黄昏と彼女3
青の混じった透き通るような瞳が、俺をギロッと睨み付ける。
「平日の放課後は、待ち、ます。待ち合わせます」
とうとう、心にもないことを言ってしまった。
「良い心がけね。楽しみだわ。毎日こうして凌と飛べるなんて」
どういう意味だよと、内心突っ込んだ。勿論、口には出さない。
一体何を考えて彼女が俺を誘ったのか、皆目見当が付かないのだ。
芳野はいつの間にか服装を変えていた。高校のブレザーではなく、灰色を基調としたシンプルな服に。桃色の筋が肩からスカートの裾まで伸びたAラインのワンピース、そこからチラ見えするレースのフリルの下は、七分丈の黒いスパッツ。眼鏡も外して、美人顔があらわになっている。
「眼鏡」
俺が思わず呟くと、
「この世界では必要ないもの。見えると思えば見えるようになるのよ」
彼女は笑ってそう答えた。
「凌もすぐに色々できるようになると思うわ。素質があるのよ。“干渉者はイメージを具現化できる”のだから。魔法も使えるようになるだろうし、武器だって具現化できるようになる。いい? “干渉者”はこの世界を救う“救世主”になり得たる存在。あなたからは強い“臭い”がした。“干渉者の臭い”よ。絶対に間違いない」
自信たっぷりに彼女は言って、やや興奮気味に鼻を鳴らした。
普段学校で見る彼女とは全然違う。どちらが素なのだろうかと不安になるくらい妙な言葉を並べ立てる彼女に、俺はどん引きしていた。
彼女は勿論、そんな俺に気付くはずもなく、「さぁて」と言って、小路の外に足を向ける。
「こっちよ」
大通りを指さし誘導する彼女の後ろを、俺は黙々と付いて歩く。
「どう、まだ気分が優れない?」
ちらりと、彼女は俺に目配せした。
「いや、何とか大丈夫」
あまり清潔とは言えない、不気味な道だ。ネズミやゴキブリっぽい小さな虫が、足元を駆け抜けていく。こんな所を美少女が無表情で歩くなんて、あまりにシュールだ。
「なんでここに? もっと別のところには行けないのかよ」
「あぁ、そうね。目立たないからっていうのもあるけど、ここは“あちら”と“こちら”を繋ぐ点の一つだから。大切な通路なの」
「通路、ねぇ……」
大切なという割には小汚い道で。気にはなったものの、口からそれが出てこない。そんな些細なことは、寧ろ聞くべきではないというような気さえしてくる。
そのくらい、彼女はいつもと違っていた。
小路を出て大通りに出ると、世界が急に開けた。見たこともない形の車や背の高いビルが視界に飛び込み、俺は思わず息を飲んだ。上空から見たときとはまた印象が違う。一瞬、東京に戻ってきたのではないかと思うような景色に未知のテクノロジーが重なっているような、不思議な光景だった。
薄暗い街にネオンは良く映え、車輪のない車は胸を踊らせる。飾り気の少ないシンプルな服が流行なのか、街行く人は皆似たような格好をしている。紺のブレザーに灰色のスラックスという学校の制服が余程珍しいらしく、通行人がジロジロと俺の方を見つめてくるのが気にかかった。
「あのさ、服なんだけど」
遠慮がちに前を歩く芳野に声をかける。
「俺……、浮いてるよね。これ、どうにかならないの」
「ならないわね」
彼女は立ち止まり、歩道の真ん中で振り返って言い放った。
「自分のセンスで外見をコントロールできるようになるには、もう少し訓練が必要なの。いずれできるようになると思うから、それまでは我慢することね」
自分はすっかりとレグルノーラに適した服装になっておきながら、全くの無責任発言。
どうやら彼女は、俺を巻き込んでおきながらも、俺に手を差し伸べる気はないらしい。
「凌には、これから毎日“こっち”に飛んでもらうわ。少しずつ、滞在できる時間を増やしていくのよ。“表”と“裏”では時間の流れが違う。あなたは“レグルノーラ”に来ることで、普通の人とは違う時間を生きることになる。長く滞在できるようになれば、あなたは更に長い時間を手に入れることができる。今は意味がわからないかもしれない。けれど、きっといつか、あなたも息をするのと同じくらいの力で二つの世界を行き来できるようになる。そのためにも、また明日、放課後待ってて。約束よ」
約束?
同意しているわけでもないのに。一方的な。
「聞こえてる? 明日も」
聞こえてる。
聞こえてるけど。
あれ。なんか、おかしい。集中力が。
「明日も、放課後」
………‥‥‥・・・・・━━━━━■□
芳野の手の感触が、まだあった。
息苦しくて、汗だくで。俺は力尽きたように机に伏した。
「早い」
彼女は何の慈悲も感じられぬような冷たい言葉を吐き捨てる。
芳野の手から俺の手がずり落ちた。
呼吸を整えようとしたが、上手くいかない。まるで全力疾走でグラウンドを何周か走った直後のような苦しさが、身体中を襲っている。
どうなってんだ。なんだ、この感覚。
教室の時計の針は、目をつむる前とほぼ同じ形を示していた。秒針だけがわずかに角度を変えている程度。
ほんの少し意識を飛ばしていただけだってのに、何でこんなに体力を奪われるんだ。
「明日は、もう少し長く頑張ってよね」
芳野はそう言って、ガタリと音を立てて席を立った。
颯爽と去る彼女に、俺はある種の恐怖を覚えた。
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