抵抗は、許されない4

 獲物を捕まえたら離さない。そんな確固たる信念でここに飛んで来たのだと、彼女は全身で訴えてくる。

 つまり、俺にはもうYESの選択肢しかない。

 思い返せば今までだってずっとそうだ。

 “レグルノーラ”の存在を知ってから先、俺には何の主導権もなくて、拒否権もなくて、ただひたすらに周囲に従っていただけ。

 俺は本当にただ巻き込まれただけなのか。まさか、最初から決まっていたなんてことは、ない、んだよ、な……?


「確かに、“表の世界の干渉者”はお前と美桜だけではない。他に何人も存在する。――だが、求めている人物像にピタリと重なることは稀だ。お前ならば、“レグルノーラ”を“悪魔”から救える。私の与える試練に耐えることができれば、だがな」


 また。

 また美桜と同じことを。


「“美桜と同じこと”。そりゃ当然だ。あのも、同じことを願っているのだから」


 ――心を、読んでる。

 美桜もそうだった。俺が思っていることを全部見透かしているかのように、答えを返してくる。


「ただ、最終目的は一緒でも、私たちレグルノーラの人間と美桜とは、相容れることはない。そこに、いずれお前自身も気付いていくだろう。答えは自分で探すものだ。全て与えられるモノではない」


 近い。

 ディアナの顔まで、ほんの十数センチ。

 息が、花の香りでいっぱいだった。葉たばこの匂い。麻薬を含んでいるような、幻覚症状を誘う甘ったるい匂い。

 ニタッとまた彼女は笑って、口の横でキセルを吸った。

 そして長く息を吐き出し、俺にめいっぱい煙を浴びせる。


「覚悟は、できているのだろう」


 スッと、彼女の右手からキセルが消えた。

 何をするのだろう。思った矢先。

 ディアナは大きく身体を反らし、俺の胸めがけて右手を突っ込んだ。

 ――ま、さか。

 突っ込めるはずなんてない。ないのに。

 彼女の手はTシャツをすり抜け、皮膚を通り抜け、肋骨を抜け、その先にある心臓へ。

 痛みなど、感じている暇はない。

 ヌチャッと、黒い手が心臓を掴む。掴まれている。はっきり、そう感じ取れる。

 俺は息をするのもまばたきするのも忘れて、呆けたようにディアナの目を見ていた。表情のない、冷たい目。

 ギュッと、更にディアナは、強く心臓を握った。

 鼓動が乱れる。血圧が上がっていく。頭がぼうっとして、物事を冷静に考えることができない。

 無意識に、俺は彼女の腕を抜き取ろうと足掻いていた。両手で彼女の右腕を掴み、なんとか自分の身体から引きはがそうと。それは本能的で、自分でそうしようと思っていたわけではないのだけれど、


「抵抗は止めろ」


 ディアナは低い声で言った。

 心臓を掴む右手の力が、また増した。彼女の長い爪が心臓に食い込んでいく。

 死んで、しまうのか。

 このままでは心臓が破裂する。そうしたら、“裏の世界”へ行くどころか、“こっち”でだって生きていけない。

 視界が徐々に狭まってくる。暗く、真っ黒な世界に誘われていく。俺はまだしっかりと目を見開いているのに。どうして。どうしてこんなことに。

 喉の奥から捻り出したような声を、自分自身が上げていることに気付く。

 苦しい、嫌だ、死にたくない。

 音も、感覚も、徐々に失われていく。


「しぶといな」


 知らない。そんなの知ったこっちゃない。

 俺はただ死にたくない一心で、最後の力を振り絞ろうとしていた。

 心臓が、痛い。血の気が、どんどん引いていく。

 助けて。

 誰か。


「――チッ。仕方あるまい」


 すっかり視覚を失った俺の眼前に、ディアナの顔が迫った。

 唇が、ふさがれる。

 まるで息をするなと言わんばかりに、彼女の唇が重なっている。

 口の中に吹き込まれた彼女の息は、鼻を通り、肺に達し、身体の隅々まで広がっていった。

 花の匂い。神経を麻痺させる麻薬のような危険な香り。

 意識が、薄れていく。

 いつも“裏の世界”へ飛ぶのとはまた、違った感覚。

 俺は、俺という存在は、このまま消えてしまうのか。

 全身から、力が抜ける。

 俺の意識は少しずつ、身体から離れていった。

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