暴露3
この世界で一番美桜のことを心配しているのは、そばで美桜のことを見守り続けてきた飯田さんに違いない。飯田さんに全部を理解してもらおうとは思わない。だけど、少しでも話しておかなきゃ、飯田さんが、飯田さんが可哀想だ。
何から話そうか。口をもごもごとさせる俺の背中を、陣が強く叩く。顔を上げると、首を横に振る陣の姿が。喋るなってことか。巻き込むなってことか。この、状態でか。
「“力”は使えます」
「――凌!」
陣がすかさず口を挟む。が、俺だって怯んではいられない。
「だけど、万能じゃないんです。美桜のこともどうにかできるかどうか、会ってみないとわからないし。美桜も、飯田さんの前では使わなくなったかもしれないけど、本当は俺よりもずっと強い力を持ってて、“あっち”へ行ったり“こっち”に来たり。最近は補習で忙しくて美桜ともなかなか話す機会もなくて……。何が起こっているのかわかりませんが、やってみます。美桜の部屋、行ってもいいですか」
大馬鹿野郎と陣が聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で吐き捨てた。
悪い。部外者の飯田さんに話しちゃいけないことだったんだろうけど、だけど本当に、何も知らないのは可哀想すぎる。
飯田さんは鼻を赤くし、お願いしますと再び深々と頭を下げた。
立ち上がり、三人で美桜の部屋の前へ。
陣のご機嫌が悪いのは仕方ない。どうにかして納得してもらうしかない。
リビングまでは殆ど気が付かなかったが、美桜の部屋の真ん前まで来ると、何だかぞわぞわと背筋が凍った。ドアの上下の隙間から黒とも灰色とも紫色とも突かぬモノがじわじわと染み出ている。それは、ドライアイスの煙よりは溶岩が流れ出るのに近くて、触れば触れるんじゃないかと思えるくらいくっきりと見えた。それがどんどんと広がって……、広がりきれずに溶けていく。そんな、異様な光景だった。
同じ物が陣に見えているとは思えないが、彼も彼なりに何かを感じ取り、大きく唾を飲み込むのが傍目にわかった。
「飯田さんが美桜を見なくなって何日くらい?」
「そう、ですね。少なくとも三日は顔を合わせておりません。大丈夫でしょうか」
「ちょっと、下がっててもらってもいいですか」
三日。短いようで長い日数。
連絡先を交換しているのに全然連絡なんて寄越さなかった。俺が補習中だから気を遣ったのか。
家族同然の飯田さんにも顔を見せないってのが一番気にかかる。
何があったと考えるべきか。
ディアナの言う通り『“ドレグ・ルゴラ”の動きが活発になってきている』のだとして、美桜がその影響を直で受けるのはなにも不思議なことじゃない。杞憂なら杞憂で構わないわけで、それを確かめるためにはまず、美桜に会わなければならない。
コンコンとドアをノックする。
「美桜。俺、凌だけど。開けてくれる、かな」
ドアに耳を当てて様子を覗うが、返事はない。
鍵はかかっているのだろうかと飯田さんに目で合図するも、飯田さんは首を傾げて苦笑いするばかり。元々、部屋には入らない約束らしいから、中で何が起きていても簡単に入り込むことはないのだろう。
「開けても、いい?」
すると、
『待って。今は……、今すぐはダメ』
息も切れ切れにようやく返事が。
まさかこの間の傷口が開いたのか。いや、でもあのときはすっかり直してやったはず。次の日には学校に来られるくらい回復していたし。だとしたら、何が。
「遠慮するなよ。陣も来てるし、何か困ったことがあるなら相談に乗るけど」
『ダメ。今入ったら大変なことになるから……!』
中で美桜が必死に制止してくる。
まさか着替え中、だとか。うっかり薄着で過ごしていて、準備するのに手間取っている、とか。
あり得ないな。エントランスと玄関口、二回のインターホンで俺たちが来ることは当然わかっていたはずだ。来た後だって、飯田さんが直接美桜の部屋の前で俺たちのことを相談していたみたいだし、俺たちの声だって聞こえていたに違いない。
「魔法の波動を感じる」
一歩後ろで陣が言う。
言われてみれば、確かにそうだ。この感じ、比喩しがたいが、確かに魔法。しかも攻撃系だ。
こんな所で魔法を使う必要、あるのか。中で何が起きてる?
と、突然大きな音と共にドアに衝撃が走った。耳をくっつけていた俺は思わず身体を反らし、二歩ほど後ろへ引いてしまった。
「お嬢様!」
飯田さんが駆け寄ろうとするのを陣が止める。
「待って。早まらないで。今、凌が確かめますから」
開けるなだなんて言われて開けないヤツがどこに居る。
外開きのドアノブにゆっくり手をかける。やはり鍵はしっかりと内側から掛けられているようだ。スペアの鍵なんか、当然飯田さんには渡してないんだろうし。こうなったらやっぱり魔法で無理やりこじ開けるしかない。
鍵師じゃないんだから、鍵穴から鍵を差し込んで回すようイメージするのは難しそうだ。ドアの向こう側は大抵サムターン式。そっちを動かすようイメージすれば、あるいは。
ドアノブの向こう、鍵穴の反対側に意識を集中させる。つまみを時計回りに90度動かせば鍵が開く。手や身体に触れず物を動かすなんて殆どやったことはないが、やってやれないことはないはず。
集中しろ。
つまみを中心にして、小さな魔法陣を描くんだ。“開錠せよ”描く文字はただそれだけ。回れ、魔法陣よ回って鍵を開けるんだ……!
――ドアが開いた。
「ああ! 開けちゃダメだったら!」
美桜の悲痛な声。
目の前が急に暗くなる。黒い魔法の衝撃波が廊下を突き抜けていく。
「飯田さん、伏せて!」
陣が慌てて飯田さんの身体を抱えて床に伏せる。
廊下の壁に掛かった押し花の額がガタガタと音を立てて床に落ち、一輪挿しの花瓶が割れた。窓ガラスという窓ガラスがビシビシと震え、音を立てる。
何が起きた。
目を凝らす。
おかしい。
ドアの向こう、美桜の部屋が変なことになってしまってる。
「だから今はダメだって言ったのに……!」
花畑のように小さな花模様のちりばめられた少女趣味な部屋。柔らかな桃色で統一された、心安らぐ部屋。いい香りがして、くすぐったくて、居心地の悪い女の子の部屋。
その半分が――消えていた。
奥にあったベッドが、ない。
血まみれの美桜を寝かせ、人工呼吸的なキスをしたあのベッドが見当たらない。
切り取られた部屋の半分には黒い空洞が広がっていた。黒光りした鍾乳洞のような空間からヌッと顔を出したのは、ぼろ切れと傷んだ武具を身につけた骸骨兵。穴あきマントをまとい、ケタケタと歯を鳴らして笑っている。
一体、二体……。いや、まだ居る。数え切れない。
「加勢してくれるのよね?」
すっかり防具や武器を身につけて戦闘態勢の美桜が言う。
「開けちゃったんだから、ちゃんと責任、取ってよね」
状況の飲み込めない俺を、美桜は厳しい顔でキッと睨み付けた。
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