難題2

「本当にゴメン」


 昼休み、便所で芝山が俺を呼び止めた。


「いいよもう。そんなの」


 手を拭いて教室に戻ろうとする俺に、面目なさそうな顔を向けてくる。


「でも、同じ“仲間”として、今後も頼む……! お願い……!」


 偶々、他には誰も居なくて丁度いいとでも思ったのだろうか。それとも、女子の目に付くところで喋れば、また妙な噂の種になるとでも思ったのだろうか。

 芝山は両手を合わせて深々と頭を下げた。


「いいって言ってるだろ。面倒くさい。で、授業中行ってみたのかよ。“あっち”に」


「まぁね。もしかしたら、来澄の方が相性いいのかもしれない。ノンストレスで飛べる」


 ニヤッと口角を上げる芝山。

 同じ動作でも、おさ《おさ》のときとどうしてこんなに印象が違うのだろうかと思ってしまうほど、締まりない。


「そういう来澄は行かないのかよ」


「今はそういう気分になれない。気が散って、飛ぶどころの話じゃないんだよ。誰かさんのせいで」


「ああ……、悪い。本当に悪い」


 そこまで言うと、芝山は便所に誰も居ないことをわざとらしく確認し、耳を貸せと俺の肩を叩いてきた。


「砂漠に、飛べそうか」


「ハァ? また戻れなくなったらどうすんだ。止めてくれよ」


「別に砂漠でなくてもどこでもいい。要は、“向こう”で少し話がしたい。“向こう”がダメなら“こっち”でも構わない。二人で、“向こう”の話ができる時間を取って貰えないか」


「それ……、急ぎ?」


「急ぎ。“向こう”と“こっち”じゃ時間の流れが違うからな。早いに越したことはないと思うけど」


 眼鏡を光らせる芝山の勢いに圧倒される。


「わ……、わかったよ。放課後、時間とってやるよ」


「ありがとう。じゃ、後で」


 芝山が嬉しそうに去って行く。

 ぼっち飯も終わったし、便所も終わったし、後は次の授業まで人目を避けて過ごそうか。男はともかく、女子共のあの妙な熱狂ぶりは頭が痛い。

 幸いなのは悪意が感じられないこと。澱んでいた空気が少し晴れたというか、なんだろう、つまらないことかもしれないけど、彼女らは状況を楽しんでいるだけで、誰かを極端に傷つけようだとか、貶めてやろうだとか、そういう感情で俺と芝山を見ているわけではないらしいということだけだ。ちょっと前までは『来澄君、気持ち悪い』『話しかけにくいよね』的な話しか聞かなかったことを考えると、芝山との件でちょっとだけ、周囲との距離が縮まったような。これは不幸中の幸いなのだろうか。

 中庭にでも行こうかと、夏のギンギンした日差しを感じながら廊下を歩いていた。小さな噴水を囲うようにして、様々な背丈の木々が生い茂っている中庭は、人気ひとけのない穴場スポットだ。各階の廊下や教室から見渡すこともできるが、木陰の下は死角になっていて、人目に付きにくいのだ。花壇の植物や、飛んでくる虫たちにも心癒やされる。

 俺には今、癒やしが必要なんじゃないか。そんなことを考えながら、下足に履き替えて中庭へ向かった。





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 昼休みも折り返しを過ぎていた。弁当を食べ終えて帰り始める何人かとすれ違いながら、奥へ奥へと進んでいく。

 どこで休もうか。どうせなら転がれるところか、ゆっくりスマホをいじれるベンチなんかが空いてると助かるんだが。

 キョロキョロと辺りを見まわし、やっとその場所を見つける。

 桜の近くに一つ、誰も座っていないベンチがあった。丁度よく向かいの教室の窓にはカーテンがしてあって、俺一人でゆっくりと時間を過ごせそうだった。

 ゆっくりと腰を下ろし、ズボンのポケットからスマホを取り出して、昼休み終わるまでここで過ごそうとベンチの背に身体をゆだねたとき。

 土を踏む音が一際大きく耳に入った。


「無事に戻ったんだね」


 茶髪の男が立っていた。

 背が高く、ヒョロリとした彼は、口角を上げて俺のことを見下ろした。目尻の下がった優顔は、ポケットに手を突っ込んで、


「あのあと、なかなか会うこともできなくて、どうしたのか気になってた。大体のことは聞いたんだけど、やっぱり直接会って、情報を共有したいと思ってさ」


 親しげに話しかけてくる。

 誰だ。

 俺は手に取ったばかりのスマホをポケットに戻し、男を睨み付けた。

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