表と裏を繋ぐ場所2

 灰色の空、狭い路地から通りに出て左に曲がる。背の高いビルの壁から解放されると、途端に“裏の世界”に来たことを実感する。

 いい加減、様々な人種の人間が通りを歩いているのには慣れてきたが、聞こえる言語が全部日本語なのだから不思議で仕方がない。レグル語と呼ばれる独特の言語で話しているのだと美桜は言ったが、これが耳に入り脳に到達するまでに、何故かしら日本語に変換されてしまうらしく、それも“干渉者”の能力の一つなのだと彼女は言った。

 俺の理解を遙かに超えた次元に迷い込んでいる。そういう自覚はある。

 意識を飛ばすという行為も、果たして本当に意識だけが飛んできているのかどうか半信半疑だ。“具現化”だの“魔法”だの、この世界には地球の常識が通じないことが多すぎる。もう少し、“この世界”に慣れなければならない。


「今日は、最低でも1分は居たいところね」


「1分?」


「“あっち”の、“元の世界”の時計で」


 両脇には煉瓦造りの大きな建物が整然と並んでいた。あちらこちらの軒先にぶら下がった看板には、レグル文字で何かが書いてある。そのどれもが、古めかしくさび付いている。この街がずっと昔から存在してきた証しなのだろう。張り出した屋根には橙の瓦が使われていたり、所々破れかけた革製のホロがせり出してひさしを作っていたりする。

 ガラス張りのショウウインドウも、どこかノスタルジックだ。ウインドウの外側を縁取る煉瓦なんかは、あっちじゃまず見ることがない。なのに、展示してあるのはレグルノーラの代表的な市民服にアレンジを加えたものだったり、レグルノーラ特有の乗り物や道具だったりする。

 とにかく、そのギャップが印象的なのだ。

 灰色の空と煉瓦の街並みは、俺を“裏の世界に来た気分”にさせるには十分すぎた。

ぼんやりと街並みを眺めながら美桜にくっついて歩いていた俺は、彼女が急に止まったのに気が付かなかった。長い足を俺の前に出して進路を遮っていたのに引っかかり、俺は身体をつんのめらせてしまう。


「聞いてる? “元の世界”の時計で1分。“こっち”の時計で1時間」


「え、あ……う、うん。1時間ね。1時間」


「絶対……聞いてなかったわね」


 美桜の目がつり上がった。両手を腰に当て、全身で怒りを表している。

 いやいや、そんなことありませんと俺は顔を必死に振ったが、効果はない。


「今日は約束があってね、時間が欲しいの」


「約束、……ですか」


 いつ、約束などしたのだろう。

 美桜は、俺と一緒に来るとき以外でも日に何度かこっちにアクセスしてるって、そういうことなのだろうか。

 精神力を異常に使うレグルノーラへの“干渉”は、たとえ数秒でもかなりの体力を奪う。初めて“こっち”に来た日、俺の身体は悲鳴を上げ、全身筋肉痛みたいになってなかなか寝付けなかった。今でこそ耐えられるようにはなってきたが、これを連続してやろうとは思わない。

 何を考えているのか、どれだけこの世界に慣れているのか。美桜は自分のことを一切語らない。あくまで“レグルノーラ”の案内役だった。


「私たち“干渉者”とレグルノーラを繋ぐ人物にアポを取っておいたのよ。そろそろ凌にも会わせなきゃと思って」


「ハ、ハァ……」


 気のない返事をして、また俺は、ズンズンと前を歩く美桜に、金魚のフンみたいについて行く。

 うだつの上がらないダメ男に成り下がっている自分に嫌気が差す。

 かといって彼女に何か言おうものなら、腕の刻印をクラスのみんなに見せるわよ、などと脅されそうだ。“我は干渉者なり”というレグル文字が読める人間などいないだろうが、明らかにいろんな意味でヤバイ刻印に、俺の評価は地の底まで落ちてしまうだろう。そうしたら、今でさえ全くない居場所が本当になくなってしまう。

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