静寂4

 幼き日々に想いを馳せているのか、俺の言葉の何かに引っかかったのか。

 ただひとつ言えるのは、ヤツの中から黒いモノがすっかりなくなってしまったような気がすること。黒すぎてこれ以上何にもならなかった黒が、漂白剤で綺麗に落とされたみたいになくなってしまった。そうでなければ説明が付かないくらい、とても穏やかで、とても静かな気配が漂っている。


「金色竜に付けた名前にも意味が?」


 ボソリと、恐る恐る口に出した言葉は意外なものだった。

 俺は思わず頬を緩ませ、


「意味なんかない。アレはリアレイトで言うところのプテラノドンって恐竜に似てるなって思ったから、そっから一部貰って“テラ”って。意味っていうか、呼びやすさ、親しみやすさ重視だったから、“想い”……かな。長い間付き合ってくつもりで生き物に付ける名前は、親しみやすさとか、呼びやすさとか、そういうモノを重視する。音の響きってのも大切だからな。まぁ、竜の性格は契約したあるじに依存するらしいから、どんな名前にしたとしても、大人しくはならなかっただろうけど」


 ハハッと苦笑いすると、ヤツは目を細めてゆっくりと首を傾げた。


「ミオも、お前と契約した」


「ああ。とにかく、お前のことを止めたかった。彼女は自分が破壊竜と呼ばれたお前の血を引いていることに対して酷く責任を感じていた。自分にしかできないと、自ら契約を申し出た。けど、果たして互角に戦えたのかどうか。結局俺は同化を解かれ、お前に呑み込まれた。……強すぎる。その力、どうして破壊以外に使えないのかと思うほどに」


 そう言ってヤツの顔を見上げると、大きな赤い瞳が心なしか潤んでいるような気がして、俺はドキリとしてしまった。


「リョウ、お前は何と不思議な人間だろう」


「――え?」


「お前が私の心を見てしまったように、私もお前の心を見てしまった。何故だ。何故お前は私を恨まない。殺したいという心、憎らしいという心がまるで感じられなかった。以前の、キースのときとはまるで違う。どんなに私が街を破壊しようが、人間を喰らおうが、お前の心は決して黒くならなかった。狂いはしても、黒くはならない。それどころか」



「――救いたいと、思った」



 俺とドレグ・ルゴラは同時にそう発した。

 大きな目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、床を濡らしていく。一粒落ちる度に、水たまりができ、それがどんどん繋がって広がっていく。


「苦しさがわかったからだ。誰かに理解して欲しかったんじゃないか。ただ力尽くで倒したとして、お前はまた力を蓄えて二つの世界を襲いかねない。本当の苦しみの原因を知らなきゃならなかった。だから多分、俺が選ばれた。誰かを信じるのが苦手で、まともに人付き合いできなくて、自分の殻に閉じこもって、自分が誤解されてもそれで構わないと思っていて。そういう俺だからこそ、お前のことを理解できると。誰が選んだのかはわからない。金色竜の卵を与えたグロリア・グレイさえ、俺にはそんな力はないだろうと、そんなことにはならないだろうと高をくくった。ディアナは薄々何かを感じていたらしいが、それだって偶然に過ぎなかったはずだ。では美桜は? どうだったろう。記憶の中に押し込めていた人物と俺が似ていたから、偶々声をかけただけだったのかも。俺が過去に飛ばされ、お前の魔法の邪魔をしたのだって、本当に偶然だった。時空嵐の存在なんか知らなかったし、そこでお前と出会うなんて、とてもじゃないけど想像も付かなかった。お前はあのとき、俺の存在を知って興味を持ったのかもしれない。けど、それだって偶然だ。偶然がどんどん重なって、俺はとうとう、お前に辿り着いた。俺は……、多分、お前を救うために力を得たんだと思う。そう考えたら合点がいく。俺なら、お前を苦しみから解放できるから。お前の一番欲しかったものを与えることができるから……!」






「“ゼン”」






 ヤツはぎょっとして、身体を後ろに引いた。


「な……んだ、それ、は」


 聞き慣れない単語に、拒否反応を示しているようにも見える。

 それでも俺は、言葉を続ける。


「今から、俺はお前のことを“ゼン”と呼ぶ。色々考えた。善悪の“善”、完全の“全”。あんまり悪い言葉のない響きだ。レグルノーラはイメージが力となる世界。だからこそ、名前は大事だった。お前はその大事なモノを、ずっと欲していた。ゼン、お前、俺の竜にならないか。契約しよう。俺がずっと側に居てやる。お前のことを大事にしてやる」


「――嘘を、付くな……ッ!」


 真っ白な空間に、ゼンの声が響き渡った。


「人間は短命だ。ずっと、などという言葉を信頼できるわけがない。人間の言うずっととは何年だ? 百年か、二百年か? 精々五十年、六十年が限度なのだろう? 我々竜の寿命を考えたことがあるか? お前の約束など、信じられるわけがない。契約したところで、お前は私より先に死ぬ。私は卵に還る。新しいあるじに出会えるまで卵の姿で過ごす。そんなくだらない存在に成り下がるほど、私は愚かではない」


 ……確かに。

 長くは生きられない。

 どんなに頑張っても、これから百年なんて絶対に無理だ。

 卵の中で過ごす孤独については、テラから聞いたことがあった。前のあるじ、芳野美幸のことをただ想い続けていたと。


「――もしかして、別れが怖い、とか」


「な、何だと?」


「出会いと別れは表裏一体。お前は出会いの先にある別れが怖いんだ。だから全部壊して、何もなかったことにしようとする。人間に興味がありながら、自分よりも先に死ぬ人間と契約したがらないのはそういう理由で。――……あッ!」


 ふと、頭の中にとんでもない方法が浮かんだ。

 これならもしかしたら、長い間ゼンと共に生きることもできるかもしれない。

 途轍もなく危ういし、誰もが全力で止めそうだけど。

 ゼンの願いが叶うなら。それが俺にしかできないことなのだとしたら。

 アリ……?


「あのさ、ゼン」


 俺が頭を上げて慎重に話しかけると、ゼンは俺の言葉に耳を傾けるようにして頭を近づけてきた。

 その長い首も、前足から背中にかけてのラインも、本当に美しい。彼が自分の姿を忌み嫌う理由が全く見当たらないほどに。


「例えばさ。俺の身体をうつわとして使い続けられるなら、どう……?」


 恐る恐るの言葉をどう捉えたのか。

 ゼンは息を飲み、しばらく動かなかった。

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