異常事態3

 全てのエアバイクがエンジンを停止したところで、男たちがわっと寄ってくる。相変わらずの男臭さが充満して面食らうが、これもまた懐かしい臭いだ。

 紅一点のモニカが甲板に降りたときには歓声も上がった。そういや、しばらく女すら見たことがないと言っていただけあって、モニカのあの格好は目の保養になっているんだろう。気の良いおっさんばかりだから大丈夫だとは思うが、一応女性なのだし、しっかり守ってやらないと色々と危なさそうだ。


「お前、本当にリョウか! ハハッ! 見違えたなァ!」


 一歩出て嬉しそうに話すザイル。あれからそんなに時間は経っていないはずなのに、何故かゲッソリと疲れ切っているように見える。


「お前が本当に救世主になったとおさに聞いて、俺たちはワクワクしてたんだ。その額の石は間違いなく救世主の証。頼むぜ、リョウ。この世界を救ってくれ。そして俺たちを、元の時間に」


 差し出された手は震えていた。


「わかってる。そのために来たんじゃないか」


 俺はしっかりとザイルの手を両手で握る。あんなにゴツゴツして力強かった手が、なんだか急に年老いたような弱々しさ。

 何があったんだ。

 みんな疲弊してる。目の下の隈も、痩せこけた頬も気になる。前はこんなんじゃなかったのに。


「ところでおさは? シバはどこに?」


 話題を変えると、急にザイルは黙りこくった。

 他の乗組員たちも、下を向いたり目を逸らしたりして、なかなか答えてくれない。

 風が頬に当たり、帆がバサバサと音を立てる。高速で進む帆船の上、しばしの沈黙。


おさは、変わりやした……」


 ザイルがぽつり、呟く。


「何がおさをかき立てるのかわからないが、俺たちの話に耳も傾けてくれなくなっちまった。この前、塔の魔女が来たんでさァ。むっちりとしたいい女で、強そうで、優しそうで。あの人が言うならおさも話を聞いてくれるんじゃないかと思ったんだが、全く、どうにもならなかった。それどころか、おさは力尽くで塔の魔女を追い返しちまった。『かんばしくない』と魔女は言った。つまり、異常だってことだ」


 忠告したとディアナは言った。

 ここまでわざわざやって来て、おさを止めようとしたのか。トラブル続きで限界だろうに、海賊まがいだと馬鹿にしていた帆船に赴くなんて、余程の事態だ。

 ディアナ……、なんて無茶を。


「船長室?」


 鎌をかけて尋ねてみる。彼らは何も言わない。だが目線は明らかに船長室の方を向いているようだ。


「行ってみよう」


 俺はきびすを返して船長室へと足を向けた。甲板の先にある小さな扉。碇のマークと丸窓が目印だった。

 急に歩き出した俺のあとに、テラも付いてくる。

 当然のようにモニカとノエルも続く。


「ちょ……っ、ちょっと待ってくれ」


 ザイルが慌てて行く手を塞いだ。


「一つ、言っておきたいことがある。船長室には入らない方が良い。俺たちは勿論入れないし、塔の魔女さえ入るのを躊躇した。今のおさは前のおさじゃねぇ。もし直接話をしたいなら、おさが船長室から出てきたところで話した方が良い」


「そんな悠長なことできるわけないだろ?」


「塔の魔女もそう言って、結局まともに話もできずに帰っちまった。それじゃ意味がない。しっかりと話をして、その上で納得して貰わないと埒があかない。もうお前しか頼れないんだ。せっかくのチャンスを無駄にして欲しくないから言ってるんだ。頼む」


 両手をパチンと合わせて頭を下げられたところで、ハイそうですかというわけにもいかない。俺は立ち止まり、長くため息を吐いた。


「で、おさは船長室からしょっちゅう出てくるのか? 籠もりっぱなしなら、尚更こっちから出向かないと」


「だ、だからそれは止めてくれってさっきも」


「感情の起伏が激しいのは前からなんだし、今更気にするほどのことか? そんなことより、さっさとこんな航行止めてくれって言わなきゃならないんだ。帆船をこれ以上進ませるのは危険だ。あいつの魔法で進んでるなら、あいつ自身に止めさせなきゃ」


おさをこれ以上怒らせるわけにはいかねぇんだ。頼む、出てくるまで待って」


「――闇の気配がします」


 モニカが突然、俺とザイルの間に割って入った。

 怒鳴り合う俺たちの口を人差し指で次々に塞ぎ、一人、ゆっくりと船長室に進んでいく。

 船長室の扉に手を当て、反対の手で皆に静かにしろとジェスチャーすると、皆口を塞いで黙りこくった。


「船長室……。ここにシバ様が? けど、あのときのシバ様とは違う邪悪な気配がします。本当に、ココに居るのはシバ様で間違いないのでしょうか」


 モニカの高い声が甲板に響いた。

 グルッと見まわすモニカに、誰も反論しない。

 どういうことだ?


「邪悪な気配……って、魔物、みたいな?」


 ノエルが尋ねると、


「そうですね。魔物よりももっと、よろしくない気配です」


 モニカの表情は厳しい。

 言われてみると、いや、言われなくても本当は感じていた。乗組員たちの表情が冴えないのも、この妙な気配が原因だってことに本当は薄々感づいていた。けど、気のせいだと思いたくて、気付かないフリをしていた。

 この船には思い出がある。

 いろんな出会いがあって、いろんな衝突があって、今がある。それを崩されたくないという思いが、迫っている危険から目を逸らそうと働いてしまっていた。

 モニカは第三者で、そうした感情とは一線を画している。だからこそ、客観的におかしいと判断し、そう断言できたのだ。


「これは干渉者の気配ではありませんよ。救世主様も気付いておられたのでしょう」


「あ、ああ」


 言葉を濁す。

 本当に、モニカは優秀で助かる。


「手荒い真似だとは思いますが、皆様、少し離れてくださいませんか。船長室からその原因を引きずり出します」


 モニカはクルッとこちらに向き直って、あくまで丁寧に皆を諭した。

 女慣れしていない男たちは、直ぐにモニカの言葉に従った。なるべく船尾へと移動し、マストの陰や荷物の陰に隠れ、様子を覗っていた。

 乗組員たちがすっかりと居なくなったところで、モニカは再び船長室の扉に手を当てた。


「救世主様、テラ様、そしてノエル。私の魔法が発動したら、直ぐに食い止めてくださいね。いくら私でも、あれもこれも一度にこなすのは難しそうですから」


 二つ三つ平気で魔法を併用するモニカでさえ、苦慮しそうな相手だってことか。

 それは本当に、シバなのか?

 モニカが魔法陣を描き始める。


――“閉じこもりし邪悪なる者よ、光の下に姿を現せ”


 文字の一つ一つが光り始めると、船室の中で何かが反応し、ガタンガタンと激しく帆船を揺らし始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る