覚醒3

 生徒指導室を出るなり、美桜は俺をひっ捕まえ、2-Cの教室まで引っ張った。そして無理やり手を繋ぎ、意識を“レグルノーラ”まで強引に引きずり込む。

 しかも、教室と直接繋がっている小路の“ゲート”じゃなく、美桜の隠れ家、あの森の小屋へと引っ張っていかれた。完全に彼女の誘導で、俺は何となく拉致されたような気分になっていた。

 生徒指導室での話は、思ったより簡単に終わった。

 目撃者がいる。しかも、全く利害関係のない下級生だ。

 相手が俺を脅すために持っていたナイフで、実際に俺の腕を傷つけたことも、俺に非がないという客観的な理由になったらしい。

 相手側も、自分たちの方が仕かけたのだとあっさり認めたらしく、俺は事実確認と厳重注意ぐらいで済んだ。

 当の北河はというと、途中から記憶がすっぽり抜けてしまっていて、気が付いたらあの場に倒れていたのだと証言したらしい。あの黒いもやもやが、もしかしたら北河の意思とは裏腹に肉体を操っていた……なんて、そんな漫画みたいな話はないだろうが、とにかく、何とか場は収拾した。


「その話が本当だとすると、あの場所が問題だったのかもしれないわよ」


 美桜は言う。


「あの場所?」


「忘れたの? 体育館の裏は、“ゲート”の一つ。“表と裏を繋ぐ場所”よ。教室より不安定だけど、“裏”の影響が出やすいところ。もしかしたら北河君は、“ゲート”のせいで暴走したのかも」


 事前通告もなく連れて行かれたことで、俺は頭がぼんやりし、彼女の話がすぐには理解できなかった。


「北河君自身があなたに敵意むき出しだったのは間違いないとして、彼に“干渉能力”があるとはとても思えない。そんな臭い、しなかったもの」


 また、“臭い”か。

 前にもそんなことを言っていた。そもそも、“干渉者の臭い”ってなんだ。そんな抽象的なもので、どうやって敵を見つける気だ。


「あいつ、美桜の彼氏が俺だってことに相当腹を立ててるみたいだったけど。何か、前にあったとか」


 レグルノーラでも日が落ちて、辺りは薄暗くなっていた。

 小屋には相変わらず電気はない。美桜が棚の上から引っ張ってきたロウソクをテーブルの上にのっけて、ほんの僅かな明かりを頼りに話し込んだ。どこからともなく、羽虫が光を求めて寄ってくる。薄闇の中で、小屋のテーブルだけがくっきりと浮かび上がっていた。

 誰にも聞かれたくない話をするには確かにちょうどいい場所かもしれない。だが、虫の音や獣の声がはっきり聞こえる森の中に二人っきりっていうのは、いろんな意味で、あまりよろしくないような気がする。

 ちょっとでも不純なことを考えれば、理性が吹っ飛んで彼女を押し倒したくなるだろう。だが当然、美桜は俺がそんな目で見ているだなんて、微塵も考えていない様子。神妙な顔でロウソクの炎の先を見つめている。


「高校に入ってすぐ、告白されたわよ。『付き合ってほしい』って。もちろん断ったけど」


 やっぱり。そうかなと思った。

 北河のことはあっさり振ったのに、俺と付き合っていると明言した。だから心底腹を立てていたってわけか。


「全く親しくもない人に突然告白されても、付き合おうなんて思わないでしょ、普通」


 それはそうかもしれないが。

 プライドの高い北河が激高するのも、わからなくはない。

 美桜はいつも通り、冷たくあしらったんだろう。それをずっと根に持っていたからこそ、ああいう行動に出てしまったのだ。


「で……、『“ゲート”のせいで暴走した』ってのは」


「臆測だけどね」


 グッと背筋を伸ばし、両肘をテーブルについて、美桜は眉間にしわを寄せた。


「“ゲート”は、一番“もうひとつの世界”に近いところだから、感受性の高い人や潜在的な能力がある人は、その影響を受けやすいのよ。教室でなら“こっち”に飛びやすいのと一緒で、体育館の裏も、教室ほどではないけど“ゲート”としての力のある場所だし、力を発揮しやすいのだと思うの。凌は……、凌自身は、何か変わったこと、なかった?」


「それは――」


 ふと、頭の片隅に風のイメージが湧いた。

 そうだ。北河を吹き飛ばした。

 ついでに言えば、他の四人から殴りかかられたときだって、身体が軽くて勝手に動いていた。


「なんとなく、その」


 しかし、あれをどう説明したらいいのか、はっきりとはわからない。


「変わったことがあったといえばあった、けど。それがそうだったとは」


 あのとき、どうして“表”でも“力”が使えると思ってしまったのか。今考えれば、なんて無謀なことをしてしまったのだと反省するばかり。何も起こらなかったら、俺はもっと傷ついていたし、北河も注意じゃ済まなかった。完全に、傷害事件に発展していた。


「――ジークが、現場を見に行ったらしいけど」


「え?」


「あなたが“力”を使った形跡があったって」


 今、今なんて言った? ジーク?

 俺は思わず椅子から立ち上がり、身を乗り出して彼女の目を見た。嘘なんか吐いてない。いつものように澄んだ瞳で、眼鏡越しにこっちを見つめ返してくる。


「“力”を、使ったのね? 使えたのね?」


 ジークのことを聞き返そうと思ったのに、できなかった。

 彼女はただ、俺に事実の確認だけ迫っている。

 うなずく。


「使……えた、んだと思う。あれが、そうだったとしたら」


 歯切れが悪い。実感がないのだ。

 自分の意思じゃなく、必要に迫られて発揮できたようなものだから。


「風の塊で北河をはじき飛ばした。だけど、あれは偶々」


「――偶々でも、“表”で“力”が使えたなら。凌、あなた」


 美桜は、一旦セリフを区切って、大きく肩で息を吸った。


「“覚醒”したのかもしれない」


「かく……せい……?」


 創作の中でしか聞かないような言葉に、困惑する。

 なんだ、それ。

 何を言ってるんだ。


「“干渉者”として、本格的に目覚めたのかもしれない。いいえ、かもしれない、じゃない。目覚めたのよ。やっぱり、私の感じた“臭い”は本物だったのね。凌……あなた本当に、この世界を救うことになるかもしれない……!」


 興奮のあまり、美桜は立ち上がり、俺の両手をひっしと握りしめた。


 何を、期待している。

 何を、勘違いしている。


 最初に“干渉者”だと言われたあの日以来の、妙な不安が俺を襲う。

 二人の手の下、小さくなったロウソクの炎が、チラチラと頼りなく揺れていた。

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