異変4

「突然言われても」


 オロオロしていると、また何かが背後で動く。

 ニュルッと気持ち悪い音を出し、わざと俺の視界に入らないようにしているようだ。

 こういうときはやっぱり飛び道具なのか。

 銃身の短い小型の銃を想像する。両手で握る仕草をして、手のひらに意識を集中させる。刑事ドラマでよく見るヤツ、黒くてずっしりとした、実弾の入った銃。

 周囲に気を払いながら、俺は必死に頭の中で銃のイメージを描き続けた。

 フッと手に重さがかかり、何かに触れている感覚に気が付く。

 できた。俺はニヤッと口元を緩めた。


「上出来――」


 言いながら、彼女は一発銃弾を放つ。

 狭い小路、銃弾が跳ね返る。

 黒い何かは驚いたように一瞬動きを緩めたが、シュルシュルと音を立て、身体をくねらせながら壁を這って通りに向かう。

 大きい。少なくとも、一抱えほどありそうだ。


「凌、早く小路を出て! 早く!」


 美桜は珍しく焦っていた。

 それもそのはず、小路の壁という壁から、黒いぬめぬめした塊がニュルニュルと際限なく染み出てくるのだ。初めは一体だった黒い何かは、いつの間にか小路全体を埋め尽くしていた。

 一体、これは何だ。

 足元にヌチャッと絡みついてくる何かを振り払いながら、俺は必死に大通りに向かって走った。

 息が切れ、喉が渇く。が、足を止めれば、あの黒い何かに捕らわれてしまう。


「ち、くしょう、が……!」


 無我夢中で足を動かし、大通りに出る。

 ここまで来れば安心なのか?

 だが美桜は走るのを止めない。通行人をかき分けかき分け、どんどん先へ先へと進んでいく。


「凌、早く!」


「わかってるよ!」


 周囲に人がいないのを確認して振り返り数発、俺は黒い何かめがけて撃ち込んだ。弾ける音と共にその物体は粉々に散り、俺は頬を緩めた。だが次の瞬間、欠片は膨れあがり、それぞれが急激に大きくなってこっちへ向かってくる。

 何だ。

 一体これは、何なんだ。

 きびすを返し、俺はまた美桜の後を追った。

 普段は車でいっぱいの道が不自然なほどスカスカだった。通行人の姿もほとんど見かけない。街は死んだように静かだ。

 何かが、おかしい。

 空を見上げても、いつもなら街を見守るように旋回している翼竜の姿すらない。


「おい、美桜! 美桜ってば!」


 彼女は振り返らない。

 いつの間にか彼女の銃は、長い両手剣に姿を変えていた。


「来るわよ!」


 何が。

 聞き返す間もなく、大通りのど真ん中に大きな影が被さった。

 突然夜が来たかのように、辺りは光を失う。メキッと音を立て周囲のビルが砕け、外壁やガラスがドバドバと道の両端に崩れ落ちた。巻き込まれぬよう、俺と美桜はその場を必死に駆け抜けた。ただでさえ数の少ない通行人や車が、無残にも瓦礫に押しつぶされていくのが見える。


「な、何だよアレ」


 彼女はすぐには答えない。

 こんな非常事態にも関わらず、信号機だけは機械的に動いて赤から緑へ、緑から赤へと変わっている。

 一体、レグルノーラの人たちはどこへ消えてしまったのか。

 そして何が、今この世界に起きているのか。

 美桜はようやく足を止め、大きく肩で息をした。両膝に手を当てて前屈みになり、俺もやっと一息つく。

 いつもの小路から随分走った。イメージで何とか誤魔化したものの、体力は確かに限界だった。華奢な身体で障害物を避けながら走っていた美桜は、俺よりずっと疲れているはずだ。

 道の真ん中で、俺たちはようやく、壊されていく街の全体像を見ることになる。

 大きな丸く黒い影が空全体を覆い、そこから雨粒のように、黒いモノがぼとぼとと落ちてくる。さっきのニュルッとした黒い物体も、それに違いない。近未来と中世の融合したような独特な街並みが、黒ずんで穢されていく。

 何もかもが押しつぶされ、この場で生きているのは俺と美桜の二人だけ。

 今朝、確かに美桜は言った。


――『妙な魔物が湧いて』


 急いでいた理由は、コレか。


「それだけじゃない。次が、来る」


 美桜はキッと前方を睨んだ。

 どういう意味だ。

 俺が悩んだのもつかの間、彼女は声を張り上げて剣を構え、今来た道を戻っていく。


「お、おい、美桜!」


 黒く丸い物体が、ニュルッと道路のど真ん中から湧きだした。同じように次々と大小様々な球体が現れ、宙に浮いて美桜の行く手を塞ぐ。

 球体はまるで意思を持っているかのように、ゆらゆらと揺れ動いていた。

 眼ン玉だ。

 中からギョロリと巨大な眼球が覗いて、美桜の動きを注視している。両手剣を振り回す美桜をせせら笑うかのように、眼球はゆらりゆらりと攻撃を交わす。


「凌、何してるの! 攻撃して!」


 言われ、ハッとした。

 そうだ、俺も武器を持ってるんだ。

 両手で銃を構え、一発でも放とうと――が、でき……なかった。

 俺の存在に気が付いた眼球の一つが、ヌッと真ん前に現れたのだ。

 巨大な――、瞳。直径1メートル以上あろうかというそれの眼力に、俺の手足は凍りついてしまっていた。

 なんだ。

 なんだコレ。

 金縛りか。

 必死に動かそうと思っていても、全く動かない。

 巨大な眼球が、徐々に近づいてくる。音もなくゆっくりと、俺の真ん前に迫ってくる。

 当たる、当たる当たる当たる――血走った眼球に、俺の青ざめた顔がくっきりと映っていた。

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