異変2

 また、理解不能なことを。

 俺はボリボリと頭を掻いて、このお嬢さんは何を考えているんだと、思いっきり顔で訴えた。

 当然、美桜には何も伝わらない。


「訓練すれば、“ゲート”以外でも、簡単に“向こう”へ飛ぶことができるようになるわ。そのためにはまず、どんな状態でも“飛べるように”しておかないと」


 化学室の机に尻を引っかけて、彼女はさも当然でしょとばかりに俺を見下している。


「まだ、飛べるようになって一ヶ月だぜ。そんな簡単にぽんぽん“あっち”へ行けるかよ」


 俺がいくら頭を抱えていても、彼女は一向に引かなかった。


「何言ってるの。年月は関係ない。問題は、強い“心”を持っているかどうか。それともあなたの“心”は、こんなことに耐えられないほど弱い、とでも?」


 ――美桜は、やたらと痛いところを突く。

 俺の気持ちがどう動くか、よく知っている。

 弱いかと言われて、弱いと認める男はまずいない。自尊心を傷つけられるのを嫌って、首を横に振るか、言い返すか、無言でいるか。だからこそ、こういう切り返しできたんだろう。


「“飛び方”を忘れたら、向こうには行けなくなるわよ。必要とあらばいつでも“向こうへ飛べる”くらいの勢いじゃないと」


「必要とあらばって、なんだよ」


「忘れたの? “表と裏”、二つの世界は互いに影響し合っているのよ。今、“あっち”は“あっち”で大変なの。妙な魔物が湧いて」


「ま、魔物?」


 俺はまた自分の声が大きいのに付いて口を塞ぎ、キョロキョロと周囲を見回した。大丈夫、他に人はいないみたいだ。


「魔物って、どういう」


 今度は静かに、美桜のそばまで身体を寄越して呟く。


「詳細はあっちで。ここじゃダメ。いい? 授業中の、ほんの数秒でいいから、意識を集中させるのよ。長く続けていれば、どんどん時間を延ばせるはず」


 そろそろ、ショートホームルームの時間だ。

 美桜は教室の時計をチラッと見て、早口で喋りだした。


「数学の授業中はダメ。現国か世界史、英語の時間、先生がまったりと教科書を読み始めたころ、右手で髪をかき上げるから、それが合図よ。“こっち”の1秒は“あっち”の1分、“こっち”の10秒は“あっち”の10分。できるだけ長い間あちらにいることができれば、ほんの少しタイミングがズレたとしても、互いの時間は交錯する」


「で、できるのか、そんなこと」


「できないって思うから、できないのよ」


「だって、手は……。授業中は、手は握れないじゃないか」


 美桜の手を握って、彼女の存在を確かめながら“裏の世界”へ行っていたのだ。それが誤解を招いたのだというのはわかっているが……、そうしないと飛べないという頭があった。


「『私の手を介さなくったって、飛ぶことはできるはず』って、私、言わなかった?」


「そりゃ、言ってたけど」


「だったら、やってみればいいじゃない。あなた、私の席の後ろでしょ。不安なら、まずは私の背中や髪の毛を触りながら飛んでみたらどう?」


「ど……どうって」


 時間だ。

 美桜は俺の返事をきちんと聞かないまま、スタスタと化学室から出て行った。





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 彼女が提案した通り、同じ時間に“裏”へ飛ぶのには、かなりの覚悟が必要だった。

 美桜は簡単に言ってのけたが、ちょっと前まで“干渉者”でも何でもなかった俺は、意識を飛ばすだけで相変わらずかなりの精神力と体力を消耗する。それを、彼女はよくわかっていないのだ。

 今までは二人っきりだったこともあり、少しだけだが心に余裕があった。全く俺に気がないのはさておき、彼女がいるという安心感があったからだ。

 だが、授業中となると状況が180度変わってくる。

 周囲の目がある。『私の背中や髪の毛を触りながら飛んでみたら』だなんて、できるわけがない。触るためにはまず、いくらか手を不自然に伸ばさなきゃならないし、姿勢だって相当前屈みになる必要がある。美桜が何のために“男女の仲”を認めたのか知らないが、授業中に女の髪の毛や背中をやたらと触るなんて、どう考えても不自然だ。

 第一、授業中先生の視線を気にしつつ、板書を取りつつ、周囲の目を気にしつつ、“裏の世界”へ意識を飛ばすなんて正気の沙汰じゃない。

 ところがそれを、美桜は簡単にやれと言う。

 要するに、彼女自身はそうすることができる、という意味だ。





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