微妙な関係3
「ハァ?」
思わず声が出た。
するとサーシャは、ハハンと顔をにやつかせ、
「やっぱり」
と小さく呟いた。
壁の向こう側を覗くようにして身を傾けるサーシャを見ていると、嘘をつき続ける気にもなれない。
「なんでわかったんですか」
俺はばつが悪くなって小さく返した。
「隠さなくてもいいよ。あの子、本当に人付き合いが苦手でね。小さい頃から知ってるけど、友達の作り方も話題の広げ方も知らないクセに、彼氏なんかできるわけないって思っただけだから」
むき終わった根菜を流しで洗い、ざるに上げて戻ってくると、サーシャはそれらをまな板の上で大きめにカットした。かまどの火は丁度よく大きくなってきていて、彼女はそれを確認し、手を止めて鍋に水を入れ、火にかけた。カットし終わった根菜が次々に鍋の中に投入され、一息ついたのかと思いきや、今度は葉物野菜をザクザクと大きめにカットし、コレも一緒に鍋へ投入する。固形ダシを何粒か入れた後フタをし、ようやくサーシャは動きを止めた。
同年代の子にしてはものすごく手際が良くて、俺はうっかり頼まれていたことを忘れるところだった。
「ほら、リョウ。急がないと。捏ね終わったら千切って丸めて、少し寝かせてから焼くんだよ。何作ってるか、わかる?」
「い、いや……」
「パンだよ、パン! かまどの温度は丁度よくなってきてるんだから、急がないと」
「ハァ……」
サーシャは見かねて俺からボールを取り上げ、まな板の上に小麦粉を散らすと、小さく千切った生地をくるくると丸め始めた。
そして、手元にあったまな板をもう一つ俺の前に置くと、また小麦粉を散らして、お前の分だ、丸めろとばかりに生地を千切って渡してきた。
「でもさ、パンって、確か発酵やら焼くやらに随分時間がかかるんじゃ……。俺、そんな長いこと“こっち”に居たことないんだけど」
いくら頑張って作ったところで、食えないんじゃ意味がない。そう思ってため息をついていると、サーシャはまた何も知らないのねとばかりに鼻で笑った。
「今日は、ミオんちから飛んで来たんでしょ。なら、大丈夫よ」
いつ、俺が美桜の自宅にいたことを話しただろうと首を傾げると、
「ミオんちはゲートになって、この小屋と繋がってるのよ。それにここは、ミオの大切な場所だからね。翼竜のリリィも護ってくれてるし、加護の魔法で魔物から感づかれることもない。街にいるときよりリラックスできるから、きっといつもより長くレグルノーラに居られると思うよ」
サーシャは俺が聞いてもいないことまでペラペラと喋ってくる。
美桜はこの会話を壁の向こうでどんな気持ちで聞いているのだろうか。さっきまで聞こえていた物音がぴたりと聞こえなくなった気がして、俺は何となく変な後ろめたさを感じ始めていた。
俺の視線が壁の向こうばかり気にしていることに感づいたのか、サーシャはふぅとため息をつき、声のトーンを少し落とした。
「――さっきは『彼氏なの』って変なこと言ったけど、ミオはリョウのことを、もしかしたらそれ相応か、もしくはそれ以上のモノだと思ってるかもしれないよ」
手が、止まった。
「へっ?」
変な声を出して、俺は正面を向く。
サーシャはあくまで真面目に、
「私は、そう思ったよ」
と続ける。
「まさか」
そんなことはない。
美桜は、俺に恋愛感情など向けたことはない。彼女にとって、俺はレグルノーラを救うための道具の一つに過ぎない。それでもいいと、俺もついさっき自分の立場を納得したばかりだったのに。
「ミオは否定すると思うけど」
更に声のトーンを落とし、サーシャは言う。
「あの子が信頼するほどの人物、なんだよ、リョウは。もっと誇ればいいのに」
突然、何を言い出す。
パン生地を丸める手が、完全に止まってしまった。
「“干渉者”はね、“自分のイメージを具現化できる”存在なんだよ。知ってる?」
それが、どうした。
俺はいぶかしげにサーシャを見つめる。
「自分のことを卑下しているウチは強くなれないし、力も発揮できない。もっと自信を持ちなよ。あの“ミオ”の心を射止めたんだから、きっとリョウはスゴイ男なんだと私は思うけどな」
……別に、射止めてなんかいない。美桜が勝手に“見つけた”まで。
そんなことをサーシャに言っても、信じてはくれないだろう。
それに、だ。『自信』なんて曖昧なことを言われても、どうすればいいのかわからない。
俺のどこにそんなモノがある? 容姿にも、頭脳にも、体力にも自信がない。何の取り柄もない俺に、初対面で『自信を持て』だなんて、本当にレグルノーラの連中はデリカシーがなさ過ぎる。
「ま、話半分に聞いときゃいいから。いずれ意味がわかってくると思うけど、それまでは嫌味にしか聞こえないかも、だね」
わかっていて、サーシャは俺に言ったのだ。
俺がこういう性格だとわかっていて、わざと。
クスッとサーシャは小さく笑い、何ごともなかったかのようにまた生地を丸め始めた。
かまどが近く、気温が高いせいか、鉄板の上で順調に発酵した生地たちは、早く焼いてくれとばかりにツンと上を向いて均等に並んでいる。やる気を失った俺の手から再び奪い取った生地を丸め並べ終えると、サーシャはもういいよありがとうと笑った。
彼女は手伝って欲しくて俺をキッチンに呼んだわけじゃない。きっと、さっきの言葉を伝えたかったのだ。だがその真意がわからず、彼女のセリフはずっと、俺の頭の片隅に引っかかり続けることになる。
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かまどで焼いたパンに、じっくりと煮込んだ野菜のスープは、“向こう”では味わうことのできない濃厚な味だった。だけれど、残念なことに俺はじっくりと味わうための心の余裕を有してはいなかった。
サーシャは自分の言葉など気にするなとばかりにさっきの話題には一切触れないでいるし、美桜は美桜でどこまで聞こえていたのか知らないが、やはり俺の存在などあってもなくても変わらないくらいの自然さでサーシャとの会話を楽しんでいる。
俺はせっかく出された飯を前に、ずっと上の空だった。
今こうして腹に入れている食い物は果たして“向こう”の俺の中ではどう扱われるのだろうとか、今は一体何時で向こうに戻ったら何分ぐらい経過しているんだろうとか、そんなことばかり考えていた。
結局のところ、俺は美桜のなんなのだろうか。
――『何て……、答えて欲しいの。凌は』
彼女の一言が、胸に刺さる。
――『ミオはリョウのことを、もしかしたらそれ相応か、もしくはそれ以上のモノだと思ってるかもしれないよ』
サーシャは、なぜあんなことを言ったのだろう。
――『自分のことを卑下しているウチは、強くなれないし、力も発揮できない。もっと自信を持ちなよ』
無責任だ。
どいつもこいつも巻き込むだけ巻き込んでおいて、正確な答えをだしてはくれない。
美桜との溝は狭まるどころかどんどん広がって、深くなっている気がした。
俺は結局、美桜のことを何も知らないし、美桜も俺に何も教えてくれない。
そして、彼女が俺のことをどう思っているのか、俺は彼女にどう映っているのかもどんどんわからなくなってくる。
――『自信を持ちなよ』
普段耳にすることのないこの言葉が、俺の心を強く揺さぶっていた。
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