抵抗は、許されない2

 ふと我に返る。

 今どこにいるのか確認しようと身体を起こす。

 机。俺の部屋。

 ……戻ってきたんだ。

 集中力が途切れると、もう“向こう”にはいられない。レグルノーラの白い塔の上から、俺は一気に現実に戻された。

 何故、あの場面で。

 後悔の念がどっと押し寄せ、自分のふがいなさに呆れる。

 これからが本番ってところで戻ってくるなんて、最低過ぎるだろ。ディアナは何を言いたかった。俺は、どうするべきだった。今考えたところで、もう一度自分の力で“向こう”に飛べるかどうか自信もない。

 一度頭の中をリセットして体力の回復に努めないと、“向こう”に戻るのは無理だ。いや、一日に何度も飛ぶこと自体できるのかどうか。それに、戻ったところで、塔の上にピンポイントで飛べるわけがない。もう一度塔に向かうところからやり直し。

 ……ほんの、ほんの少し気が緩んだだけで、戻ってきてしまうなんて。


「焦るな。お前の力には、伸びしろがあるのだから」


 え?

 幻聴か。

 グッタリして丸めていた背中をピッと伸ばし、思わず辺りを見回す。――と、赤と黒の何かが視界に入る。丁度俺のベッドに腰かけ……て。


「ディアナ!」


 赤いドレスをまとった黒人女性が、足を組んで俺を見ている。

 キセルを咥えた彼女がぷぅっと息を吐き出すと、“向こう”で嗅いだのと同じ花の香りが部屋中に広がった。


「お前の方は時間切れらしいが、私はお前にまだ、伝えたいことがあるんでね。悪いけど、“こっち”に来させてもらったよ」


 ニヤッと口角を上げ、ウインク。大人の魅力にドキッとしたが、今はそれどころではない。

 ディアナときたら、土足の、ブーツのままだ。大体、俺の部屋まで飛んで来て、こんな花の匂いプンプンされたんじゃたまったもんじゃない。

 壁かけの時計をチラッと見る。俺が電話で美桜に起こされ、“向こう”に飛んでから随分経っている。もう昼だ。“裏”にいた時間はどれくらいだったのか。この分だと、“あっち”から戻ってきて直ぐに目を覚ましたわけじゃなさそうだ。それだけ精神力を消耗したってことなんだろう。


「駆け出しにしては踏ん張った方だと思うがね。私たちレグルノーラの人間は、お前が思うよりもずっと多くのことを、お前に望んでいるのだ。私はそれをお前に伝えなければならないし、お前にはこれから更に力を付けてもらわなくてはならない」


 ディアナはそう言って、すっくと立ち上がった。ブーツのヒールがカツンとフローリングに当たる。


「あ、あの……。言い出しにくいんだけど、土足はちょっと……」


 恐る恐る、上目遣いにお願いすると、


「ああ、そういう文化だったね。失敬。それなら」


 ディアナはほんの少し天井を見上げ、うんうんとうなずいた。

 キセルを咥えてパチンと指を鳴らした途端、彼女の足からブーツが消え、長い足があらわになる。ガーターベルトで留められた網タイツが、やたら色っぽい。


「これでよかろう」


 いや、良いかと言われると、あまり同意はできないが仕方ない。

 場にそぐわないドレスもどうにかして欲しいと心の中では思っても、言葉にすることはできなかった。開きっぱなしのカーテンをチラッと見る。向かいのアパートには人気ひとけなし。とりあえず、ここから出ない限り気にする必要がなさそうなのがせめてもの救い。


「で、話を戻すが……、凌、お前は、自分の“本当の力”について、興味はないか」


「そ、そりゃ、なくはない、です、けど」


 言葉を濁す俺。

 突然、何を言い出すんだこの人は。


「人間は、持って生まれた全ての能力を、常に発揮できているわけではない。それは、“表”であろうが“裏”であろうが同じこと。身体の奥底に隠された能力を、如何に引き出すか。――切っかけが必要だ」


 ディアナはそう言って、にやりと笑いを浮かべる。それからゆっくり歩み寄り、椅子の上で固まっている俺の真ん前にグッと顔を近づけた。


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