122.喝

喝1

 絶望というのは突然現れるものではない。

 音もなく徐々に忍び寄り、頃合いを見計らったかのように姿を現すものらしい。

 彼女は誰にも言わなかった。

 苦しいだとか、助けてだとか。そういう心の弱い部分を、ずっと隠していた。

 溜め込んでいた悲しみが暴発してしまったかのように、彼女の身体は白い竜となって膨れあがった。

 大地震でも起きたかのような――グラウンドには大穴が飽き、校舎は崩れ、生徒は逃げ惑う、これは恐ろしい光景に違いない。けれど、俺の感覚はもう完全に麻痺していて、骸骨兵に囚われた生徒や大穴に呑み込まれる生徒を見ても、可哀想だなんてことは考えられなくなってしまっていた。

 ただただ、この事態を止めることができたのではないかと自問自答を繰り返す。

 力を持っていながら、上手く操れないばっかりにこんな事態を招いてしまった。彼女の側に居て、昨晩だって長い時間触れあったというのに。

 とすれば、やはり俺が一番悪い。

 決して、彼女ではないはずだ。


 大切なモノがなくなっていくのは一瞬だ。

 そして、そういった場面に直面したときには大抵、手も足も出せないのだ。


 白い竜はなおも肥大化を続ける。

 一人の少女だったその身体は、いつの間にか、ただの魔物になってしまっていた。部室をぶち破り、校舎を崩し、その重みで校舎の二階の天井も踏み抜いた。身体をくねらせ長い尾をバタンバタンと動かす度に、校舎の壁がどんどんどんどん壊れていく。天に向かって咆哮すると、空気全体が悲しいほど激しく揺れた。


『凌、諦めろ。アレはもう、美桜じゃない』


 テラは俺を気遣った。

 俺の中に居て、テラはテラなりに何か感じていたのだ。

 ヒューズが飛んだように感情を抑えられなくなり、何度も力を暴走させてしまった俺を哀れに思っていたのかもしれない。昨日の今日で彼女が彼女でなくなってしまったことを、俺はきっと受け入れられないだろうと思っていたのかもしれない。シバを殺したと勘違いし、黒い湖の底で芝山を殺そうとした俺を思い出していたのかもしれないし、自分の身体がかの竜に狙われているのだと知って自暴自棄になってしまったらどうしようだとか、そういうことも考えてくれたのかもしれない。

 けれど実際は、そういう感情とは別次元のところで、もう俺は自分の存在を信じてはいけないんだと、自分の大切なモノなんてこの世界には存在してはいけないんだと示されたような気がして。


 なんだろう、空っぽってのは、こういうことを言うんだ。


 自分が自分でなくなるというか、自分とは何のための存在なのかとか。


 力なんて、何のために手に入れたんだろう。

 俺じゃなきゃダメだったのだろうか。


 精神不安定でマイナス思考で、誰かのために動こうだとか誰かのために生きようだとか、追い詰められて初めて考え始めたくらいの人間なのに。

 期待されて、応えようと必死になって、初めて誰かのために頑張ろうと。

 孤独から解放されて、ようやく仲間とか友情とか愛とか、そういうモノに触れることができたばっかりだったのに。


 どうしてだろう。

 涙が。

 涙が止まらない。

 身体が震えて寒気がして。

 恐怖? 絶望?

 よく……わからない。

 頭の中が真っ白になっていく。

 思考回路が途切れて、自分の身体から意識がどんどん離れて行ってしまう。

 俺は俺であって俺ではなくて、自分の中にある力がうつわからどんどん出ていくような気がして。


 立っている?

 立ち尽くしている?

 見上げている?

 呆然としている?


 こうなる運命だった?

 どこで歯車が噛み合わなくなった?


 最初から、全部全部決まっていて、俺たちはただ弄ばれていただけだった?


『意識をしっかり保て、凌!』


 保つ? 何を?

 テラは何を感じてる?


『君が絶望したら、全てが終わりだと言っている。このままでは、かの竜の思うがまま。目を覚ませ!』


 目は覚めてる。

 美桜が巨大な白い竜になって全てを破壊していく様をただ眺めている。

 彼女が大切にしていた日常を、彼女自身が壊すのをしっかりと目に焼き付けている。

 魔法は様々な物理法則を無視する。簡単に遺伝子情報を書き換え、簡単に質量保存の法則を無視する。彼女の中に眠っていた力を変換し、巨大な竜へと変えていく。あの青の混じった幻想的な瞳も、明るい茶色の髪の毛も、透明な肌も、柔らかかった唇も、何もかも。


 巨大な大穴を介して、本来あり得なかった事象が当然のように起こっている。

 二つの世界は融合していく。

 どちらが“表”でどちらが“裏”か。

 そもそも“表”では魔法なんて概念は存在しないはずなのに。


 自分はどこに居るのか。

 自分の感覚がおかしいのか。

 どんどんどんどんわからなくなっていく。


 崩壊していく校舎を呆然と眺めているだけの俺に、誰かが殴りかかった。身長が足りず、頬をぶつつもりが少し外れてアゴに当たったらしく、変なところがキンと痛んだ。


「クソ救世主! 馬鹿か! 何呆けてるんだよ!」


 ノエルだった。

 ふらついた身体を元に戻しながらアゴをさすると、益々ノエルは機嫌を悪くした。


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