一番欲しかったもの5

 ――名前だ。


 名前が欲しかったんだ。

 自分を表すための、ただひとつのものを。

 誰もが持っているはずのものを、かの竜は持っていなかった。



――『名前など……、何の必要があろう』



 ヤツは言った。



――『“偉大なるレグルノーラの竜”――“ドレグ・ルゴラ”』



 それだって、二つ名のようなもので、彼を指すものではあったとしても、彼自身の名前じゃない。

 与えられるべきものを、唯一の保護者グラントは与えなかった。与えることができなかった。グラントもまた不器用すぎて、名前を与えることを躊躇した。

 アイデンティティを失った白い竜は、迫害されていたことも重なって、どんどんおかしくなっていった。誰も自分を見てくれない。誰も必要としていない。それがどれだけ孤独を作り出し、彼を追い込んでいったか、誰にもわからない。



 つまりは、お前は自分を。

 自分を認めて欲しかった。



「だ……、まれ。黙れ黙れ黙れリョウ! お前に私の何がわかる! 私の何を理解したつもりになっている!」


 ヤツは俺の声で叫んでいた。

 何ごとが起きたのかと、攻撃の手が止む。

 鎌を落とし、頭を抱え、身悶えする俺を、大丈夫かとハラハラしながら見守っている。


「人間如きに私の孤独はわからない。私を理解できるはずなどない」


 ヤツは完全に攻撃を止めた。


「どう、なっているのだ」


 半竜化した美桜を支えるようにして立つディアナの姿が目に入る。ケイトとエリーも一緒になって、美桜の身体を支えている。


「戦ってる。凌が、戦っている」


 美桜がぽつりと言った。


「諦めてない。必死に抵抗してる。……今、かもしれない」


 ヤツは、俺の目をギッと見開いた。


「何がぁ、“今”だとぉ……?」


 手の中に魔力を溜めようとするが、上手くいかない。

 混乱した頭では、まともに魔法すら使うことができなくなっている。

 ヤツは再び、俺の頭を抱えて悶えた。


『違う、違う違う違う違う。私はそんなものを欲したことは』


 嘘だ。

 本当は、ずっとずっと誰かが、自分の存在を認めて名前を付けてくれるのを望んでいた。


『名前など、どうでもいい。私が私でありさえすれば』


 お前はそう言って、自分を偽ってきた。

 テラのことを心底羨ましがった。あいつには名前が沢山あったからだ。ゴルドン、テラ、深紅、シン、アウルム……。人間と契約を結ぶ度にあいつは名前を貰っていた。それが羨ましかった。だから一層あいつを恨んだ。


『違う。それは金色竜が人間と同化して私に刃向かおうとするからであって』


 お前は、誰かの唯一になりたかった。

 自分を恐れたり、或いは崇めたりして付けられた、肩書きのようなものじゃなくて、自分を敬愛し、自分だけの名前を付けてくれる存在を、ずっと欲していた。

 白い見た目から同じ竜ともつるめず。

 人間からは恐れられ。

 心を開くことを知らず、お前はどんどん捻くれた。

 終いには黒い湖に身を委ね、心まで全部真っ黒にしてしまった。

 心を閉ざして、誰にも触れさせず、だけれど本当は、寂しかった。



 愛されたかったはずだ。



 偽りの名前を名乗る度、お前は与えられる行為がどこに向かっているのか悩んでいた。美幸が“キース”と呼んだとき、お前はそれが自分ではなく、自分がうつわとしている人間に向けられた言葉なのだと気が付いた。

 名前というものを与えられたことのないお前は、自分をどう呼ばせたら良いのか、考えることすらできなくなっていた。

 名前とは何だ。それは必要なものなのか。

 何故人間は名前を欲するのか。

 名前など、個体を判別するための記号に過ぎないのではないか。

 お前の記憶の随所に、そういう気持ちが見え隠れしていた。

 グラントが懸念した通り、お前の力は向かうところを間違えた。本来ならば、お前の力は破壊じゃなくて。






 ほんの、ボタンの掛け違いってヤツだ。



 グラントがあんなに頑なじゃなかったら。



 竜たちがお前を爪弾き者にしなかったら。



 誰かがお前に優しくしたら。



 手を差し伸べていたら。































 誰かが、お前を愛し、お前だけの名前を呼んだなら。

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