狐と鍛冶屋

ララパステル

狐と鍛冶屋

 文明開化と騒がれて久しい頃。

 巷にはハイカラな娘や散切り頭、レンガ壁ガス灯こうもり傘…そんな西より来たりた文化が溢れかえっていた。

 しかしそれは都会の話。帝都の話。田舎は相も変わらず、ゆるりと時間が過ぎていく。


・・・・・・・


 空に浮かぶ満月、風に鳴くススキ、夜の帳が落ちた後。

 そんな秋の風情を楽しもうと、一人の男が縁側に腰を掛けていた。手に持った皿には団子が六本。

 酒は飲めぬが甘いものが好きな男は、団子をツマに月明かりで書でも読もうかと考えていた。

 体はコワいが、しかしこれだけの見事な月夜。無下に過ごすのはちと勿体ない。

 無理を押して体を起こし、こうして月明かりの下に出たわけだ。

 それは間違えではなかった。

 秋月は素晴らしく、その下で馳走の団子を頬張り、好きな書を読む。鈴虫の声に耳を傾け、夜風で体を冷やし、時折空を眺める。

 それはあまりに贅沢な時間であった。


 書は亜米利加のインディアンについて書かれたもので、その首長たちの言葉がまとめられていた。

 開国以来、西方の文化が入って来ていた。それに異を唱える者も多いし、時代の移り変わりを嘆く者もいる。

 けれど、男はそれほど悪いものだとは思えなかった。こうして知らぬ世界を知り、まだ見ぬものを想像できる。すでに遠出ができぬのだから、それでも広い世界を知れるのは何と幸せなことか。


 そこに書かれたインディアンの言葉も、また素晴らしい。

 一つの語を読み進める毎に、宝物の様に胸に仕舞込み、そしてまた一つ語を読む。

 その時間、彼は自由だった。誰より、自由だった。


・・・・・・・


 秋の夜長を喜ぶのは人間だけではない。

 男の様子を遠くから見つめる二つの瞳。草むらから彼を眺めていたのは、一匹の狐。

 団子の匂いに誘われ寄っていたのだ。

 男はたった一人、しかも線は細く色は白い。すっと近づいてかっぱらうのは簡単だが、しかしそれではつまらない。

 狐はしばし考えた後、その場でくるりと一回転。その姿を妙齢の美しい女性へと変えた。

 上手く化けられたのを自分で確認すると、狐は悪戯な笑みを浮かべて木陰から顔を出した。そしてゆっくりと男に近づくと「こんばんわ」声をかける。


「少し道に迷いまして」


 いきなり現れた美しい女性に、男は驚いた表情を浮かべた。こんな夜更けに女性が一人、こんな人里の外れにいるわけがない。そう思ったのだろう。

 しかし―


「驚いてしまってすいません。それはそれは大変でしたね。ささ、隣へどうぞ。よろしければ団子でもいかがですか?」


 ―狐を誘ったのだ。


 今度は狐が驚く番である。ちょいとおどかして団子をせしめるつもりが、相手から食べないかと誘われたのだ。

 納得できないものを感じつつも、団子をくれるのならと、男の言葉に狐は乗った。

 狐は団子を挟んで男の隣に腰を下ろす。


「ささ、どうぞ。お好きに食べてください。私の故郷で一番おいしい団子を、私が真似したものです。それなりに美味しいかと思うのですが」


 言われるままパクリ…


「美味しい…」


 思わず言葉が漏れた。それを聞いた男は、満足げに笑みを浮かべる。それが狐の”人を馬鹿してやりたい”と思っていた気持ちと重なり、少しだけ不機嫌になった。

 それでも団子はやはり美味しく、男に団子を取り上げられては堪らないと、次から次に口に運んだ。

 男が一本食べていたから、残りは五本。それも一刻と経たぬ内に串だけになる。

 男の物言いは気に入らないが、しかし団子は確かにうまかった。礼の一つでも言ってやろう。

 狐は立ち上がると、小さく頭を下げた。


「ふぅ…美味しくいただきました。ありがとう」

「いえいえ、所で狸さん」

「失敬な!あんな道楽者と一緒にしないでもらいたい!」

「あぁ狐の方か」


 しまった!そう思った時にはもう遅い。狐はカマをかけられて、まんまと乗ってしまったわけだ。

 だがしかし、すぐに冷静さを取り戻す。

 まだ若いとはいえ、近くにある小さな祠に祭られている由緒正しい狐なのだ。

 人間に騙されたとなれば、仲間たちの笑いの的。

 そこで狐は、自分も元から騙されるのを知った上で団子を食べた風を装い、静かに男に聞き返した。


「ふん。それで男よ。元から私は騙されたふりをしていたわけだが、はてさて、どうして私の正体が分かったのだ?」

「一つは耳だ」

「耳?」

「狐耳は隠れていたが、しかしさらりと零れ落ちた黒髪の間から人の耳が見えなかったのでな。それにこんな場所に美しい女性がいるわけがなかろう。せいぜい来るとしたら畜生ぐらいのものだ」

