いにしえの2

「ねぇ、どう思う? やっぱり人間のしもべになりたい? 気高い竜として生涯を全うすべきだと思わない?」


 金色のくりくりした目が、俺の顔を覗き込んでいる。

 俺は慌てて顔を腕で隠し、適当に返事する。


「わ……、わからない。難しい」


 そんな俺に、彼女は興味を持ってしまい、執拗に顔を覗き込んだ。


「ねぇ。見かけない顔だよね。凄く白い肌。それに、髪の毛の色も変わってる。白? 銀色? 人間って、もっと色が付いているような。人間に変化へんげするなら、もう少し人間のことを研究した方が良いよ。あなた、名前なんていうの」


「……え?」


「やだ。目も変な色。もう少し暗い色の方が良いんじゃない。真っ赤っかよ。ね、名前は? あなたの名前教えて」


「名前……?」


「友達になりたいの。お名前、教えてくれる?」



「名前。僕の、名前は」











「今日はありがとうございました。私、迷子になったの一度じゃなくて。もしよかったら、またここに来たとき、相手をしてくださいますか」


 制服姿の少女が恥ずかしそうに俺を見上げている。

 俺はその目が何とも愛おしく、思わず頬を緩めた。


「ああ。構わないよ」


 そっと手を離し、顔を赤らめて、彼女は両手を自分の胸に当てた。


「名前、教えていただけますか」


「名前?」


「私、美幸です。芳野美幸。あなたのお名前は?」





















「――ゼン。私のことは、ゼンと」





















 ――カチッとどこかで音がした。

 まるでパズルのピースをやっと探し当て、はめたような、心地よい音。

 互いに、もしかしたら最初からこうなるつもりで探しあっていたのかもしれないと、そんな考えすら浮かんでしまう。

 孤独とか、悲しみとか。

 偏見とか迫害とか。

 誤解され、心を歪め、周囲を恨み、妬み。

 ……そうだ。二つの世界を苦しめていたのは、ほんの少しの気持ちのズレ。それがやがて溜まりに溜まって湖を黒くしていった。その黒い湖に冒され、ゼンは破壊竜と呼ばれる存在になった。

 誰かが手を差し伸べていれば。

 誰かが声をかけていれば。











 痛みは次第に和らいだ。

 目をつむったまま身体を屈め、呼吸を整えようと胸を擦る自分に気が付く。身体に当たる手の感触がおかしい。頬には何が引っ付く感覚があるし、背中には羽、尻には尾が生えている感覚まである。

 俺の力よりもゼンの力の方が絶対的に勝っている。だから、人間の姿は保てなかった。要するに、竜人となってしまったらしい。

 参ったな。これじゃ、また竜石を貰って来ないと。けど、こんな姿で行ったらグロリア・グレイに何と言われるか。


「凌……?」


 誰かの呼び声で、俺はようやく目を開ける。

 視界には、白い鱗の浮かぶ鋭い爪の生えた手と、濃いグレーの服。それから視界を塞ぐように白っぽい髪の毛が垂れ下がっている。

 ゆっくりと顔を上げ、周囲を見まわすと、一回り小さくなった氷のプレートの上で、皆がまじまじと俺の顔を覗き込んでいる。そして、明らかに警戒している。


「き……すみ?」


 シバが恐る恐るで近づいて、けれどそのまま目を丸くして足を止める。

 モニカとローラ、ケイト、エリーは息を飲み、両手で口元を覆って明らかに驚いた顔をした。互いに顔を見合わせ、女子にしかわからないような目だけの会話をして、その後に出た言葉が、


「なんて、神々しい……!」


 この世界に“神”なんて概念があるとは聞いてない。……あ、一応あったか。古代神を崇めるヤツ。芝山の変なレポートで読んだ。普段は信仰心すら見せることのない彼らから、そんな言葉が出るなんて、一体どういう。



「深い慈悲と万能の力を持つという、……古代神レグルだ」



 ディアナはぽつりと言うと、そのまま両目から大粒の涙をポロポロと零し始めた。


「古い本で読んだことがある。一般には殆ど知られていない、レグル神の姿。“美しく光り輝く鱗で覆われた竜神、或いは強大な力を持つ白髪はくはつの竜人”この世界を守り、作り上げたという伝説の竜の名前。……そうか、私たちはとんでもないものを相手にしていた。もっと早段階で気付くべきだった」


 杖を落とし、だらしなく泣き続けるディアナを見ていられなかったのだろうか、ルークは自分の羽織っていたローブをそっとディアナの肩にかけた。


「わからないか、ルーク。私たちは神を相手にしていた。人間と竜にその愚かさを思い知らせるため、神が仕掛けた壮大な罠に、私たちはまんまとかかっていたのだ」


 ……それが、何を意味するのか。俺には直ぐにわからなかった。

 両手を合わせ、祈るようにして崩れたディアナを見て、そこに居たレグル人たちが同じ仕草をするのを、俺はただただ見つめるしかない。


「信仰の対象にされるような人間じゃないよ、俺は」


 そう言ってはにかんで見せたが、彼らは祈りを止めない。


「それに、そんなことをしてる時間はない。氷がどんどん溶けてきている。さっさとレグルノーラの大地まで戻らないと。――転移魔法するから、ちょっと集まってくれるか」


 空を覆っていた暗雲が晴れ、太陽と思われる天体が天上で燦々と輝いている。光を浴び、少しずつ上昇した気温が湖を覆った氷を徐々に溶かし、プレートの表面まで水が浸入し始めていた。

 ズン……と音がして、近くのプレートが一つ沈み始めた。上がった飛沫が俺たちの居るプレートまで飛んで、足元が濡れる。それでようやく彼らは逃げなければと思ったらしく、重い腰を上げて近くまで集まってくれた。


「凌なの? ゼンっていう竜なの? それともレグル神?」


 半竜の美桜が俺を見上げる。

 その青い瞳に、白髪の男が映り込んでいた。長髪で、頭には竜の角が生えていて、耳はとんがり。彼女が疑問符を抱える理由がよくわかる。


「俺は、俺だよ」


 俺はそれだけ言って、魔法陣を発動させた。

 辺りが光に包まれ、身体が空気に溶ける。






 美桜たちとは、そこで別れた。

 俺とゼンには、どうしてもやらなければいけないことがあった。











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