理由3











 激しい空腹で目を覚ます。

 ひとしずくの水分でも欲しい。そう思って伸ばした手は、人間のそれではなかった。

 長い鉤爪のある爬虫類系の手には、未だ幼さが残っている。

 幼少のドレグ・ルゴラに入り込んでいると、俺は直感的に思う。ここしばらく、何故かしらヤツの記憶の中に意識が紛れ込む。まだ恐ろしい竜ではなかったヤツが、心を狂わせていく過程を少しずつ見せつけられる。


「白い……。竜の子か」


 大人の声がして、ヤツはゆっくりと身体を起こす。

 深緑の年老いた竜の巨体が覆い被さるようにして覗き込んでいる。


「誰の子どもだ……? 可哀想に。お腹を空かせているんだね。おじさんが食べ物を採ってきてあげよう」


 いずれヤツが“おきな”と呼ぶその老竜は、優しい声で不安を取り除こうとしてくれた。

 直ぐ側に、卵の殻があった。

 誰にも見守られず、ヤツはここで生まれたらしい。

 卵を温めていただろう親竜の姿はない。

 薄暗い森の奥。ヤツは初めから、孤独の中に居た。


 翁の大きな背中に揺られ、白い竜は初めて群れに合流する。しかしそこで直ぐに、ヤツは地獄に落とされる。


「グラント、背中の白いのは……?」


 森の少し開けた場所には、ゴツゴツとした大きな岩が幾つもあった。せり上がった太い木の根っこは、小さな竜たちの格好の遊び場となっていた。薄暗い森の中に柔らかな陽が差し込み、チラチラと木の葉が光っていた。

 静けさをかき消すように現れた幼い白竜に、まず成竜たちがどよめいた。続いて子ども竜たちが成竜らの陰に隠れた。

 グラントの背中からゆっくりと下ろされた白いヤツの身体を、成竜たちはまじまじと見つめている。


「白い、竜の子だ」


 そう紹介された白い竜は、集まった視線にすくみ上がった。


「あり得ない色だ」


 と誰かが言う。


「誰と誰の子どもか」


「白い色は森では目立つ。生まれる場所を間違ったのでは」


 と言う者までいる。


「森の外に広がる砂漠なら、白い鱗の色も隠せましょう。そこへ連れて行くという手は」


 しかし、グラントは食い下がらない。


「既に弱っている。親もない。同じ竜として見捨てるわけにはいかない。儂がこの子を育てよう」


 グラントの固い決意に、皆は渋々歩調を合わせる形で頷いたが、実際、腹の内はもやもやしていたに違いない。

 白い竜を連れたグラントが自分のねぐらに帰ろうとするその後ろで、竜たちはわざと聞こえるように彼を嘲った。


「あんな醜い白い竜を、何故育てようなどと」


「白い竜など聞いたこともない。悪いことの始まる前触れでは」


 まだ言葉のわからない小さな竜であったヤツにも、その悪意は届いていた。



 自我が目覚め始めた頃には、ヤツは自分なりのしっかりとした考えと力を持つようになっていた。しかし、会話の相手は年老いたグラントだけで、同じ年頃の竜たちとは遊ぶこともなかった。

 相変わらず成竜たちは白い竜をさげすんでいたし、それを見ていた子ども竜たちは、白い竜と一緒に遊ぶことをはばかっていた。



 グラントはヤツを“白いの”と呼んだ。



「白いの、お前はもっと他の竜と交わらねば」


 しかし、ヤツは首を横に振る。


「翁、僕は皆の輪には入れません。皆が、嫌な顔をする」


「しかしな、白いの。これから長い時間を生きていくためには、様々な相手と一緒に生きていくことを考えねばならぬ。いつまでも儂のような年寄りと一緒では、お前の先が思いやられる」


 グラントはこうやって、時々ヤツを諭していた。


「先なんて」


 とヤツは言う。


「嫌われていると知って、その場に飛び込むことの辛さを、おきなは知らない。彼らは僕を居ないものにしたい。それでも殺さないのが竜の気高さなのだとしたら、僕は竜である必要がないのではないかと思うのです」


「……不思議なことを言う」


「そうでしょうか。僕は白く生まれて良かったと思うことは何一つなかった。おきなが拾ってくれなかったら、獣の餌になっていたでしょう。それでもよかったのではないかと思うことがあるんです。僕は、生まれるべきではなかった」


「そんな恐ろしいことは、言うべきではない」


「いえ。敢えて言います。僕は、生まれるべきではなかった。誰にも必要とされないということは、つまりそういうことなのです」



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