40.川の底
川の底1
身体が粉々に砕けながら宙を舞う。
それはただのイメージだったのかもしれないし、そういう感覚だったのかもしれない。
投げ出された胴体は自分の意思では制御できないくらいに高く飛ばされ、身体と意識が分離されていった。
痛みとか苦しみとか、そういうものは全然なくて、ただ、自分は無に帰すのだろうかと、そればかりが頭をよぎっていた。
砂を多く含む黒い嵐は石つぶてまで巻き上げて、それがどんどん俺の身体に穴を開けていく。
テラと同化はできなかった。
できていればあるいは助かったか……?
いや、テラだって巻き込まれたに違いない。
そのくらい凄まじい風が、音もなく俺たちを襲ったのだ。
息が、できない。
自由が、きかない。
この感覚、何度目だろう。
干渉者となってレグルノーラを行き来するようになってからは、頻繁に感じている。
皮肉なことに、麻痺した感覚が“大丈夫”と告げている。
――大丈夫、まだ助かる見込みはあるのだ、と。
意識が、遠のいていく。
耳の奥で小さな音を捉えた。
コポコポという、水の揺れる音。
馬鹿馬鹿しい。
俺が飛ばされたのは砂漠と森の間。水なんて、見当たらなかった。
だけど、やたらと多めの水の感触と浮遊感は、悔しいほどリアルに脳に響いていた。
■□━━━━━・・・・・‥‥‥………
「ねぇ、誰」
小さな声が、耳元で囁いた。
「ねぇってば……。寝てるの?」
声は、直ぐそばで聞こえた。
声の主はうぅんと唸り、困った様子であっちへ行ったり、こっちへ来たり。
床板に、靴の音。声の主が右往左往しても、床は殆ど軋まない。ということは、体重の軽い小さな子ども。
「どうしよう。ママ……」
小さな声は困りはて、ぐずり始めた。
泣かせた……?
理由はわからないけど、推測するにここには俺とその子、二人だけ。親も近くにはいないらしい。どうにかしてなだめないと。
俺は唇をきゅっと噛み、腕に力を入れて何とか立ち上がろうとした。冷たい床の感触が腕の下から伝ってくる。どうやら俺は、うつぶせになって倒れていたようだ。
身体の節々が痛い。だけど、何とか手も足も、本数は足りている。時空嵐に呑まれて、四肢が切断された上、胴体に穴が空いたとばかり思っていた俺にとっては、ある意味朗報だった。
頭を床に擦りつけながら、何とか起き上がる。これしきの痛さ、我慢できずにどうすると自分を震え立たせて。
「大丈夫、起きてるよ」
俺はそう言いながら、ゆっくりと目を開けた。
床に座り込み、周囲を見回す。
部屋の中だ。八畳間を二つくっつけたような、広い部屋。壁には腰の高さまで板が張ってある。フローリングの床に、家具が幾つか。ソファに、テーブルに、小さめの棚。木枠の付いた窓には桃色のカーテンがしてあって、外からの風でゆらゆらと揺れている。アパートかマンションの一室だろうか。
小さな人影は、俺の声に驚いて足を止めた。それから恐る恐る近づいてきて、ホッと息を漏らす。
「よかった。だって、起こしても起こしても、起きてくれなかったんだもん」
髪の長い……、小さな女の子が立っていた。
腰まで伸びた茶色い髪の毛を揺らし、可愛い桃色のワンピースを着たその子は、肩をヒックヒックさせながら、鼻をすすった。
「ゴメン。ついさっき、気が付いたんだ。びっくりさせて、悪かった」
「うん」
女の子は涙を手の甲で無理やり拭って、平気なフリをする。
窓からのぼんやりした光が当たると、青色の混じったグレーの瞳がキラキラと光って見えた。
「ね、どこから来たの? 何歳? あたし、四歳」
女の子は誇らしげに、右手を広げ、親指を折って見せてくれる。
「えっと、俺は……」
そこまで言って、自分の身体を見やり、俺は思わず息を飲んだ。
――あれ。何かが、おかしい。
声が、高い。
手も、つるつるしている。
腕にも足にも、濃いめだと悩んでいた体毛が、見当たらない。
半袖の中から出た右腕にも、刻印は見当たらなかった。そればかりか、半袖Tシャツはグレーの恐竜柄、膝丈までのデニムズボン、足元は某スポーツメーカーのスニーカー。
これは。
「ね、いくつ? 四歳? 五歳?」
女の子はニコニコしながら寄ってくる。
目線が――やたら低いところにあると思っていた。いつもより何十センチか下のところに目線があって、天井がやたら高いと不思議に思っていたところだ。
どういうことだ。
何が起きている。
しどろもどろしている俺に、彼女はもっと顔を近づけた。
「ね、教えてよ。あたし、“みお”って言うの。あなたと、お友達になりたいな」
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