異変3

 その日の昼、俺はまた美桜に呼び出された。今度は、人気ひとけのない屋上だった。


「やる気、あるの」


 飯を食う前の超空腹状態の俺に、彼女は冷たい言葉を浴びせた。


「あ、あり、ます」


 残念ながら彼女の合図虚しく、午前中は全く“向こう”へ飛ぶことができなかったのだ。

 少なくとも一時間に一回以上は合図を出していた。それは知っていたのだが。


「あなた自身が努力しないと意味がないの。わかってる?」


 アゴを上向きにして目を細めた彼女は、威圧的だった。

 立場のない俺は、ただただ肩をすぼめて謝るしかない。

 夏が近づき、じりじりと日が照りつけていた。風は少しあったが、涼しいと感じるほどではない。こういう日には、屋上で飯を食おうなどと言うヤツはいないのだろう。人影は全くなかった。

 それをいいことに、美桜は鬼のような形相で俺に迫った。


「私は、“干渉者”としてのあなたの才能を買っているのよ。才能は、持っているだけでは意味がない。発揮して、初めて認められる」


 両手を腰に当て、眼鏡を光らせて、背中には妙なオーラまで出ている……ような気がする。

 こんな女に憧れている連中が居るのだと思うと、そいつらが哀れになってくる。悪いが、彼女は天使でも女神でもないのだ。


「飛ぶ気、あるの」


「ありますありますあります」


「……よろしい」


 ホッと、思わず息をつく。怖い。


「そしたら今すぐ、飛べるわね?」


「へっ?」


 美桜はまた、唐突にとんでもないことを言い出した。


「飛べるの飛べないの」


「と、飛べるけど、飯は」


「馬鹿ね。満腹になれば、集中力が欠如する。空腹時の方が集中できるのよ。知らないの?」


 いや、知ってる。知ってる……が。

 今じゃなければならないのか。どうしても。

 喉元まで出ていたセリフを、美桜の顔を見て呑み込んだ。無理だ、言えない。

 彼女はスッと、俺の顔に人差し指を向けた。


「さぁ、目をつむって」


 俺は仕方なく、彼女に言われるがまま目を閉じる。


「いい? 私の存在を感じながら、少しずつ意識を沈めていくのよ。手を握らなくても、きちんと飛べるはず。どんどん沈んでいく。深く、深く、深く」


 さながら催眠術をかけられているような、感覚。

 彼女の指が、すぐそこにある。

 指先から同心円状に波紋が広がり、そのうねりが俺の意識をレグルノーラにいざなっていく。

 意識は更に沈んでいく。立ったまま、深い眠りに落ちていくように、全身の力を抜き、あらゆる神経を集中させ、どこまでも深く、深く……。





□■━━━━━・・・・・‥‥‥………





 目を覚ますと、いつもの小路だった。

 なんだ、手を繋がなくったって来れるじゃないか。ホッとため息をつく。

 ここ数日来ていなかっただけなのに、この小汚い場所をなぜだか懐かしく感じてしまった。

 レグルノーラは相変わらずの曇天で、薄暗くじめっとしている。そういえば“こっち”では晴れ間を見たことがない。“灰色の世界”だと俺が感じてしまった理由はそこにもあった。

 視界に、薄いグレーのワンピを着た美桜の姿が映った。制服よりもこっちの方が似合ってるなと、そんな他愛ないことを考えていた俺は、背後から近づいてきた何かに全く気付いていなかった。


「凌、後ろ!」


 後ろ?

 半分まで振り返ったとき、俺の目の前を細長く黒いねっとりとした何かが通り過ぎた。

 何だ。何が起きた。

 驚いて周囲を見回すが、何もいない。


「武器、何か武器出して!」


 美桜の焦るような声。

 彼女は彼女で、武装した上、小型の銃を構えている。

 戦闘態勢だ。


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