歪みと違和感4

「美桜は?」


「なに?」


「美桜は、須川さんとの間に、なにかトラブル、あった?」


 芝山や北河みたいに、はっきりと言ってくるようなタイプじゃないだけに、何であんな黒いものが出るくらい悪意を持っているのか、はっきりとはわからない。それが、俺と美桜、どちらに向けられていたのかも、現段階じゃさっぱり見当が付かない。


「トラブルもなにも、絡んだことすらないけど? そういう凌こそ、彼女になにかしたんじゃないの」


 カラカラとコップを傾け、氷を鳴らしながら、ジトッと上目遣いに美桜が睨む。


「名前すら思い出せなかったような相手に、俺がなにかするとでも?」


 お返しに俺も眉間にシワ寄せて睨んでやるが、美桜はハァと長く細いため息を吐いて、カクッと肩を落としていた。


「凌は、自分のこと、なにもわかってないのね」


「なんだよ、そういう美桜こそ人のこと言えるのかよ」


 すると美桜は、ワザと目を逸らし、キッチン横の水槽に目をやった。同じように視線を移すと、プクプクと泡の出る浄化装置の周りを、鮮やかな魚たちが優雅に泳いでいるのが見えた。


「あなた、自分が他人からどう思われているのか、考えたこと、あるの」


 なにを言い出すかと思えば、そんなこと。

 考えたことがあるどころか、毎日のように人の顔色を見ながら行動している俺に、なんて質問を。


「あるに決まってんだろ」


 ぶっきらぼうに答える。


「嘘。本当は、なんにも知らないくせに」


 襟元のリボンをくねくねと指でいじり、美桜はまた切なそうに息を吐く。


「前にも言ったじゃない。『嫉妬の対象は私』だって。私があなたと交際してるだなんて、その場しのぎに言ったところから、どんどん状況は悪くなってる。でも、言ったことを後悔しているわけじゃないわ。問題は、私があなたを選んだということ。それが表沙汰になったことで、“裏の世界”を危険に晒してしまったのだということ」


「なにが言いたいんだよ」


 相変わらず、美桜は本題を先に言わない。

 俺が、そんな言い方でわかるわけないってのに。


「言わないとわからないなんて、最低」


「どうせ、最低の人間だよ。だから嫌われてるし、陰口も叩かれる。誰も近づいてこない。美桜だって、俺が“干渉者”じゃなかったら、近づきもしなかったろうに」


「そうやって自分の価値を下げる必要、あるの? 正当に評価される機会がなかっただけで、自分のことを『最低』って決めつけるなんて、単に未熟なだけじゃない。まさか、今でも自分が不要な人間だなんて、思ってやしないわよね? 私やディアナやジークを、あれほど期待させておいて」


 ――遠回しすぎる。イライラする。

 ダンッと、俺は思わず食卓を叩いていた。グラスが揺れて、飛沫が散る。食べ終わったケーキ皿の上で、フォークもカシャンとか弱く鳴った。


「期待……するのは勝手だけど、それに答えられるようなうつわかどうかは保障できないし、するだけ無駄かもしれないって、常々。そもそも、俺なんかに期待してどうするんだよ。お前と違って俺には何もない。何の魅力もない、ただのブ男だぞ?」


 震える声で、ずっと我慢していた本音を吐き出した。

 行き場のない怒りと憤り。それから、ズンズン激しくなってくる頭痛。さらに、せっかく胃に入れたばかりのチーズケーキが逆流しそうで、俺は何のためにここに呼ばれたのか、だんだんわからなくなってきていた。

 美桜が俺のことを気遣っていたのは知っている。余計な心配をかけないように、遠回しに遠回しに話してるってこともわかってる。

 だけれど、なんだろう。

 やっぱりこの部屋も“ゲート”に近いからだろうか。

 感情のコントロールがだんだんできなくなって、いつもならなんてことない一つ一つの言葉が、やたらと突き刺さってくる。


「凌、あなた、やっぱり少し、おかしいわよ」


 おかしい?

 なにがどうおかしいのか。


「……もう、この話は止めにしましょう。冷静に話せるようになるまで、凌はレグルノーラに行かない方がいいと思うわ」


 息が苦しい。

 脈も速くなってきている。

 綺麗に見えていた美桜の部屋が、どこか暗く沈んで見えた。

 もやがかっていたりはしないのだが、少し、部屋全体が歪んで見えるのは、頭痛のせいなのだろうか。

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