覚醒2
目を覚ますと、白いベッドの上だった。
消毒の臭いがする。白いカーテン、青いパーティション。薬箱やファイルの入った白い棚。
保健室か。
あれから、かなり時間が経ったらしい。高かった日もすっかり落ちて、辺りは薄暗くなってしまっていた。冷たくなった風がゆっくりと窓から入ってくる。ぐったりした頭を冷やすのには、ちょうどいいくらいの温度だ。
枕の上で頭を左右に動かし、状況を確認する。
ふと、ベッドのすぐ横で椅子に腰かけこちらを見ている美桜の顔が目に入った。
「あ……」
言葉に詰まり目を逸らした俺に、美桜は優しく話しかけた。
「大丈夫? 大分うなされてたみたいだけど」
夢なんて見ている余裕もなかったけれど、もしかしたら、さっきの光景が無意識に繰り返されていたのかも知れない。
美桜はいつも通り表情を変えず、眼鏡越しにこちらを見ていた。
騒ぎを起こした俺のことを、彼女はどう思ったのだろうか。そう考えると、彼女の顔をまともに見ていることができなかった。
「来澄君、目を覚ました?」
パーティションの裏から、養護の島谷先生が顔を出した。小柄でほっそりした先生は、ニッコリと微笑んで、こちらを気遣うように小さな声で言った。
「北河君たちは大丈夫だったから。何があったか知らないけど、傷、浅く済んで良かったじゃない。もう少し酷かったら、警察沙汰だったわよ」
はいと小さく返事して、視線を美桜に戻す。
「御心配おかけしてます。彼には私から事情を説明しますから」
美桜は先生に対してそう言うと、身体の向きを直して俺の顔をじっと見つめた。
「一年の女子が数人、教室を出ようとしていた私の所に飛び込んできたのよ。『芳野先輩の彼氏が大変なことになってます』って。あなたが北河君たちに連れて行かれるところを見たって」
そういえば、囲まれた現場に見知らぬ女子が数人いた。彼女たちが美桜に教えてくれたのか。
「その子たちと一緒に生徒指導の片平先生を探して、あなたたちが向かったと思われる体育館の裏手に行ったら、既に周囲は人だかりになっていて。大騒ぎになってたわよ。体育館で練習中だったバレー部も、外から変な声が聞こえてたって」
ああ、そういえばそうだった。
体育館では女子バレー部が練習をしていた。あそこで何かがあったら、誰かに聞きつけられる要素は十分にあったのに。あのときはボールと練習の声が響いてて、そんなこと考えもしなかった。
「誰か、何か言ってた?」
「え?」
「俺が……何をしたか、誰か、何か言ってた?」
何のことかしらと、美桜は首を傾げる。
「俺がやったんだよ。北河たちをなぎ倒した。俺が全部悪い」
「……馬鹿ね。言ったじゃない。ちゃんと目撃者がいて、あなたは被害者だって先生たちもわかってくれたわよ。あのナイフに付いていた血だって、あなたのでしょう。切られた腕、痛まない?」
そう、腕。――腕!
俺はガバッと起き上がり、慌てて右腕を確認した。
包帯、包帯が巻かれてる。ってことは、島谷先生がコレを。
「どうしたの。何を慌ててるの」
「何って、そりゃ、腕のアレ」
「アレ?」
「アレだよ。“我は干しょ……”」
息を荒げて焦る俺を見て、美桜はプププッと肩で笑った。
「多分それ、私たちにしか見えていないわよ。“あっち”に用のある人にしか見えないって、私、言わなかった?」
「――ハァ?」
なんだそれ。早く言えよ。
っていうか、そういえばそんなこと、誰かにも言われたような。
「そうか、そうなのね。だから凌、六月に入ってもずっと長袖だったんだ。てっきり、そういう主義なのかと思ってたわ。夏でも半袖は着ない主義。この間ウチに来たときもそういえば長袖だったもんね。ごめんなさい。私、てっきり言ってたものだとばっかり」
笑いを必死に堪えて目に涙まで浮かべている。
もしかして俺、からかわれてたのか? 美桜のヤツ、ホント趣味が悪い。
「悪気はなかったのよ。でも、……ゴメン、本当に。凌ってば可笑しい」
身体を丸めて、美桜は本気で笑い出した。
こんなに可愛い笑い声を立てられると悪い気はしない。しない、けれども。
俺の、クソ暑いのにじっと我慢して長袖を着続けていた苦労は一体何だったのか。むしろ、真夏が来る前のこのタイミングでわかって良かったと思った方がいいのか。
力が抜ける。
さっきまで妙な緊迫感があったからか、身体の芯から力が抜ける。
でも、こういうのも悪くない。こういう場面だけ切り取ったら、本当に俺たち二人は付き合っているように見えるのかもしれない。
「んー……、ちょっと、ゴメンねぇ」
咳払いをした島谷先生が、俺たちを見ていた。照れくさそうに顔を赤らめて、まるで間の悪いところに来たみたいな顔をしている。
「片平先生が、来澄君のこと呼んでたわよ。具合が良くなったら、生徒指導室に寄ってから帰ってって」
「あ……はい。そうします」
居心地悪いのは俺も一緒だ。ぺこりと先生にお辞儀してふぅとため息を吐く。
体調は悪くない。
早めに切り上げて、家でゆっくり休んだ方がいいのかもしれない。
ゆっくりと布団をはがし、上履きを履いた。誰かが運んでくれたのだろうか、体育館裏に放り投げたリュックが、きちんとベッドの横に添えてあった。
「もし行くなら、そこまで付いてくわ。終わるまで待ってる」
美桜も、おもむろに荷物を持って立ち上がる。
「え……、いいのかよ」
早く帰らなきゃ、飯田さんが心配するじゃないか。
「あとで、ちょっと話したいことがあるから」
「お、おぅ」
多分、今日の騒ぎのことだ。わかっていつつも、ちょっとだけ“彼女っぽい”発言に、俺は無駄な期待を抱いてしまっていた。
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