帰還4

「黒い心が消えたわけではない。それに勝る清い力で薄められただけかもしれない。それに、私が長い間受けてきた仕打ちを忘れたわけではない。今でも人間は愚かな生き物だと思っている。他の竜どもに心を開くこともないだろう。けれど、私がこうして静かな心でいられるのは、やはりリョウの力が大きい。全て包み込もう、救おうと純粋に思い続ける心が、私を突き動かした。私はリョウという人間に惚れたのだ」


 嬉しいことを言う。


「わかりますわ」


 と、ローラまで。


「彼の前向きさには、何度も励まされました。どんなに追い詰められても諦めずに可能性を探る。彼こそ“救世主”に相応しい」


『……だ、そうだ。素晴らしい評価だな』


 ゼンがわざとらしく話しかけてくる。まあ、評価されるのはありがたいが、そんなに持ち上げ過ぎなくても。


「――ひとつ、言いたいことがある」


 俺は鋭い爪の伸びた人差し指をピンと伸ばし、ローラとディアナ、そして群衆に向けて目配せする。


「残念ながら、私とリョウはレグル神などではない。崇められる理由もなければ、そのような力もない。勿論、私たちのことをどのように呼称するかは自由だ。しかし、 勘違いして縋られるのは気分が悪い。リョウは優し過ぎて否定しなかったが、私は言う。私たちは、神ではない」


 これが効いたのかどうか。

 一同はしんと静まり返った。そして皆、バツが悪いような気まずいような顔で、目を逸らし始める。


「私とリョウの意識はいずれ、ひとつになってゆくだろう。今は不安定なこの身体も、いずれは安定し、人間と竜の間に落ち着くに違いない。しかし、せめてリョウの意識が存在しているうちは、人間と交わり暮らしてゆくべきではないかと考えていたところだ。彼が私を救うため犠牲にしたという彼なりの日常と平穏を少しでも残してやるのが、せめてもの心遣いではないかと思い始めた。塔の魔女にはその準備をお願いしたい」


 そう言って深々と頭を下げるゼンに一番驚かされたのは俺自身。

 ちょ、ちょっと待てよ。ゼン、お前俺に対してそんな気持ちで。


『当然だ。私はただ、滅ぼされる対象だと思っていた。しかしお前はそれを覆した。そして、全てを受け入れた。これから更に待ち受けるだろう様々な試練を考えれば、それくらい容易いことだ』


 ……ゼンが俺の身体の主導権を握ってさえ居なければ、俺は泣いていたかもしれない。これまで頑張ってきた、それが全部報われた気がして、これからのことは全部乗り越えられそうな気がしてくる。


おもてを上げてください、ゼン」


 ローラの呼びかけに、ゼンは俺の頭をゆっくりと上げていく。

 成り行きをじっと見守っていたディアナが、一歩前に出てニコリと笑った。


「橙の館をしばらく使えばいい。メイドのセラとルラが凌の帰りを待っている。それに、ノエルとモニカも、凌との日々が忘れられないと話していた。大丈夫、居場所なら沢山ある。今までと同じように、好きに動き回ればいい。――ただ、やはりその格好では目立ってしまうだろうから、竜石を使って調節する必要はありそうだがね。グロリア・グレイのところまで行かなくても、予備は幾つか取ってある」


「――ありがとう」


 自分の口からそう声が出て、俺は意識がゼンとまた入れ替わったことに気付く。


「ディアナは? 塔の魔女からは引退、だろ? この先どうするつもりだよ」


 俺に言われ、ディアナは目を丸くする。


「凌に変わった? やれやれ。一つの身体に二つの意識とはこれはまた厄介だね。いずれはひとつにとは言うが、できる限りそれぞれの意識が独立していて欲しいと願うのは、部外者のわがままか。――私か? 私はしばらく隠居生活を楽しむとするよ。お前が暴れたせいで協会の要人が根こそぎ亡くなってな。丁度私の好きな赤色の館が空いたそうだから、そこに移ろうかと思っている。そこで古書の研究をしたり、干渉者協会や塔の立て直しにでも力を貸したりしようかと」


 肩の荷の下りたディアナの表情は緩かった。

 全てがのし掛かったローラは対照的に厳しい顔で、ディアナの話を頷きながら聞いている。


「赤の館は、橙の館に近い?」


「ああ。目と鼻の先」


「だったら、俺も手伝いたいな」


「それはいい。私も、塔の魔女としてではなく、お前と色々話したいと思っていたところだ」


 ディアナは柔らかく笑った。

 それは、今まで見たことがないくらい優しくとろけそうな、美しい笑顔だった。

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