信じる4

 ぶつ切りの声。

 怪物の触手の一つが、芳野の眼前まで迫っていた。


「美桜――――!!」


 大きく、剣を振り下ろした。

 全身が、前屈みになりながら落ちていく。剣を、やいばを間違いなく、怪物の本体に当てなくては。

 漫画みたいに上手く姿勢が取れない。風圧で腰が浮く。

 ヤバイ、ヤバイヤバイ。こんなんじゃなくて。

 そう、イメージするんだ。

 俺はあの怪物を、このまま全体重をかけてぶった斬る。ぱっくりと半分に切り裂かれる怪物を、思い描け。周囲に飛び散る肉片、体液、粉々になる触手を、叫び声を。


「どけぇぇぇぇ――――っ!!」


 俺の声に、群衆が散り散りになる。

 そうだ、それでいい。早く退け、退くんだ。

 触手のいくつかが、まだ数人の男女を捉えている。早く、早く退け、でないと巻き添えを食う。

 俺にはどうしようもない。芳野も動けない。どうする? どうしたら。

 と、どこからともなく銃声が数発。触手は千切れ、解放された人質が道路に散る。

 今だ。


「うぉぉぉぉぉおぉぉりゃぁぁぁぁああああ!!!!」


 ガツンと、俺の両腕に衝撃が走った。

 イメージした通りの剣が、少しなまくらかもしれないけど、鉱物の名前、わからないけど、凄く固いヤツが、怪物の頭にザックリと突き刺さった。更に体重をかけろ、半分に、真っ二つに裂けろ! 裂けろ裂けろ……!





………‥‥‥・・・・・━━━━━■□





 目を開くと、そこには美桜がいた。

 開け放した教室の窓から入った風が、ゆっくりとカーテンを揺らしていた。

 粗く肩で息をする俺を、美桜は無表情で眼鏡越しに見つめている。


「残念、もう少しだったのに」


 ぽつりと、呟いた。

 全身、汗でずぶ濡れだった。手のひらまで湿っているのが分かる。美桜は俺と繋いでいだ手を、スルッと引きはがした。


「か、怪物は? あれからどうなったんだよ」


 喉がさっきよりもずっと酷く渇いている。唾を飲み込むだけで、痛みを感じるほどに。

 美桜はフンと鼻で笑い、ゆっくりと立ち上がった。ギィと、教室に椅子の脚が床をこする独特の音が響いた。


「イメージした通り……とまではいかないけど、一応、死んだみたいよ。部隊の応援がなかったら、人質もろとも、だったかも。ラッキーだったわね」


「部隊って、美桜が言ってた、“レグルノーラ”を悪魔から守る市民部隊とかいう」


「そう。彼らが危険をいち早く察知して駆けつけてくれたから、何とかなったようなもの。……まだ、もう少し訓練が必要ね。今日みたいに、行ったら突然戦闘なんてこと、今後もないとは限らないし。常に気を張っておかないと、いずれ死ぬわよ」


 冷たい目で、美桜は俺を見下ろした。

 俺は目を合わすこともできず、斜めに視線を落とす。

 耳に、音が戻ってきた。下校の挨拶を交わす声、道路を横切る自動車の排気音、それから美桜の、ゆっくりと長く吐いた溜め息。


「ま、突然やれと言われてできるわけがないのはこの間の件でよくわかったから。上出来、なんじゃない。駆け出しの“干渉者”にしては」


 上から目線にイラッとくるが、言い返すこともできない。なにせ、その通りなんだから。


「名前、呼んでくれてありがとう。これからも“向こう”では“美桜”って呼んでよね」


「へ?」


 思いも掛けない感謝の言葉に俺はたじろぎ、声を裏返した。

 そういえば俺、無意識に芳野のことを“美桜”って。


「また明日。今度はもう少し長く居れるように、今日は早めに休んだらどう?」


「……お気遣い、どうも」


 机にかけた黒いショルダーバッグをヒョイと持ち上げると、椅子の向きを前に直し、美桜はすたすたと教室から立ち去った。長いストレートの茶髪が左右に揺れ、迷いなく真っすぐ歩く仕草はまるでモデルみたいだ。

 俺はガツンと、机に頭を落とした。

 あんなに小綺麗な子と二人っきり、だったのに。


「俺は、何やってんだよ……」


 恋心を抱く要素もない今の環境に、ただただ溜め息が漏れた。

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