崩れる日常4
体勢を立て直し、上目遣いに北河を見る。ヤツは握り拳を作って、今まさに俺をぶん殴ろうとしていた。
腹のど真ん中を狙ってくる。――俺は無意識に身体を右にずらしていた。
北河の拳が宙を斬り、その勢いのまま体育館の壁に激突する。
間一髪。
俺はふぅと息を吐いて、背負っていたリュックを地面に落とした。
「そっちこそ何が気にくわないんだよ。たかが女子一人落とせなかったくらいでリンチかよ」
そうさ、たかが美桜一人落とせなかったくらいで。
ブサメンに美桜を奪われたのが余程ショックだったってことなのか。それとも過去に何かあったのか。
「……ンだとぉ? 来澄、てめぇ!」
北河は顔を真っ赤にして突進してくる。俺は攻撃を避けながら、体育館の縁に沿って後ろへ後ろへと下がった。
レグルノーラでの戦いに慣れてきたこともあって、相手の動きがはっきり見える。悪いけどコレじゃ攻撃は当たらない。軌道が見えすぎている。
「お前らもなに突っ立ってんだ!」
連れの四人がハッと顔を見合わせ、駆け寄ってきた。
日焼けた拳が三つ四つランダムに襲うが、動きが遅い。北河に言われ、その気もないのに場の雰囲気で殴りかかっているのが見え見えだ。
身体を右に左に揺すって攻撃をかわす。次は蹴りが来る。左に避け、まんまヤツらの背後に。今度は右からパンチ。左へ大きく首を振り身体を屈め、勢いで足払いをかける。殴りかかってきた一人がすっ転んで別の一人の身体に当たり、尻餅をついて別の男の行く手を阻む。突然の障害物に前のめりになった男は、ぐるんと前回りをする格好で背中から地面に倒れ、その勢いでもう一人の仲間を道連れにした。
気が付くと、北河以外の四人は草地にバラバラと倒れて唸り声を上げている。
……やってしまった。
こんなつもりじゃなかったんだが、身体が自然に動いていた。
戦闘に慣れてない生身の人間相手なら、もっと手加減するべきだったか。
「来澄……、お前、なんてことを……」
肩で息をしながら、北河はわなわなと震えている。
尻ポケットに手をやるのが見えた。
銀色に光るモノを手にしている。
「お前が悪いんだからな、来澄。お前が俺を、怒らせるようなことをするから」
ナイフだ。
コイツ、マジで何考えて。
目がギラギラと光っていた。北河の身体から、気のせいか、ねっとりとした黒いもやが立ち上がっているように見える。
何だ。目の、錯覚か。
汗が目に入って潤んでいるから、そう見えるだけか?
ごしごしとシャツの袖で額の汗を拭ったが変わらない。やっぱり、変な黒いものが北河から吹き出ている。
おかしい。
ここは、“裏の世界・レグルノーラ”じゃない。
“表の世界”なのに。
頻繁に“あっち”に飛びすぎて、おかしくなったのか。
なんであんなに黒いモノが、はっきりと見えるんだ。
「うぉりゃぁぁぁぁぁ!!!!」
勢いを付け、黒いもやを纏った北河がナイフで斬りかかってくる。
ダメだ、止めないと。
相手は人間だ。“あっちの世界”の魔物じゃない。
俺は思いっきり身体をひねって、北河の攻撃を避けた。
「止めろ、北河! 正気に戻れ!」
もう言葉など通じない。
北河は血走った目で振り返り、またナイフで切りつけてくる。
右へ左へ、斜めに横に。
これでもかこれでもかと勢いに任せナイフを振る北河は、いつものチャラ男の気配をすっかり失っていた。
ただの獣だ。
サクッと、腕をナイフが掠った。
ヤバイ。
思ってももう遅い。俺の真っ赤な血がバシュッと北河の顔にかかった。
はらりと右腕の袖がめくれ、あの刻印が晒される。
――“我は干渉者なり”
ダメだ。
こんなもの誰にも見せちゃ――なんて言ってる場合じゃなかった。今はとにかく、コイツを止めないと。
足元に倒れるヤツの仲間たちを踏まないように、気を付けながら後退る。
怪我をさせようとか倒してやろうとか、そんなつもりはなかったんだ。結果的にこうなってしまっただけで、お互い傷つけあう理由なんてない。
できるだけ穏便に全てを解決させなきゃ。
どうする。どうしたらいい。
“あっちの世界”だったら。
これがもし、“あっちの世界”での出来事だったら“力”を使えるのに。
頼りなくてまだ操りきれない力。
だけれど、敵を仕留めてきた力。
“イメージを具現化できる”力。
“こっち”でも、使うことができたら。
何のための“能力”だ。
“干渉者”って何だ。
――『この世界と“レグルノーラ”を行き来できる、数少ない人間』
――『二つの世界に干渉し、問題を解決することができる力を持つ選ばれた人間』
“二つの世界に干渉し、問題を解決することができる力”……?
だとしたら、“こっち”でも“力”を使えるのか?
まさか。
いや、だけど。何もせずに結論を出すのは早すぎる。
“力”が、欲しい。
弱くて惨めで、殻に閉じこもってばかりいるのは嫌だ。
自分だけじゃ何もできなくて、周囲が何かしてくれるのを待っているだけなのは嫌だ。
窮地に追い込まれても、這い上がって行けるような“力”。
肩書きだけじゃない、“本物の力”――。
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