺されていた。
そのファンの男とやらと話したときには刺されていなかった。
中に入って、吉田と会ったときには、刺されていた。
吉田は入る直前に女がファンの男と話しているのを見ている。
じゃあ、刺したのは、そのファンの男だろ」
他はない、と言った。
「そう。
マネージャーの後藤さんが近づかないようにさせてた、気持ちの悪い感じの太ったファンの男、が犯人よ。
樹里がかばったのはその男だし、好きなのもその人なんでしょうね。
そもそも、その男が要注意の、気持ちの悪い追っかけだと主張しているのは、後藤さんのようだしね」
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