哀愁2
ビクンと、身体が波打った。
最初に手が竜化した。テラの時とは違う、細かな白い鱗。黒い袖の下で膨れあがった腕は、簡単に上着を破った。
俺の身体の変化に気が付き、マシュー翁が声をひっくり返して叫んだ。
辺りの何人かが、翁の叫び声で動きを止める。
視線を感じる。複数の目が俺を凝視している。
人間じゃないものに
白く巨大な竜に変わっていく俺を。
それは今まで浴びせられたどんな視線よりも冷たい――見開かれた目には恐怖の色が沈着し、ざわめきと悲鳴が辺りに充満する。死を悟った声たちは絶望に狂いだし、ありとあらゆる光を遮っていく。
俺は、俺の身体は最早俺の物ではなかった。存在するはずはないと言われ忌み嫌われてきた白い竜、その姿を見たものは死ぬと言われてきたおぞましい竜。そんなものに、俺は。
意識が飛ぶ。
まただ。
俺は、こんなことをするために踏ん張ってきたわけじゃ。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
川面に子どもの顔が映っている。
小さな男の子。
手を伸ばし水に手を付けると、子どもの顔はかき消される。
未だ小さな手。柔らかい曲線だけで構成された、丸みの残った手。
濡れた手を一度膝に置き、もう一度川面を覗く。
すると、川の底に不思議な物が見えてくる。
田んぼの中の小さな川に屈み込む俺。そうか、これは俺の記憶。
四歳の頃、じいちゃん家の裏の堰に落っこちたんだ。
見えていたのは街の風景。ミニチュアを上から眺めているような不思議な感覚。この日はそれが鮮明に見えていた。だから俺は、手を伸ばせば掴めるんじゃないかと思ったんだ。
お風呂の中、水たまり、洗面器にも。水のあるところには映った景色と一緒に、不思議な物が映る。それは見たことのない建物だったり、生き物だったり、人だったりした。未だあの頃は小さくて、自分に見えていたものは全部人にも見えていると思っていた。だから疑問にも思わず、それが日常の光景だと信じ切っていた。
見えなくなったのはいつからだろう。
誰も俺の言うことを信じてくれないと悟った、小学校低学年の頃だったろうか。
「あの川の中に、女の子が棲んでるんだよ」
じいちゃん家に帰る度、俺がそんなことを言うもんだから、兄がぶち切れたんだ。
「凌、嘘ばっかり言うと、誰もお前のことを信じなくなるぞ」
心底傷ついて、俺は嘘つきなんだろうかと心を閉ざす切っ掛けになった。
自分の目に見えている物が真実で、そうじゃないものは信じない。そういう世の中の常識を徐々に知るようになり、俺は自分のことを人とは違う、変なヤツなんではないかと思うようになっていった。
図工は嫌な時間だった。
車は空を飛ぶ物だと思っていた俺は、車のおもちゃを作るとき車輪を付けなかった。
「来澄君、タイヤはどこに行ったかな。このパーツだけ残ってるよ」
先生に言われて俺は、
「走るときは浮くから、要らないかなって」
何の気なしに言ったのに、クラス中の笑いものになった。
「バッカじゃねぇの。コイツ、車見たことないんだ!」
「車走らせるのにタイヤ要らないって、変なの!」
街を走る車には確かに車輪はあったけれど、『自由に、未来の車を作りなさい』という課題に沿ったものを作ったつもりだった。未来の車には車輪がない。車は宙に浮いて、あっちこっち好きに飛び回る。だからタイヤは要らない。そういうのは俺の中だけの常識で、世の中の常識じゃない。
想像するということは馬鹿にされること。
自分の目に見えていた不思議な光景を話すということは嘘を吐くということ。
虚言癖、妄想癖があると揶揄され、俺は空想を止めた。
――『もうちょっと、自分を信じてもいいんじゃない?』
美桜に言われるまで、俺は自分をずっと欠陥品だと信じて疑わなかった。
・・・・・‥‥‥………‥‥‥・・・・・
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