犠牲3

『――来澄』


 シバの声。


『私の勝ちだ』


 勝ち? 何のことだ。


『世界の果てが見える。どこまでも続くと思われていた砂漠にも果てはあったのだ。レグルノーラは地球とは違う、平面的な世界。それを私は証明した』


 果て?

 見える?

 いつの間に到達したというのか。


『お前の力を取り込み、私は砂漠の向こう側へ行く』


 ちょ……っ、シバ、何を言って。


『マズいぞ凌』


 テラ。どうした。


『この先は強酸の海。溶かされる』


 は?


『まだわからないのか。喰われたんだ! このままでは酸に溶かされ、骨になる』


 言われている側から、強烈に身体が痒くなってきた。

 露出している部分が急激に熱を持ち、刺すような痛みを感じる。

 どこで落としたのか、手にあったはずの剣もない。


『これでも君は、まだシバを救おうというのか。彼を救うために、君は自分を犠牲にするのか。二つの世界を救うという使命を、ドレグ・ルゴラを倒すという使命を、君は忘れてしまったのか』


 それは違う。

 俺は自分の大切なモノを守るために。


『ならば答えは決まっているはずだ。内側からこの魔物を攻撃する。いいな?』


 いい……わけ、ない。

 そんなことをしたらシバは。


『本当に大切なモノが何か、守らねばならないモノが何かわかっているのなら、躊躇はしないはずだ。まともな状態だったらシバはどう答えるか、君はわかっているのだろう。何度も言うぞ。君がらないのなら、私が』


 ――俺が……、やる。


 そう思った瞬間、心が激しく痛んだ。

 悲しみとか、怒りとか、絶望とか。そういう単純な感情じゃなくて。何と言うのだろう、胸が張り裂ける? 心が壊れていく?

 ニヒルで端正なシバの顔と、澄ました芝山のガリ勉眼鏡顔が交互に浮かんだ。

 大切なモノを何一つ失いたくないというのは、贅沢なのだろうか。

 何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないということなのだろうか。

 俺は欲張りなのだろうか。

 塔の魔女ディアナが自分の家族を失ったように。

 洞穴の竜グロリア・グレイが地上での暮らしを失ったように。

 俺も芝山を犠牲にしなければ世界を救えないのだろうか。

 両肩をギュッと抱いた。指が肩に食い込んだ。

 熱を持った涙が頬を伝っていくのを感じる。

 目をつむったまま、眼前に魔法陣を描く。


――“力を高めよ。膨らみ弾けろ。魔物の腹を裂くまで”


 まぶたの裏に光を感じ、着実に魔法が実行されていくのを感じる。


 芝山、ゴメン。

 ゴメン、ゴメン、ゴメンゴメンゴメンゴメン……。


 魔法とは別に、俺は念仏のようにそれだけをずっと唱えていた。

 自分の力が風船のように大きく膨らんでいくのがわかった。

 俺は頭を抱え、目をつむったままじっと食いしばっていた。

 力が膨れていくのと同時に、魔物の身体も大きく膨らみ、俺は次第に粘膜の束縛から解放されていく。

 ゴムの伸びるような音。限界まで引っ張って、ギリギリで保っているような軋み音がして、俺は思わず耳を塞いだ。

 激しい破裂音が塞いだ耳の奥まで響き、その振動が空気を伝って爛れかけた俺の肌を打った。飛び散っていく魔物の断片と、それが次々に甲板に落ちていく音。最後にドッチャリと重いモノが落ちて、俺はようやくうっすらと目を開けた。

 ゆっくりと甲板に降り、俺はその塊の側まで寄った。

 黒い肉塊の隙間から、長いストレートの金髪が覗いている。華奢な指と、丈の短いマントの裾も見えている。


「救世主様! 大丈夫ですか!」


「リョウ! 無事か!」


 モニカとノエルがそれぞれ駆け寄ってくる。

 けれど、俺は反応することができなかった。目の前の惨状に、ただ呆然と立ち尽くした。


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