【29】悲しみと憂いに寄せて

135.暴走

暴走1

 光を抜ける。

 魔法によって分解された身体を徐々に具現化していく。

 人工的な冷たさを肌に感じ、うっすらと目を開く。

 暗い部屋。見覚えがある間取り。窓際にベッドがある。花柄の絨毯、少女趣味の家具、クローゼット。優しい花の香りが充満している。

 外は夜らしい。静かすぎるくらい静かな夜。遠くで車が走る音が時々する程度の、本当に静かな夜。

 ベッドに誰かが眠っている。顔を覗く。

 美桜だ。

 背中の羽を潰さぬよう身体を横にして、半竜状態の美桜がぐっすりと眠っている。完全なる人間には戻れなかったのか、もう戻ることはできないのか。それでも彼女は十分に綺麗だ。カーテンの隙間から入る月明かりに照らされて、闇の中に赤茶色の髪と白い竜の羽の一部を浮かび上がらせている。

 ドレグ・ルゴラは俺の目を通し、じっと彼女を見下ろした。

 何を考えている? ……わからない。

 ヤツは必要最低限しか俺と話さない。俺が頭の中でどんなに叫んでも知らん振りだ。

 暗がりの中でも、ドレグ・ルゴラにはハッキリと彼女の顔が見えていた。

 ヤツはそっと彼女に手を差し伸べた。頬を撫で、


「ミオ」


 と俺の声で名前を呼ぶ。

 声に反応して美桜がピクリと動くと、ヤツは嬉しそうに頬を緩めた。


「迎えに来た」


 耳元まで身体を屈めて囁くが、美桜は起きない。

 ヤツはそれを確認すると、にんまり笑って彼女の頬から胸へ手を動かした。

 小さな魔法陣を描く。俺に字が見えないように、ヤツは彼女の胸に直接魔法陣を描いた。寝間着の内側に一つずつ文字が刻まれていく。全ての文字が刻まれ、今からそれが発動されようかというときに、誰かが後ろで物音を立てた。


「――誰だ」


 俺はブルッと身体を震わせ、後ろを振り返った。

 部屋の入り口が開いて、誰かがこちらを見つめている。廊下の明かりが俺の姿を浮き上がらせていく。


「凌?」


 ディアナの声。

 ドレグ・ルゴラは俺の身体を素早く黒いもやへと変えた。身体が闇に溶ける。

 俺の意識もそこで途絶えた。





















・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・





















「結界は解かない方がいい」


 と、ディアナは言った。

 黒いもやはひび割れた結界の外に徐々に漏れていたが、それでもまだなんとか学校の敷地を周囲の目から隠している。

 既に日は落ちていて、周囲はすっかりと暗くなってきていた。

 グラウンドに散った残骸はそのままで、どうやらこれはあの戦いの直後の映像らしい。消防や救急車の音、警察や機動隊の車両、さらにはマスコミのヘリの音まで聞こえていて、外で大事になってしまっていることが容易に想像できた。


「魔法の効果が続いているということは、凌はどこかで生きているということ。凌はかの竜を仕留めるつもりで旅立ったと、私は信じている。私たちも自分たちにできることを存分にしなければならない」


 ディアナの意見には皆賛成で、各々こくりとうなずいた。


「けれど、破壊された学校や、それを目撃した人の記憶、大穴に落ちたり魔物に襲われたりした生徒は元に戻りません。僕たち一般人がどうにかできるレベルじゃない」


 言ったのは芝山だった。

 乱れたキノコ頭と汚れた眼鏡をそのままに、唇をきゅっと噛んでいる。


「結界から出なきゃ、飯も食えないし休むこともできない。オレたちも人間なんだ、ここにずっと居座り続けるなんて無理だ」


 ノエルもぐったりの様子。腹を擦って空腹を訴える。


「転移魔法……で、当面凌ぐしかない」


 ジークが口を挟んだ。


「さっきコンビニで買い物したときも、一旦魔法で外に出て、少し離れたところへ行った。学校の周囲は人と車で溢れかえっててまともに身動き取れそうもなかったから。シバも怜依奈も、魔法で家まで送るよ。美桜も……、このままにしておくわけにはいかない。彼女のマンションに運んで、あとは家政婦の飯田さんにきちんと事情を話す。結界を何重にも張って、できる限り美桜の存在を隠そう。僕含め、レグル人も匿って貰う必要があるし、何より拠点がないことには動きづらい」


「それでも、交替でここは見張らなきゃならないよ」


 ディアナが顔を険しくする。


「穴だらけの結界を塞ぐ必要もあるし、全てのゲートが安全になったとも限らない。かの竜も、かの竜の使いも倒せていないんだ。それに、結界の外だって安心できるとも限らない。この敷地内で収まってくれていればだが、広すぎる表世界の別の場所でも同じ事象が起きるようなら、私たちは手も足も出せなくなる」


「つまり、誤魔化して堪えろってことですか」


 芝山が突っかかった。

 ディアナはこくりとうなずいて、全員に目配せする。


「口を悪くすれば、そういうこと。それに、美桜だって今はこの状態で落ち着いているが、いつまた巨大な竜になるかわかったもんじゃない。竜石を近くに置くなりして何かあったとき対処できるようにしなくちゃならない。……耐久戦になるかもしれない。凌が“向こう”でどう決着を付けようとしているのかはわからないし、上手くいくのかどうかも不透明だ。レグルノーラとは違って、“この世界”では、“表と裏”が存在しているという認識はないんだろう。理解して貰おうにも、政治体制が複雑すぎる」


 塔によって一元管理されているレグルノーラとは違う。

 それは、皆を納得させるには十分すぎた。





















・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・

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