「そうか、ならばもう一つ。何故狐と知っていて誘ったんだ?」


 それは狐の本心から出た疑問だった。


「これだけの月夜、例え狐だろうと、狸だろうと、物の怪だろうと、共に楽しむのに理由はいらないだろう。それに絶世の美女を間近で見たいと思うのは、可笑しい話ではないだろう」


(変わった男だ)


 狐はそのまま男に背を向けた。その背に向けて「しばらくは毎夜、ここで団子を準備して待っている。食べたくなったら来るといい」と声がかけられた。


 何を思って畜生を誘っているのか…

 狐はクスリと笑い、夜闇の中に消えていった。


・・・・・・・


 その男、名を久次郎と言った。

 西方の出で、六人兄弟の五男坊。鍛冶屋であった父にはそれほどの稼ぎはなく、彼は技術だけを身に着け家を出た。

 元は暖かい地方にいた為、雪が見たいと野を超え山を越え…廃藩置県で手形が亡くなったのだからと出来る限り遠くを目指した。


 そしてたどり着いた小さな集落。

 人は少なく、鍛冶屋は先日亡くなったらしい。その鍛冶屋に子はなく、どうしようか話し合っていた所に久次郎がやってきたわけだ。

 その鍛冶屋の後を継ぎ、村で新しい生活が始まったが…それがいけなかった。

 気候があっていなかったのか、それとも長旅の無理がたたったのか。

 久次郎は病となった。

 その地方に親類はおらず、鍛冶屋としての仕事も満足にできない久次郎。

 結果…人里の外れで長い事、暮らすこととなった。もしもう少し体が動くのなら、故郷に帰ることもできるだろう。だがそれは叶わない。

 無理をして刃物を作り、それでわずかの糧を得て暮らす生活。苦しくはあったが、しかし男一人。それほど金銭には困らなかった。里の者からの温情もある。


 しかしだからと言って、血のつながりもなければ長年里で暮らしていたわけではない。

 訪ねてくるものは少なく、話もとんと弾まない。つまり久次郎は、孤独であった。


・・・・・・・


「ふーんそうか。久次郎の地元にも、悪戯な狐がいるのだな」

「あぁそうだ。狐風呂なんて話もある」

「それはどんな?」

「お前みたいな悪戯狐が、百姓をだまして泥のふろに入れる話だ。千葉が香取に伝わる話さ」

「ほう、という事は、久次郎は香取から来たのか。道理で甘いにおいがすると思った。あそこは暖かいだろう?だから甘いものが好きなのだ」

「それは知らなんだ。確かにこちらは塩辛いのを皆好むな。にしてどうしてそれを知っている?」

「狐は物知りなのだ」


 やっと久次郎の知らぬことを話せたと、狐は喜んだ。

 実はこの話、しばらく前に遊びに来ていた千葉の狐に聞いた話なのだが、それでも久次郎の鼻を明かせたのだ。それは何と気持ちのいいことか。

 満足げな狐に、久次郎は再度問いかける。


「それで狐よ、物知りの狐よ。一つ教えてはくれぬか?」

「どんなことでも聞くがよい」

「亜米利加と言う海の向こうの国がある。そこに住んでいたインディアンなる民族の言葉にこういうのがあってな。”自分の本当の姿を思い身震いするのなら、身震いすればよい。恐れずに羽ばたけ”。さてこの意味、狐はどう考える?」

「うーん」


 狐はうなる。

 自分を恐れることなど、狐にはなかった。狐は狐。それ以上でもそれ以下でもない。

 それをそのまま口にした。


「実に人間らしい無駄な考えだと思うぞ。我は狐で、お前は久次郎だ。それ以外に何がある?二人で団子を食い、月見をし、それで良いではないか。団子を食っているお前が久次郎なのだろう」


 それを聞いた久次郎は小さく笑いを漏らす。何がおかしいのか?不思議に思った狐に、久次郎は「すまない」と告げて、息を整えた。


「いや、その通りだ。うん、その通りだな。人間はちと難しく考えすぎているのかもしれん。だがな、私は時折自分が怖くなるのだ。どうしようもなくひどい人間ではないかと思えて、身震いするのだ」

「団子を畜生に分け与えるお前がどうしてひどい人間なのだ?」

「人は優しさの奥に恐ろしさを隠し持っているものなんだ。私も元々は善良なのだと、自分を思っていたが…最近そうでないと気が付いてな」

「私にはよくわからん」


 やはり狐には、久次郎の言葉の意味が分からなかった。

 人間とはこうも無駄なことを考えるのかと、久次郎のこけた目元を見ながらぼんやり考える。


「そうだな。分からぬよな。ならこうしよう。先ほどのインディアンの言葉は他にもある。言葉で語らぬものが真実である、とな。だからこれをお前にくれてやる」


 久次郎は胸元から一本のかんざしを取り出した。

 月夜にきらめくかんざしは、それほど凝った飾りがあるわけではない。色も鉄のまま。しかし丁寧に研がれているようで、月夜をそのまま映し出していた。


「ほう、これはこれは。綺麗なものだな」

「だろう?私が作った。どうだ、欲しいか?」

「久次郎が渡したいというのなら、貰ってやろう」


 狐は嬉しい気持ちを抑え、かんざしを受け取った。誰かからもらいものをするのは初めてのことだ。しかも久次郎手ずから作ったとなれば、その喜びはさらに大きい。


(はて、どうして久次郎から貰うと嬉しいのだ?まぁよい。よいか)


