生クリームと死体



「沐生」

 晶生は、遅れて二階に上がってみたが、くすんだ赤い絨毯の敷かれた廊下には沐生しか居なかった。


 沐生は全体の気配を窺うように立ち、動かない。


「なにか感じる?」

「わからないが。

 スタッフが使ってるのは、このフロアだけなんだ」

 前を見たまま、沐生は言った。


「そう。私なら、人気のないところで殺すけどね」

と言うと、ちらとこちらを見る。


「いいから行ってみましょうよ」

と前へ行きかけると、肩をつかんできた沐生に強引に後ろに下げられた。

 沐生は端から各部屋をノックしながら、開けてみていた。


 どの部屋も鍵はかかっていない。

 下にみんな下りているようで、何処も荷物があるだけで、誰も居なかった。


「この辺からは、役者の控え室になっている」

 そう言いながら、沐生はノックしていた。


「何処が誰の部屋なの?」


 そう訊いてみたが、

「俺が知ってると思うのか」

と言われる。


 まあ、そうか、と思った。

 他人と馴れ合ったりするような男ではない。

 共演者の楽屋を訪ねたりなどするばすもなかった。


 沐生は、またノックしながら、

「此処は俺の部屋だ」

と言う。


「じゃあ、なんでノックしてるのよ。

 はいって、返事があったら、怖いじゃないのよ」

と晶生が言うと、

「お前でも怖いなんてことがあるのか」

と鼻で笑う。


 沐生はドアを開けようとしたが、ノブにかけた手を止め、もう片方の手を、晶生を制止するように小さく上げた。


 そういえば、中からなにやら聞こえてくる。


 抑えたような荒い息づかい……。


 そうっと沐生がノブを回そうとしたとき、

「うっ」

と中からうめく声が聞こえた。


「どうしたの?」

「入るな」

と沐生が言う。


 覗こうとした晶生の顔に手をやり、下がらせようとする。

 なによ、と晶生はその腕をつかみ、横からひょいと覗いた。


 沐生がゆっくり戸を押し開けると、ちょうど、女が倒れるところだった。

 前に揺らぎかけて、持ち直し、右横向きに、どうっ、と女は床に叩きつけられた。


 肩から落ちたようだ。


 左の腹には深々とナイフが突き刺さっている。


 そして、奇妙なことに、そのナイフにも、彼女の身体のあちこちにも、生クリームが塗られていた。


 彼女の足許には一部、畳まれたように変形しているケーキの箱。

 そして、床には生クリームのなくなったシュークリームがふたつ、転がっていた。


 女は苦しそうだったが、ナイフが抜けていないせいか、出血はあまりなかった。


「晶生」

「なに?」


「……これは生きた人間か?」


 またか、と晶生は顔を押さえた。


 困った人だ。

 霊と人間の区別がつかないのだ。


 傲慢だったり、役に入り込んだりしてスタッフに挨拶しないわけではない。


 誰が生きているスタッフか、沐生にはわからないのだ。


 下の遠藤は、腹にナイフが刺さっているから、死んでいるとわかったようだが。


 それと同じに、今、此処に転がっている女もナイフが刺さっているので、どっちなのか迷ったようだった。


 これが遠藤の言っていた、殺されそうな人間なのか。


 それとも、随分前に殺されて、まだ痛がっている霊なのか。


「貴方は刑事にはなれないわね」

 ドラマの中ではなれても、と言いながら、晶生は女の側にしゃがむ。


「生きた人間だと思うわよ。

 私も自信ないけど。

 っていうか、貴方の共演者なんじゃないの?」

と言うと、

「……メイクしてないからわからなかったな」

と言う。


 彼女に意識があったなら、まず、お前が刺されるだろう、と思った。


 女の顔を間近に見た晶生は、ん? と思う。

「あら? この人、この間、貴方と朝帰りで話題になった人じゃないの?

