白い竜4

「ダメだ。そんなこと。絶対」


 俺は首を左右に大きく振った。


「君を殺すなんて、絶対に」


 ――絶対に?


 ドンと激しく胸が鳴って、俺の呼吸は一瞬止まった。

 発作というのだろうか。それまで何の前兆もなかったのに、俺の身体は急に悲鳴を上げ始めた。

 心臓が、痛い。

 直接心臓を握られて、押し潰されているような感覚。



『誓いを忘れるなと、私は言った』



 遠くでディアナの声がする。



『今後どんなことがあろうとも、“裏の世界・レグルノーラ”を救うことを絶対に放棄しないと誓ったはずだ。私たちレグルノーラの人間に対し、命をかけろと。例外などない。わかっていたのだろう』



 声は直接頭に響いた。

 ディアナ自身はまだレグルノーラに居るはずなのに、俺の動きをしっかりと見ていたらしい。流石は塔の魔女。ほんの少しの迷いさえ見逃さないらしい。



『白い竜が目の前に現れた。つまりそれは敵だ。いいか、最終警告だ。お前はレグルノーラを救わねばならない。白い竜は世界を滅ぼす。完全に竜となってしまえば、恐らく勝ち目はない。美桜はもう、愛しい姿には戻れない。殺すなら今しかない。覚悟を決めろ。感情は押し殺せ。お前以外に白い竜に立ち向かえる人間はいないのだということを思い出すのだ』



 本当に、殺すしかないのか。


 俺が、美桜を?


 ディアナはつまり、死にたくないなら美桜を殺せと。


 幼い頃から気にかけていた不幸な少女を、ディアナはいとも簡単に殺せと言う。


 彼女は好きで白い竜になるのじゃない。

 自分の生い立ちも知らず、孤独に生きてきただけの可哀想な少女だ。


 悪いのはドレグ・ルゴラであって、美桜じゃない。

 真に倒すべきはあの邪悪な白い竜。

 それなのに、ディアナは。



「――来澄! 正気に戻れ!」


 芝山の叫び声で我に返る。

 足元がぐらぐらと揺れ、部室の天井がひび割れ、崩れてきていた。

 目の前には大きな白い竜。小さな部室に納まりきれないほど肥大化した竜は、天井を突き破り、壁を壊し、窓ガラスを破壊していく。

 既に廊下に逃れた須川たちが、逃げ遅れた俺の名前を何度も呼んでいた。

 最後に残ったのは俺と芝山。部室の入り口で、必死に逃げろと訴えている。


「潰されるぞ!」


 言われて気が付く。

 部室の容積の殆どを白い竜の身体が占めて、俺はだんだん身動きが取れなくなってきていた。唯一逃げ道があるとしたら、窓。窓をぶっ壊して外に出るしか方法がない。


「死ぬなよ!」


 芝山の声には妙に励まされる。

 そう、死ぬわけにはいかない。こんなところで……!

 白い竜が長い尾を動かすと、壁という壁にどんどん穴が空いた。あんなものにぶつかったら。

 俺は慌てて窓枠に手をかけ、開いている窓から外に飛び出した。羽を広げ、高度を調節しながらグラウンドに降り立つ。その様子を見ていたギャラリーから妙な歓声が上がるが、そんなこと気にしている場合ではない。

 校舎がどんどん崩れていく。激しい音と共に外壁が崩れ、床が落ち、天井が砕かれていく。

 白い竜は肥大化を止めない。

 最早それは芳野美桜ではなかった。

 心を無くした白い悪魔でしかなかった。

 グラウンドの大穴から這い出す骸骨兵と戦っていた裏の干渉者たちも、白い竜に気が付いて手を止めた。

 言葉など、出なかった。

 白い竜が完全体となっていくのを、呆然と見つめることしかできなかった。

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