 笑みを隠し切れない狐の肩を、とんとんと、久次郎は叩く。ふと見れば、彼は両手を合わせて狐に頭を下げた。


「一つ頼みがある」

「なんだ?」

「お前の膝で寝せてはくれぬか。ちと体が重くてな。月見をしたいが、座っているのもコワくてたまらん。それにお前のような美人の膝で寝る機会なんてそうはない」

「まったく、私は畜生の狐だぞ?」

「構わんよ」

「そうか。ならいい。それともう一つ、私は雄だ」

「それは聞かなかったことにしておこう」


・・・・・・・


 それからも、狐は月夜の度に久次郎を訪ねた。

 それは悪くない時間だった。

 お互いが知らぬことを言い合い、相手の鼻を明かす。それは心地の良い戯れであった。


 しかしいくら楽しい時間であろうと、時の移ろいばかりは止められない。

 冬が来ると雪が降り、狐は穴倉で眠りについた。

 春が来たらまた久次郎と掛け合いでもしてやろう。花見団子も悪くない。

 そう思い、心地よいまどろみに溶けていく。


 そして春が来た。

 草木が芽吹き、花が咲き、桜が散って暖かい風が吹く。

 雪残る穴倉から顔を出し、狐は夜になるとすぐに久次郎の家を目指した。


 穴倉のまどろみの中、久次郎に話すことをいくつも考えた。

 南蛮より来た性悪狐の話、道楽におぼれて人間に一本取られた狸の話、鳥に化けて空を飛んだ話…

 はやる気持ちは足に現れ、風のようにかけていく。


 だが、久次郎の家に着くと、そこには誰もいなかった。

 団子もなければ、人がいる気配すらない。家の隅々まで探しても、久次郎の影も形もなかった。


 どうしたことだ?

 狐は翌日、人に化けて里のものに聞いてみた。


「あぁアンタ、久次郎のところに通い詰めてた別嬪さんか。残念だが、久次郎は死んじまったよ。でも身寄りがないが、あんたみたいに思ってくれている人がいたんだな。あいつも幸せだろうさ」


 それから狐は、教えられた久次郎の墓を参ってから、また森へと帰っていった。

 少し寂しい気もしていたが、しかし結局は人間と畜生。いつか別れが来るのは分かっていたことだ。

 だから仕方ないと、そう、仕方ないと諦めるしかないのだ。


 それでも―


「久次郎、まだ私は聞いてはおらぬぞ。お前がなぜ善良でないのか。その答えがどうしてこのかんざしなのかをだ」


 ―狐は寂しそうにつぶやいた。


・・・・・・・


 それからしばらく。

 狐の元に、千葉から遊びに来た白狐がひょっこりと顔を出した。

 狐はやはりまだ久次郎のことが気にかかっていたので、白狐の話も上の空。

 それを不思議に思った白狐は話を聞くと、「それは酷い話だな」とため息を漏らした。


「どうして白狐はそう思うんだ?」

「久次郎って人間は、自分が狐より先に死ぬと知っていたんだろう?」

「今思えば、そうだろうな。体も弱っていただろうし。だがそれがどうした?」

「だからだ、そのかんざしは久次郎が無理を押して作ったものだ。そこまでしてどうしてお前にかんざしを渡したんだ?」

「さぁ。それがわからぬから聞いているんだろう」

「とんと狐のくせに鈍いのだな。まぁよい。いいか。男は自分を酷い人間だと言った。そしてかんざしを渡した。男は自分が死ぬと知っていた。つまり、お前が後に残ると知っていたんだ。さてこの答えはなんだ?」

「分からぬ、さっぱりだ」


 狐は考えるのをやめた。考えた所で答えは出ぬし、白狐も教えてはくれぬのだろう。

 そんな狐に、白狐はため息を漏らす。


「まぁよい。私は久次郎と縁も義理もないが、それでも男の思いを無駄にするのも興がない。だから一つだけ教えてやろう」


――

―――「男はお前を好いていた。それだけは本当だ」


 それを聞いた狐は「そうか」小さくつぶやいた。

 たったそれだけのことを、どうして久次郎は伝えなかったのか。


「…全く、言葉で言えばいいものを。人間とはほんとに無駄な生き物だな」

「あぁ、我もそう思うよ」


  ススキが鳴き、夜が更ける。春風はまだ冷たく、狐の尻尾を小さく揺らした。

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