 素顔、知らなかったの?」


「知るわけない。

 そんなもの、この映画の話題作りに決まっている。


 一応、この女の部屋には行かされたが、うるさいマネージャーに母親までついて居たぞ」


 鬱陶しそうに言う沐生に、その二人が居なかったら、どうするつもりだったんだろうな、と思う。


「まだ息がある。微かにだけど」

 そう言いながら、晶生は携帯で救急車を呼ぶ。

 とりあえず、ナイフさえ抜かなければ、失血死の心配はなさそうだった。


「大丈夫よ、助かるわ」

 根拠もなくそう言うと、彼女は少し唇をふるわせた。

 耳をそこに近づけたが、なにを言っているのかは聞こえなかった。


「早く見つけられてよかったわ。

 遠藤さんに礼を言うべきかしらね」

と言うと、


「いや、あれは別にこの女を助けるつもりで言ったわけじゃないだろう。

 お前がたまたま近づいて行かなきゃ、なにも言わなかったんだろうし」

 世間話のように語っただけだろう、と言う。


「あいつらにとっちゃ、人の生き死になんてその程度のもんさ。

 ところで、誰がこの女を刺したんだ?」

 晶生は部屋の中を見回す。


「窓には鍵がかかってるわね。

 ドアの鍵は開いてた。


 でも、私たちが上がってきてからは、誰も出入りしてないわね。

 ところで、此処、誰の楽屋だっけ」


「俺だろ」

と言ったあとで、二人とも沈黙した。


「……俺じゃないぞ」


「でもまあ、世間はそうは思わないでしょうね。この間、スキャンダルぶち上げたばっかりだし」


 疑うのなら、まず、身内と恋人からよ、と言いながら、晶生は立ち上がり、窓を見る。


「鍵かかってたから、密室ね」

「ドアは鍵開いてたろうが」

 何処が密室だ、このミステリーマニアめ、と言われる。


「お前、いつも風呂でミステリーばっかり読んでるじゃないか」

 その言葉を無視して訊く。


「此処、階段、何カ所から上がって来られるの?」

「三カ所だ。館の両端と真ん中の遠藤が居た階段」

 うーん、と晶生は考える。


「南側の階段はちょうど撮影している真下ね。

 私たちが上がってきた階段も人目につく。


 北側の階段は?」


「トイレの前に出るな。

 その裏は裏口だ。


 太い円柱の柱や遠藤の階段側にデカい大理石の花瓶があるから、見えにくいかもな」


 やっぱり、全然、密室じゃないじゃないか、と言う。


「北側から俺たちが上がる前に、犯人は出て行ったんじゃないか?」


「でも」

と晶生は考える。


「今、倒れたわよね、この人。

 刺されたのは、今かもね」

と沐生を見る。


「入るときに貴方が刺したのかも」

と言ってやると、


「お前かもしれないだろ」

と言ってくる。


「なんでよ」

「この女と俺が噂になったから」


「……貴方と噂になった女、片端から殺してたら、私はとんだ殺人鬼よ」


 救急車のサイレンが近づいてきた。


「どうかしたのかしら、救急車が来たけど」

と言いながら、堺が遠藤の階段を上がってくる。


 開いたままのドアのところに立つ晶生たちに気づき、

「あら、あんたたち、なにやってんの?」

と言う。


「沐生の朝帰りの相手が沐生の楽屋で刺されてるんです」

と晶生が言うと、

「えっ、樹里ちゃんが?」

と慌てて、堺はこちらに来る。


 中を見て息を吞んだ。


「触らないでください。

 警察もすぐ来ると思います」


「そ、そうね」

と戸惑うように堺は言う。


 樹里の心配をしているのか。

 撮影の心配をしているのか。


 沐生の今後をことを心配しているのかはわからないが。


「それにしても、誰が樹里ちゃんを。

 こんなところ、一般の人は入り込めないわよね」

と堺が言うと、沐生が、


「入ってるじゃないか、一般人が」

とこちらを見る。


「こいつと、こいつの彼氏が」

「……彼氏じゃないって言ってるでしょ」


「今、そんなことで揉めないでよ。

 ああ、早く犯人が捕まらないと。


 撮影中止になちゃわないかしら」


 いや、こんな事件が起こって、ヒロインが倒れている時点で、相当ヤバいと思うが。


「それにしても、樹里ちゃんが刺されるなんて。

 ……犯人は誰なのかしら」


 二人は一瞬お互いを見たあとで、

「晶生だろ」

「沐生でしょ」

と罵り合う。


「はいっ、すみません。

 退いてくださいっ」

と駆けつけてきた救急隊員に二人は押し退けられた。

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