決死の覚悟3
しまった。
思ったときにはもう遅かった。
リザードマンがグルッと後ろを振り向いた。
「ン? 来……澄? 何ダ、そレは」
動きを止め、身体を前に倒してまじまじと俺を見ている。
芝山も……、同じか。帆船では背中の羽だけだったが、今回は全身。やはり竜化は奇異に映るらしい。見てはいけないものを見てしまったような顔をしている。
「何ってそりゃ、アレですよ。奥の手ってヤツ。ここぞってときにしかやらない必殺技的な?」
半笑いしながら誤魔化した。こっちだって的に手の内を全部は見せたくないわけで。
「凄いな。“こっち”でも“同化”できたってこと?」
芝山だけは容姿ではなく、今同化できているこの事実を認めてくれた。これはせめてもの救い。
「“同化”? つまリ、竜トの融合? “表”デそんナことガできるヤツが居ルなんテ、俺ハ聞いてナいゾ……」
明らかにリザードマンは動揺していた。槍先が力なく下を向いた。これは、チャンスか。
グッと腰を落とした。そのまま勢い付けてリザードマンの懐へ入り込み、右肩からタックル。決まった。相手がひっくり返り尻餅をついたところで、すかさず腹へ蹴りを食らわした。グヘッと声を出し、唾液を散らすリザードマン。やはり腹部は弱いか。もがき苦しみながらも立ち上がろうとする。その後ろへサッと回り――ようやく、後ろを取った。両腕をリザードマンの肩に回し、締め付ける。
「ナ……、何ヲする! 離セ来澄!」
リザードマンはなおも抵抗した。太い尾で俺の足をバシバシ叩く。けど、こんなのに負けるわけにはいかない。両足に力を込める。床に散らばった椅子がなければ、もう少し踏ん張りやすいのだが、そんなのに構っている余裕はない。
魔法陣だ。
転移魔法をかけなければ。
『あれもこれもは難しい。美桜に頼め』
わかってる。最初からそうするつもりだった。
「美桜! 転移魔法だ! コイツをレグルノーラに送り返せ!」
どうした。なぜ直ぐに反応しない。
美桜は両手で顔を覆い、首を横に振っているだけ。
「美桜!」
なにしてんだ。どうしてそんな顔をするんだ。
眉をハの字にして。目を潤ませて。耳まで赤くして。
「早く!」
腕が、痺れてきた。竜化しても基礎体力が極端に上がるわけじゃないのか。やっぱり、レグルノーラとは違う。イメージ先行の世界と、現実の世界とじゃ、同じことをやったとしてもどうしても差が出てしまう。
「ね……、どうして」
期待している言葉とは真逆の言葉が、美桜の口から紡がれる。
「一体何があったの。私の知らないうちに、どうしてこんな風になってしまったの」
何が。
今は、それどころじゃ。
「レグルノーラの呪縛に捕らわれるのは私だけで十分だった。勿論、助けて欲しいと思ったし、凌なら世界を救ってくれるんじゃないかって期待もあった。だけど。こういうんじゃないの。違う。何かが違う。ねぇ凌。あなたの中で何があったの。何があなたをそんな風に変えてしまったの」
「馬鹿か! そんなのどうだっていいんだ。早く、早く転移魔法!」
畜生め。全然、通じない。
目の前に分厚いガラスでもあるんじゃないかと思えるほど、俺の言葉が届いていない。
『シバに頼むか?』
「ダメだ。アイツは“こっち”じゃまだ力を使えない」
限界だ。限界。
腕は痺れるし、竜化に堪えきれなくなってきたのか、身体がギシギシ言う。
こうなったら自分で何とかするしかない。
魔法陣だ。空っぽの魔法陣を、俺とリザードマンの真下に。
「『竜と共に戦う』って、こういうことだったのね。私てっきり、竜と――ううん、わかってたはずだった。戦ってるところは見たことなかったけれど、深紅はそういうタイプの竜じゃなかった。私、何を見ていたんだろう。凌の何を見ていたんだろう。こんなにも追い詰めてしまったのは私。姿形を変えてまで戦うなんて。しかも“表”で。全部私のせいだ。凌がこんな風になってしまったのは、全部私の」
よし。魔法陣が光り出した。後は文字を刻む。
――“リザードマンをレグルノーラへ送り返せ”
大急ぎで文字が崩れがちだが、仕方あるまい。あとは、力を。
「芝山! 須川! 力を貸せ!」
竜化の方に力を取られて、自分一人で魔法を発動させるのは難しい。
頼む。
「し……っかたないなぁ」
立っているのがやっとのクセに、芝山は格好付けて髪を掻き上げた。手のひらをこっちに向けて力を込めている。
須川も。怯えながら、だけど恐る恐る手を伸ばしてくれた。そうだ。それでいい。
とにかく今は、力が欲しい。頼りの美桜がどうにもできないこの状況では、これがベストに違いないんだ。
「止メろ。来澄。このままデは、俺だケじゃナい、お前モ魔法ニ巻き込まレるぞ」
脅しのつもりか。けど。
「そんなの関係ないね。それに、そっちはそっちで俺のことが目障りだって言ってたじゃないか。なら丁度いいだろ。このまま“向こう”に飛んで、続きをするって手もある」
「正気カ……ッ」
残念ながら、正気かどうかなんて全然わからない。
今すぐにでもこの危険な魔物を“裏”に連れて行かなければならないんだ。
美桜には頼れない。陣も居ない。俺がやらなきゃ、誰がコイツを。
『このまま飛ぶ気か。厄介だぞ』
テラの声が警告する。
厄介なんて百も承知だ。
レグルノーラに命を捧げると契約してしまった俺には、どのみち残された選択肢など、ないに等しいんだから。
魔法陣が強い光を放ち始めた。リザードマンも俺も、光に包まれていく。
「止めて! 凌! そんなことしたら……!」
美桜が叫ぶ。そんなことをしたら、どうなる?
知るか。
「悪いけど、これしか方法がない。それに、こうなったのは美桜のせいじゃないから。全部俺の意思。俺が決めたこと」
俺の声が届いているのかどうか。
光で目の前が白くなる。
身体が分解されていく。
落ちていく。
身体が溶けて、“裏”の世界へと――。
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