灰色の世界4
馬鹿馬鹿しい。夢ならば覚めてしまえば証拠もクソもあるまい。
ところが芳野は、自信たっぷりに上から目線で笑っている。俺より15センチは低かろうに、圧倒されそうだ。
「もし“夢”じゃなかったら、私とあなたは“干渉者仲間”ってことになる。“干渉者”は互いに名前で呼び合う。私はあなたを“凌”と呼ぶ。あなたも私を“美桜”と呼んで。いい?」
「み……み、お?」
「そう、名前を呼ぶことで、互いの存在をより近くに感じることができるようになる。幸い、私もあなたも、あちらの世界では孤独な存在。下の名前で呼び合う仲間など、いないのでしょう。だとしたら、なおさら都合がいい。もちろん、普段の生活では“来澄くん”“芳野さん”で構わない。“干渉者”として接するときは必ず、下の名前で呼ぶこと。わかった?」
ここで『わかった』以外の答えが出せるのか。俺はただただ圧倒されて、無言でうなずいた。
芳野の長い髪と制服のスカートが、ビル風に揺れてなびく。
ゴロゴロと空で雷が鳴り始め、これから天気が荒れますよと伝えてくる。
「腕を出して」
嫌な予感はしたが、断ったら更に威圧的な態度をとられるのは想像できた。俺は仕方ないと、渋々右腕を差し出す。
芳野の白い手が俺に触れた。彼女は俺のワイシャツの袖口ボタンを外し、ブレザーごと袖をまくし上げてきた。何をするつもりなんだろう。俺はただじっと、その様子を見つめる。
「“夢”ならば、覚めたら消えているはず、よね」
ニコッと笑いかけてはくるが、決して微笑みではない。目を細め口角を上げているその仕草は、俺を凍りつかせるには十分だった。
芳野の口が、何かを呟いた。
はっきりとは聞こえなかったが、確かに何かを呟いた。
呪文……のようなものだったのかもしれない。耳障りの悪い、変な言葉にも思えた。
唇に当てた芳野の人差し指の先がぼんやりと光を帯びて、俺の視線を釘付けにした。光を帯びたまま、指がすうっと俺の腕まで伸びる。光は何かの文字を宙に描いたが、こっちの言語なのだろうか、読むことが出来ない。
光の文字は次第に輪郭線をはっきりとさせ、明るさを失い、黒くなる。
宙に浮いた文字の羅列。
「レグルの文字で、“我は干渉者なり”と書いたのよ」
芳野はそう言って、トンと、文字を軽く指で突いた。
途端に、焼け付くような痛さが腕の端々まで走る。俺の腕に文字が焼き付いていた。彫られたような、焼かれたような、決して消えることのない文字列。
「な、何すんだよ!」
俺は無意識に芳野を突き飛ばした。彼女はそれでも薄ら笑って、
「目が覚めても消えていなかったら、信じてくれる? 信じるしかないよね? 凌」
青の混じった目が、ギラリと光った。
意味が分からん。
俺が何をしたと言うんだ。
“干渉者”って、何だ。“裏の世界”“レグル”……理解、不能、だ。
………‥‥‥・・・・・━━━━━■□
教室の冷たい床に仰向けに倒れている自分に気付く。
深呼吸。ゆっくり目を開け、絶句する。
芳野の顔が、真ん前にあった。
覆い被さるようにして、芳野が俺の顔を覗き込んでいる。
「腕、見て」
ニヤリと彼女は笑い、机や椅子をすり抜けるようにしてそのままゆっくりと後ろに退いた。
腕。
言われて、仰向けのまま恐る恐る右腕を上げる。
「まくって」
「ま、くる?」
「早く」
寝転んだ俺に窓の影が被さっていた。
逆光に目をくらませながら、ゆっくりと彼女の指示通り腕をまくる。
「夢じゃない証拠、見えた?」
彼女の顔は、暗くてよく見えなかった。
「“我は干渉者なり”と書いたのよ。これでもう、あなたは逃れられない」
腕にくっきりと浮かんだ黒い文字は、俺を絶望の底へと突き落とした。
俺は呆然と腕の刻印を見続けた。
いろんなことが頭を掠め、頭が真っ白になっていた。
反対に、彼女は嬉しそうに小さな笑みを零していた。
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