飢えと孤独5
肩で息をしていた。
頭が酷く興奮していて、視点がなかなか定まらない。口元はやたらと緩んで、腹の底から笑いがこみ上げてくる。
目の前には人間の姿に戻った美桜が。
白いワンピースはあちこち血で汚れているが、彼女の血ではなさそうだ。
怯えた目。絶望した目。
足元に転げた道具袋と両手剣が、俺がさっきまでそこに居た証。
「戻ったか」
手を何度も握り直し、肩を回して感覚を取り戻そうとする。本来あるべきところかどうか、要するに身体と意識が一致したのだから、違和感はない。
身体に回っていた毒素が抜けた分、軽く感じる。毒はどうやら、俺の意識体を美桜から引き剥がすためのもの。その証拠に、美桜自体が毒にやられている様子はない。彼女は怯えながらも毅然とした態度で俺を睨み付けた。
「返してよ」
震える声で美桜が言う。
「凌を返して」
止めどなく流れる彼女の涙を拭くことすら許されない。
「初めから、お前の物ではない。私が先に見つけた。私の
ヤツは俺の声でとんでもないことを口走る。
それを彼女が許すはずもなく。
「違う。凌は私と契約した。私の大切な人」
睨み付ける美桜に、俺は手のひらを向ける。魔法陣だ。古代文字だが、これは読める。美桜の記憶の中で見たあの魔法陣。
――“偉大なる竜よ、血を滾らせよ”
刻まれていく文字に対し、美桜は慌てて別の魔法をぶつけてきた。文字が砕け、魔法陣が光を失う。
強制的に魔法を終了させられたことにヤツは驚いて、あからさまに機嫌を悪くした。
「あなただったのね」
美桜はギリリと歯を食いしばって俺を睨む。
「何の魔法かわからず、一度凌が使ってしまった。私もてっきり力を増加させる魔法なのだと思って、何かあったら使えば良いとそればかり。違う。本当は、私の中の白い竜の血を蘇らせる魔法。凌が一度使ったことで、しかも大量の魔力を注ぎ込んだことで、急速に私の力が高まってしまった。知らず知らずのうちにレグルノーラに呼び寄せてしまっていた悪魔の出現率が上がってしまったのも、ゲートが広がりやすくなったのも、黒い気配がやたらと漂うようになったのも、あの魔法が切っ掛けだった。あなたは“裏側”から、私は“表側”から。互いに穴を広げるようにする。結果、グラウンドに巨大な穴が空いた。まんまとあなたは凌を湖におびき出すことに成功し、身体を得てしまう。意識がなかったとはいえ、竜になってあなたの悪巧みに加担してしまった。許せない。何がしたいの。凌の身体を奪って、あなたはどうなりたいの」
「どう……? とは?」
「二つの世界を破壊した先には何があるの? 支配したいの? 自分を崇拝させる世界でも作りたいの?」
「馬鹿馬鹿しい」
「じゃあ何? わからない。あなたはどうしてこんな恐ろしいことを」
「目的がなければ破壊行為を愉しんではいけない? 破壊そのものが目的だとしたら?」
ドレグ・ルゴラの言葉に、美桜の表情が凍った。
目が泳ぐ。
自分の常識が通じない相手だと気付き始める。
高ぶった血が彼女の手足に白い鱗を浮かび上がらせていく。彼女の茶髪が少しずつ白く変化していって、背中に竜の羽が生えだした、そのとき。
ふいに後方で巨大な力を感じ始めた。俺の身体は危険を感じ、慌てて振り向いていた。
魔法陣だ。
銀色に煌めく魔法陣が、俺の直ぐ側で展開していた。
気付かなかった。自分のことで精一杯で、すっかり皆遠くに行ったのだとばかり。
砕け、沈んでいく氷塊の奥に、疎らながら人の姿がある。赤いのはディアナ。その直ぐ隣、黒いのがモニカ。小さいのがノエルで、ローラ、ジーク、シバ、レオ、ルーク、ケイトとエリーの姿もある。
魔法陣の文字はこうだ。
――“破壊竜ドレグ・ルゴラと救世主リョウの身体を強制分離させよ”
嬉しかった。ありがたかった。
けれど今は未だ。
ヤツは俺の顔でニヤリと笑った。氷に刺していた大鎌を手に取り、魔法陣に向かって大きく一振り。黒い炎を含んだ風が突き進み、魔法が発動する前に、魔法陣を真っ二つに割ってしまう。
せっかくの魔法陣が砕け散った。
霧散した魔法の粒も、黒い炎にかき消された。
そして次の瞬間、俺はディアナたちの真ん前に立っていた。驚いた顔、恐怖した顔で俺を見る面々。変わり果てた容姿に愕然としているようにも見える。
「お前は一体、何者だ……」
震える声でディアナが言う。
俺はクククと喉を鳴らす。
「さぁ、何者だろう。名乗る名前など持ってはいない。好きに呼ぶが良い」
俺の声がそう言うと、皆益々震え上がって、数歩後ろに引いた。
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