森へ3

 目線の先に、おさの姿をした芝山が立っていた。周囲に本当の姿をさらした後も、結局彼はおさとして、この帆船に居続けることを選んだのだ。

 後ろで結った長い金髪を手で払って、おさはムッとした顔を向けてきた。


「下の名前は止めろ。いくら慣例だからって、絶対にお断りだ。そっちだって、私に“凌”とは呼ばれたくないだろう」


 おさの姿をしている間は、完全に芝山哲弥とは別人になりきっているらしい。細かいところで言うと、一人称はボクから私に変わっているし、二人称は君からお前とかそっちとか、いちいち芸が細かい。面倒な性格だけはそのままらしいが。


「戻って来て早々、甲板から私の話をしている声が聞こえたんでね。悪い話でもしてるんじゃないかと心配になって来たんだ」


 いくら変化へんげになれているとはいえ、本来とは違う姿を維持するには相当の精神力が必要となる。芝山は適度に“向こう”に戻り、体力を回復させてから“こちら”に戻ってくる方法を繰り返しているそうだ。姿が見えないとザイルや他の乗組員たちに尋ねたところ、『おさは時折船長室にこもる』のだと聞いた。魔法陣を使って“元の世界”に戻っている間は、おさが休んでいる時間なわけだ。

 いろいろやらかしたあの日も、おさは早々に船長室に引きこもった。自作の魔法陣で向こうに戻り、次の日の昼くらいにまたひょっこり戻って来た。

 砂漠の時間軸がズレているという話は聞いた。

 俺が倒れた日と、芝山が戻った日はどれくらいズレているんだろう。俺が砂漠に来てから何日後に、芝山は俺が干渉者であることを知ったのか。或いは、俺が砂漠に来る前に芝山は俺のことを知ったのか。

 整合性を取ろうとすると、わけがわからなくなる。そのくらい、砂漠という空間は理解を超えている。


「別に、芝山の話をしていたわけじゃなくて。偶々、そういう方に話が向いただけだよ」


 芝山に向かって“おさ”などと呼ぶのは気が引ける。拒否されても構わず“芝山”と呼び続ける俺に、芝山は芝山で諦めだしたのか、突っ込むこともなくなってきた。


「来澄の言い方は、いちいち引っかかるな。だから友達が少ないんだ」


 おさは鼻で笑って、俺を挑発してくる。が、そんなわかりきっていることで目くじら立てても仕方ない。


「芝山はいつ、美桜が干渉者だって知ったんだよ」


 本題を振って、反応を待つ。

 おさは腰に手を当て、そういう話題ねと、軽く数回首を縦に振った。


「来澄は、どうやって芳野美桜が干渉者だと知ったんだ」


「は? 何で質問に質問で返すんだ」


「そっちの情報を出してからじゃないと、こっちから情報は提供したくないね」


 面倒くさい……。

 テラの方をチラッと見ると、どうでもいいとばかりに目を逸らす。

 美桜と初めてレグルノーラに飛んだときのことは、今でもハッキリ覚えている。俺が感じたのとは全く別の感情を持って、彼女が俺に接触してきたのだということも、よくわかっている。あの場面を今更のように思い出すと、二人の気持ちのズレが何とも恥ずかしかったことまで蘇り、顔が火照っていく。

 綺麗な顔が目の前に迫り、突然手を握られ、抱き寄せられた――あの衝撃は、人生の中で五本指には入るだろう。柔らかかった胸や、鼻の奥まで届く優しい香り。どんなにキツく当たられたとしても、彼女のことを嫌いになれないのは、どこかで妙な下心が働いているからだろうか。


「……顔が、赤いぞ」


 気が付くと、おさの顔が眼前にあった。いくら整った顔とはいえ、男だし、中身は芝山。俺はうわっとひっくり返って、甲板に尻餅をついた。


「あ、赤、赤くないって!」


 尻を払い、立ち上がりながら必死に弁明するが、俺の耳は正直でぽっぽと火照っていた。


「何か、やましいことでも思い出したのか」


 テラまで追い打ちをかけ、からかってくる。


「違う、違う! み、美桜のヤツが、勝手に俺に近づいて、『あなたが干渉者なのは知ってる』なんて、わけのわからないことを言ってだな。俺はそれまで、自分にそういう力があるってことは、知らなかったんだ。無理やり“こっち”に引きずり込まれて、そうしてる間に色々あって」


「色々あって、美桜は来澄と交際してるだなんていう、嘘を吐いたのか。あんな、大胆に」


「知らないよ! 美桜が何を考えてるのかわからないって、何度も言ってるだろ」


 身振り手振りで否定しても、二人には通用しない。

 テラはケタケタと声を上げて笑うし、おさはニヤニヤと頬を緩めている。


「来澄をからかうときは、美桜の話題を振ればいいのか。面白い」


「面白いじゃなくて……。こっちは真剣に聞いてるんだから、答えろよ。なんで美桜が干渉者だって知ってるんだよ。俺みたいに、美桜に正面切って告白されたわけじゃないんだろ」


「告白……。愛の告白でもされたのか」


「違くて。自分が干渉者だって告白!」


「わかってるって。冗談冗談。美桜のことは、街で聞いた。背のスラッと高い、“こっち”の世界の干渉者……、名前は忘れた。うんと初めの頃、本当に何も知らずに迷い込んだ私に、彼は声をかけてきた。『もしかして、美桜と同じところから来たのか』って。その頃の私は、当然変化へんげなどできず、自分のありのままの姿をさらしていた。何回か会っているウチに打ち解けて、情報を得ることに成功したんだ。砂漠の話も、彼に聞いた。砂漠から森へ抜ける方法も、彼が手取り足取り教えてくれた。今こうしていられるのも彼のお陰。本当は礼を言わなくちゃならないんだが、あいにく、彼とはここしばらく会っていない。今はどうしてるんだか……」


 “こっち”の世界の干渉者――というと、俺には一人しか思い浮かばない。


「それって、ジークのこと?」


 ところが、おさの反応は鈍かった。


「そういう……、名前だったかな。顔も名前もぼんやりしていて……。なぜだろう。会えば思い出すと思うんだが」


 芝山にしてはおかしな答え方だ。

 が、その干渉者は、ジークに違いないだろう。彼なら、芝山に様々な情報を提供したとしても不自然ではない。数多くの干渉者が迷い込む中、選定でもしていたのか。この世界を救うため、市民部隊と共に奔走している彼なら、あり得ないことではない。


「その彼が、『感性の強い人間なら、美桜の影響を受けて干渉者になり得る』と言ったんだ。前にも言ったが、実際、同じ教室で何人かが“こちら”に来ている。意識をこちらに飛ばしている途中で目を開けたとき、偶々目撃した。が、私が見たのは制服だけで、顔まではわからなかった。“向こう”に戻ったときに注意深く観察したら、わかるんじゃないか。お前のその高い“能力”を生かせば」


 おさはそう言って、俺の肩を軽く叩いた。

 マストの上、望遠鏡片手に帆桁で遠方を監視していた乗組員がラッパを吹くと、船内が慌ただしく動き出した。総員がそれぞれの位置に付き、一斉に声を合わせて一枚ずつ帆をたたんでいく。


「森が近い」と、おさは言った。


 俺は流行る気持ちを抑えながら、船首へ急いだ。それまで何も見えなかった地平線に、僅かに緑色のラインが見えている。時間が進むにつれ、そのラインは太く、ハッキリとしてくる。ラインの奥には、高くそびえる街のビル群もある。

 砂漠を抜ける――。

 長い旅がようやく終わろうとしていることに、俺は安堵のため息を漏らした。

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