存在意義4

 船内は混乱していた。慌てふためく乗組員たちの声と、どよめく能力者たちの声が入り乱れていた。甲板へ上がる前から邪悪な気配が空気を伝ってくるのがわかる。穏やかだった水面が波打ち船を揺らし続け、俺たちは何度も転びそうになった。

 ようやく甲板へ戻った俺たちを待っていたのは、黒い風だった。

 どわっと空気を震わす黒い波動が空から降ってくる。晴れかけていた空に暗雲が立ちこめ、辺りはすっかりと暗さを取り戻していた。

 船から放り出されまいと、甲板に居た各々は船縁やマストにしがみついている。

 まるで嵐だ。

 俺と美桜も、船体の壁にしがみつき、なかなか前に進むことができない。


「――空が!」


 誰かが叫んだ。

 声に釣られて頭を上げると、空に大きなヒビが入っているのが見えた。ヒビはまるでガラスを割ったときのように広がっていく。

 ミシミシと空全体が震えたかと思うと、バリンという強烈な音が響いた。

 巨大なガラスの欠片が空から剥がれ落ち、ドボンドボンと湖に吸い込まれていく。

 何かが外側から空を割っているのだ。

 空の隙間から巨大な手が見えた。白い手。鉤爪の付いた、竜の手。



 ドレグ・ルゴラだ。



 誰もが唾を飲み込んだ。

 空の隙間は容赦なくどんどんと広がっていく。

 先ず右腕が、肘まで全部突き出してきた。

 大きく開いた手のひらに誰もが戦慄し、声を失う。

 一旦腕が引っ込み、フッと胸を撫で下ろした瞬間、今度は巨大な目が二つ、空の隙間から覗いた。


 見ている。

 探している。

 俺を。

 俺と美桜を。



 ギョロリと眼球がこちらを向いた。

 目が……、合った。



 そこから先、ヤツが穴を突き破るまで時間はさほどかからなかった。

 穴に頭をねじ込んだかの竜は、そのまま力任せに空を突き破った。空はどんどんと穴を広げ、堪えきれぬように大きな欠片をどんどん湖に落としていく。

 空の欠片が落ちる度に湖面は揺れ、船体も大きく揺らされた。

 何だコイツ。

 なんて凶悪な、なんて強烈な。

 ヤツの全身が穴から這い出し、大きく羽を広げると、帆船はすっかりとその影に覆われてしまった。

 デカい。

 だだっ広い湖だけの世界が、まるで小さな溜め池になってしまったような感覚に陥ってしまう。

 かの竜は咆哮した。

 天が震え、水が震えた。

 命が全部吸い取られたような絶望感が辺りを支配し、誰一人、動くこともできなかった。

 黒い気配を纏ったかの竜は、己の咆哮に満足したのか、崩れ落ちた空を見上げてしばし静止していた。

 崩れ落ちた空の隙間からは、暗雲立ちこめる別の空が覗いて見える。あれは、もしかしてリアレイトの。

 次の瞬間、かの竜の白い身体がパッと弾けたように見えた。

 何が起きたか理解できず、眼をキョロキョロとさせていると、ふいに船上がざわついた。



「凌が――……、もう一人居る……?」



 美桜の震えた声で状況を把握する。

 甲板の真ん中に、全身黒ずくめの男が立っていた。

 邪悪な気配を隠すこともせず、己の感情を抑えようともしていない、悪意の塊がそこに居た。

 心音が激しくなっていく。呼吸が荒げる。

 頭がぼうっとし、意識が遠のきそうになる。


「来やがった」


 俺はそう言って、ヤツを睨み付けた。

 かの竜ドレグ・ルゴラに乗っ取られた……、自分自身を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る