存在意義3

 船室には、俺と美桜だけが残った。

 ドアの向こうから足音が遠のくのを確認して、俺たちは再び見つめ合った。


「本当に良いのか」


 と訊くと、


「お願いします」


 彼女はらしからぬ敬語で俺に返した。

 緊張でガチガチで、とても契約なんてできそうにない。

 俺は彼女の背中に手を回して、グッと自分の胸に抱き寄せた。ギュッと抱擁すると、彼女は少しずつ肩の力を抜き、やがて俺の背中に腕を回してきた。

 ハグすることで、緊張がほぐれるらしいとどこかで聞いた。しばらく抱き合ったままでいると、心拍数も呼吸数も少しずつ落ち着いてくるのがわかる。


「契約したら、元に戻すことはできない」


「わかってる」


 そう言って、彼女は鼻をすする。


「それに、同化して竜化しても、ドレグ・ルゴラには勝てるかどうか。なにせあいつは、俺の身体を奪っている。もし対峙したら、意識が身体に引っ張られるか、身体が意識に引っ張られるか想像が付かない。場合によっては最悪な事態も引き起こるかもしれない。それでも、構わないのか?」


「大丈夫」


 大丈夫なもんか。

 泣いてる。

 怖いくせに、どこまでも強がって。


「キス……してもいいか?」


「え?」


 美桜が涙に濡れた顔を上げる。


「契約したら恋人同士じゃなくなる。干渉者と竜の関係になる。最後の、キス」


 言うと、彼女は眉間にシワを作り、口をひん曲げて涙をボロボロと零した。


「凌の馬鹿。最後なんて言わないでよ」


 唇と唇が合わさって、互いの息が混ざり合った。

 絡めた舌が頭を痺れさせる。

 麻薬だ。

 彼女との関係という麻薬をもって、どうにか危機を乗り越えようとしている。

 彼女がそれをどう思っているのか、俺には全く分からない。

 ただ、彼女もいつも以上に俺を求めたし、俺も彼女を求めた。

 いっそのこと最後まで、なんて思ったりもしたけど、そこは理性で止めた。

 ゆっくりと唇を引き剥がす。

 そうして、目と目で合図し、彼女の同意を得る。

 足元に魔法陣を描いた。二人がすっぽりと入る大きさの魔法陣だ。内側の円には普段よりも多く重ねた三角形。時計回りにゆっくりと回ってゆく。二重円の間には、文字を書き込む。レグルの文字じゃない。相変わらずの日本語。見てくれより内容重視で。


――“我、ここに竜と契約を交わす。互いの命が尽きるまで、我は竜を信頼し、竜は我に尽くす”


 テラと契約したときの言葉は、今もはっきりと覚えている。

 これが俺の運命を大きく変えた。

 決して生易しい言葉じゃない。重い重い言葉。

 テラはその言葉の通り、ヤツに握り潰されるまで、ずっと俺の相棒だった。

 美桜は足元で書き込まれる文字をひとつひとつ凝視しながら、何度も頷いた。そして全部の文字が書き込まれると、ゆっくり俺の顔を見る。


「……互いの命が尽きるまで、我は竜を信頼し、竜は我に尽くす」


 魔法陣の言葉を呑み込むようにして、二人、丁寧に文字を読んでいく。

 文字が、ゆっくりと魔法陣から剥がれていった。リボン状に連なった文字列が、らせん状になって俺と美桜の周りを囲う。グルグルと何度も何度も文字は巡り、やがて光を緩めた文字たちは、リング状になって俺と美桜の頭上へ移動していった。文字が身体に侵入し、脳に焼け付いた音がする。焼けるような痛烈な痛みと共に、俺たちは契約完了を知った。

 本当にこれでよかったのか。

 干渉者の先輩として俺の前をずっと走ってきたはずの美桜を、こんな格好で受け入れるべきだったのか。

 迷いはあった。けれど、他に手立てが見つからなかった。


「もう、後戻りはできないわね」


 彼女が小さく笑った直後、大きく船が揺れた。

 激しい波音と、叩き付けるような振動が甲板から伝ってくる。

 船上で何かが起きている。

 俺と美桜は顔を見合わせ、互いに頷き合った。言葉を交わすこともなく、船室を出て甲板に急ぐ。

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