森へ3
目線の先に、
後ろで結った長い金髪を手で払って、
「下の名前は止めろ。いくら慣例だからって、絶対にお断りだ。そっちだって、私に“凌”とは呼ばれたくないだろう」
「戻って来て早々、甲板から私の話をしている声が聞こえたんでね。悪い話でもしてるんじゃないかと心配になって来たんだ」
いくら
いろいろやらかしたあの日も、
砂漠の時間軸がズレているという話は聞いた。
俺が倒れた日と、芝山が戻った日はどれくらいズレているんだろう。俺が砂漠に来てから何日後に、芝山は俺が干渉者であることを知ったのか。或いは、俺が砂漠に来る前に芝山は俺のことを知ったのか。
整合性を取ろうとすると、わけがわからなくなる。そのくらい、砂漠という空間は理解を超えている。
「別に、芝山の話をしていたわけじゃなくて。偶々、そういう方に話が向いただけだよ」
芝山に向かって“
「来澄の言い方は、いちいち引っかかるな。だから友達が少ないんだ」
「芝山はいつ、美桜が干渉者だって知ったんだよ」
本題を振って、反応を待つ。
「来澄は、どうやって芳野美桜が干渉者だと知ったんだ」
「は? 何で質問に質問で返すんだ」
「そっちの情報を出してからじゃないと、こっちから情報は提供したくないね」
面倒くさい……。
テラの方をチラッと見ると、どうでもいいとばかりに目を逸らす。
美桜と初めてレグルノーラに飛んだときのことは、今でもハッキリ覚えている。俺が感じたのとは全く別の感情を持って、彼女が俺に接触してきたのだということも、よくわかっている。あの場面を今更のように思い出すと、二人の気持ちのズレが何とも恥ずかしかったことまで蘇り、顔が火照っていく。
綺麗な顔が目の前に迫り、突然手を握られ、抱き寄せられた――あの衝撃は、人生の中で五本指には入るだろう。柔らかかった胸や、鼻の奥まで届く優しい香り。どんなにキツく当たられたとしても、彼女のことを嫌いになれないのは、どこかで妙な下心が働いているからだろうか。
「……顔が、赤いぞ」
気が付くと、
「あ、赤、赤くないって!」
尻を払い、立ち上がりながら必死に弁明するが、俺の耳は正直でぽっぽと火照っていた。
「何か、やましいことでも思い出したのか」
テラまで追い打ちをかけ、からかってくる。
「違う、違う! み、美桜のヤツが、勝手に俺に近づいて、『あなたが干渉者なのは知ってる』なんて、わけのわからないことを言ってだな。俺はそれまで、自分にそういう力があるってことは、知らなかったんだ。無理やり“こっち”に引きずり込まれて、そうしてる間に色々あって」
「色々あって、美桜は来澄と交際してるだなんていう、嘘を吐いたのか。あんな、大胆に」
「知らないよ! 美桜が何を考えてるのかわからないって、何度も言ってるだろ」
身振り手振りで否定しても、二人には通用しない。
テラはケタケタと声を上げて笑うし、
「来澄をからかうときは、美桜の話題を振ればいいのか。面白い」
「面白いじゃなくて……。こっちは真剣に聞いてるんだから、答えろよ。なんで美桜が干渉者だって知ってるんだよ。俺みたいに、美桜に正面切って告白されたわけじゃないんだろ」
「告白……。愛の告白でもされたのか」
「違くて。自分が干渉者だって告白!」
「わかってるって。冗談冗談。美桜のことは、街で聞いた。背のスラッと高い、“こっち”の世界の干渉者……、名前は忘れた。うんと初めの頃、本当に何も知らずに迷い込んだ私に、彼は声をかけてきた。『もしかして、美桜と同じところから来たのか』って。その頃の私は、当然
“こっち”の世界の干渉者――というと、俺には一人しか思い浮かばない。
「それって、ジークのこと?」
ところが、
「そういう……、名前だったかな。顔も名前もぼんやりしていて……。なぜだろう。会えば思い出すと思うんだが」
芝山にしてはおかしな答え方だ。
が、その干渉者は、ジークに違いないだろう。彼なら、芝山に様々な情報を提供したとしても不自然ではない。数多くの干渉者が迷い込む中、選定でもしていたのか。この世界を救うため、市民部隊と共に奔走している彼なら、あり得ないことではない。
「その彼が、『感性の強い人間なら、美桜の影響を受けて干渉者になり得る』と言ったんだ。前にも言ったが、実際、同じ教室で何人かが“こちら”に来ている。意識をこちらに飛ばしている途中で目を開けたとき、偶々目撃した。が、私が見たのは制服だけで、顔まではわからなかった。“向こう”に戻ったときに注意深く観察したら、わかるんじゃないか。お前のその高い“能力”を生かせば」
マストの上、望遠鏡片手に帆桁で遠方を監視していた乗組員がラッパを吹くと、船内が慌ただしく動き出した。総員がそれぞれの位置に付き、一斉に声を合わせて一枚ずつ帆をたたんでいく。
「森が近い」と、
俺は流行る気持ちを抑えながら、船首へ急いだ。それまで何も見えなかった地平線に、僅かに緑色のラインが見えている。時間が進むにつれ、そのラインは太く、ハッキリとしてくる。ラインの奥には、高くそびえる街のビル群もある。
砂漠を抜ける――。
長い旅がようやく終わろうとしていることに、俺は安堵のため息を漏らした。
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