一番欲しかったもの3
柔らかい少女の手が、俺の右手を包み込んでいる。
制服姿の彼女は、少しはにかんだような顔で上目遣いに俺を見た。
「今日はありがとうございました。私、迷子になったの一度じゃなくて。もしよかったら、またここに来たとき、相手をしてくださいますか」
「ああ。構わないよ」
俺は彼女に優しく微笑んでやる。
薄暗くなった街の中、ネオンの光が柔らかく彼女の顔を照らしている。彼女は、未だ高校生だった頃の芳野美幸に違いなかった。
そっと手を離すと、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめて、俺の手を握っていた両手を自分の胸に当てた。
「名前、教えていただけますか」
彼女に言われて、俺はビクッと身体を揺らした。
「名前?」
思いも寄らぬことを言われたのだろうか、身体が急にほてり始める。
「私、美幸です。芳野美幸。あなたのお名前は?」
彼女のキラキラとした目が、逆に俺を追い込んでいく。
『何と答えればいい? 名前? この個体の名称……? 個人を区別するための記号?』
目を泳がす。どうにかそれらしきことを答えねばならない。
「キ……、キース。私のことはキースと」
『この個体の名は、確かキース。彼女の求めているモノは、それに違いない』
「キース。ありがとう。また」
名前を聞くと、彼女は嬉しそうに声を弾ませた。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
肺に水が入り込み、息苦しさで目を覚ます。
記憶だ。
ドレグ・ルゴラの記憶。
ヤツが俺の意識を身体の奥底に閉じ込めようとすればするほど、ヤツの過去が見えてくる。孤独で惨めだった白い竜が、どんどん心を歪めていく様が見えてくる。
ヤツは肺から全部空気を吐き出すようにして水竜を振り払った。竜の身体は水に戻って霧散した。
全身びしょびしょになると、急に冷えが襲ってくる。それまで感じていなかった外気の冷たさが、身体の隅々にまで貼り付いてくる。
ぶるんと身体を振るい、炎の魔法で一気に身体を乾かすが、芯までは温まらない。それどころか、ヤツの震えは増す一方だった。
『何を……見ている。リョウ、貴様、私の何を見ている』
肩で息をしながら、ヤツは脳内の俺に訴えかけた。
『戦いに集中できない。どんなに強くなっても、力を使えないのでは意味がない。何故お前は私の心をかき乱す。私はお前の身体を奪った。お前の魂を奪った。お前は全てを失ったはずだ。なのに何故、まだ抵抗を続けるのだ』
ゴーレムに続いて、大型の狼が二体錬成されていた。ノエルが限界を突破すべく、ありったけの力で次から次に魔法生物を出現させているようだ。
その他にも数カ所で魔法の気配がする。
立ち上がって攻撃を仕掛けねば、逆に攻撃を受けてしまう。わかっていても、ヤツは俺の身体を上手く動かせなくなってきている。
『見るな。これ以上、私の過去を』
両手で鎌を振り上げ、ぐるんぐるんと何度も回す。その軌道に無数の魔玉を発生させ、拡散。四方八方に闇の魔法が弾けていく。ひとつひとつの威力が凄まじく、爆弾が破裂したような振動と音が静かな世界に響き渡った。氷のプレートが激しく揺れ、砕け、足元を取られそうになった仲間たちが、互いに助け合いながら逃げている。
『何がしたいのだ、リョウ。お前は私に完全に取り込まれた。それでもなお、お前は抵抗を続ける。お前は一体、何者――』
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
「“美桜”って、名前。どう思う?」
膨らんだお腹をさすりながら、美幸が肩を寄せてくる。
「“美幸”の“美”の字と、“桜”。桜は、私の住んでいる国で愛されている木の名前。皆に愛される子どもに育って欲しい。そう願って付けたの。どう思う?」
少し遠慮がちな美幸に、俺はそうだねと愛想なく呟く。
『人間は、名前を付けたがる』
頭の中で、身体の主は思考を巡らす。
『愛でるための名前か。識別するための名前か。どちらにせよ、直ぐに名前を付けたがる。いや、人間だけではないな。竜たちも、互いに名を呼んでいた。しかしグラントは、私に名前を付けなかった。私は自身の子ではないからか? 私の名は何だ。キース、……ではない。それはこの人間の名前。私は何と呼ばれていた? 今まで私は、どんな名で呼ばれていた?』
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
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