暴走2






















 風を感じた。生温さの中に冷たさが混じっている。

 生臭さのない、慣れた臭いがする。リアレイトの空気の臭いだ。

 浮遊感があった。空気抵抗を感じる。

 実体化しきれていない黒いもやのまま、俺は街の上を飛んでいた。

 朝、漸く動き出した街にはたくさんの人と車の姿がある。それをドレグ・ルゴラは面白そうに眺めている。

 ヤツは徐々に高度を下げた。ビルとビルの間を縫うように、大きな道路の上を沿うように、線路の上をなぞるように。レグルノーラよりもずっとずっと広いこの世界をくまなく回ろうとしているのか、何かを物色しているのか。しばらくの間、実体化せずに飛び続けた。

 ふいにヤツがニヤリとしたのは、駅から大勢の人が出てきたとき。通勤時間帯に入り、満員の電車が次から次へ走っていた。これが随分と面白かったらしい。

 ヤツは急激に高度を下げ、人の波を追いかけるように進み、人混みの中へと侵入した。そして、人の流れを遮ることなく俺の身体を実体化させ、そのまま雑踏に混じっていく。

 誰も気付かない。

 黒いモノが横切って、いつの間にか一人増えているのに、誰も注目しない。全身黒の格好も、“こちら”では違和感なく馴染んでいく。

 それがまた、ヤツの興味を惹いた。

 背の高いビルの谷間、スクランブル交差点に差し掛かると、人間の数は一気に増した。レグルノーラじゃまずあり得ない光景に、ヤツの興奮は頂点に達したらしかった。


「さぁて」


 言うと、ヤツは突然立ち止まって、右手を高く掲げた。

 後ろから歩いてきた誰かが対応しきれずに背中に当たって消えていくが、ヤツはそんなものに構いはしない。こんな所で立ち止まって迷惑なと、その程度の視線は浴びせられても、誰も罵倒することもない。


「恐怖の始まりだ」


 ヤツはニタッと笑い、右手に意識を集中させた。


「――何だアレ!」


 周囲がどよめき出す。


「え、何?」


「上!」


「な、何コレ! 光って……!」


 ビルの壁に突如赤黒い光が映り込んだ。熱を持った巨大な光の玉が、人垣の真上に浮いている。直径数メートルはあろうかというそれは、徐々に徐々に膨らんでいった。

 一定方向に進んでいた人の波が、その動きを絶った。人々は恐怖の色を浮かべて散り散りに逃げ惑う。叫ぶ者、恐れる者、倒れて動けなくなる者。光が何だかはわからないが、決してまともなものじゃないと、誰もが本能的に感じたのだろう。まるで熱せられた溶岩を丸くしたような玉は、恐怖の色でしかない。

 交差点で止まっていた車からも、大勢の人が逃げ出した。何が起きようとしているのか、あの不吉な色の光は何なのか、とにかく逃げなくてはならないとパニックを起こしている。

 それを、ドレグ・ルゴラは喜んだ。

 天に掲げた手をギュッと握りしめる。

 同時に、赤黒い光は圧縮され、バンと弾ける――。

 激しい熱風が巻き起こり、四方八方のビルというビルが吹き飛ばされた。そこに居たはずの人々が影となり、塵となり、跡形もなく消えていく。車が宙を舞い、信号機は倒れ、街路樹が飛ばされる。

 それだけじゃない、熱は周囲のあらゆるものを焼いた。漏れたガソリンに引火し、あちこちで爆発が起きる。連鎖的に起きる爆発で、熱風に飛ばされなかった車にさえ被害が及ぶ。密集した街に逃げ場はない。黒く立ち上る煙、崩れ落ちるビルの壁、骨組みだけになった建物や逃げ遅れた人々のバラバラになった死体。

 けれどそんな中でも俺だけは無傷で。

 ――ケタケタと笑っている。

 自分が作り上げた恐ろしい光景を横目に、俺は腹を抱えて笑っている。

 最……悪だ……。


『最高だ。力がとどまるところを知らない。リョウ、お前の身体は最高だ』


 ――ドレグ・ルゴラ……、そんな言われ方をしたところで俺が、喜ぶとでも。


『あの卑しき金色竜よりも、私の方がお前とは相性が良かったということ。キースの時よりも更に力が出せる』


 い……嫌だ。やめてくれ。

 俺はこんな風になりたかったわけじゃない。

 元に戻すんだ。

 早く元に。


『時間は不可逆だ。お前は何度も心の中でそう言った』


 また俺の記憶を探ったな。

 やめろ。

 俺は、お前のうつわなんかじゃ。





















・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・

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