灰色の世界2

 俺は思わず後ずさりする。上履きのかかとが机の脚に当たり、ギィと音を立てて俺を追い詰めた。またゴクリと唾を飲み込む。


「“この世界”と“裏の世界”は、互いに影響し合っている。特に大きく影響を及ぼすのは、そこに存在する“心”の概念。あなたが思っているよりも、強く、深いしがらみが世界を支配している。“この世界”で戦争が起きれば、“レグルノーラ”には魔物が現れる。“この世界”に救世主が現れれば、“レグルノーラ”でも不幸が取り除かれ、平和が訪れる。同じように、“レグルノーラ”で悪いことが起きれば、“この世界”でもそれなりの不幸が起きる。表と裏とは、そういうこと。“この世界”の人間からは見ることができないが、確実に存在している世界、“レグルノーラ”に干渉することのできる数少ない人間、それがあなた、来澄きすみりょうだということ」


 外見は紛れもない美少女なのだが。

 初めて二人きりで交わした会話が、コレか。

 一瞬とはいえ淡い期待を抱いていた俺は、ガックリと肩を落としていた。


「そ、そういうのは脳内でやれよ、芳野さん。どうにかしてるぜ」


 言わなければ良いのに、そんなことを口走ってしまう。

 だって、そうだろう。表の世界だの、裏の世界だの、わけがわからない。

 確かに、今の俺には行き場がない。友達もできない高校生活に不満がないと言ったら嘘になる。だからって空想に逃げ込むなんて、愚の骨頂だ。

 芳野美桜も寂しかったに違いない。だから、一緒に“裏の世界ごっこ”をしてくれる暇な相手を探していた。――そして、俺にたどり着いた。そういう意味での“見つけた”だったんじゃないか。

 そう考えると、つじつまが合ってくる。

 俺は一人、頭の中で納得してうなずいていた。

 だが、事態は俺の思った方向には進まなかった。

 芳野は机からひょいと降りて俺の胸ぐらを掴み、ぐいと自分の眼前まで引き寄せた。

 口の中が、乾いてきていた。

 どうにもこうにも逃れられなさそうなこの状況に、俺の心臓は高鳴っていた。


「この世界と“レグルノーラ”を行き来できる、数少ない人間。二つの世界に干渉し、問題を解決することができる力を持つ選ばれた人間。“干渉者”あるいは、“悪魔を打ち砕く者”」


 ぶれることのない視線は、発言に真実みを帯びさせる。が、にわかに信じ難い言葉を、俺はどこまで飲み込めばいいのか。

 冷や汗がアゴを伝い、ポトリと落ちた。気が付けば、全身に嫌な汗をかいている。

 まさか、この病的美少女の言葉を俺は信じてしまっていたのか。馬鹿か。

 俺がそう思ったのと同時に、芳野は俺の胸ぐらから手を離しフフと笑った。


「信じる信じないは、あなた次第。……一度、私とともに“レグルノーラ”へ飛んでみれば、全てが分かるはず」


「ば、馬鹿言うなよ。芳野さん、ね、いい加減にしようよ」


「いい加減? 果たしてそうかしら。全身からあふれ出す“干渉者”のにおいはごまかせない。私の思い違いだとでも?」


 に、臭い?

 俺は焦って自分の腋の臭いを嗅ごうと、肩をすぼませた。汗……くさい。変なにおいは確かにするが。


「そういう意味じゃない。わかっているのでしょう」


 今度は強引に、左手を俺の右手に絡ませてきた。細くて白いすべすべの手のひらが、俺の無骨な手と重なった。柔らかい胸が制服越しに密着してくる。芳野の、さらさらした髪の毛が顔の真下まで迫っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る