最終章三幕「虧月狂想曲・⑱」
エチケット袋(AMSのパイロットスーツに標準装備されているものだ)をアマタからひったくるように受け取り、胃の中身を吐き戻して。
「……ガイア理論」
ようやく人心地がついたドウミョウジは、そう呟いた。
「なんだそれ?」
「星を一つの命として扱う、与太話のことだ。考えられたのは、20世紀の終わりだったか」
そう、与太話だ。しかし、その後も。『惑星がひとつの巨大な生命体である』という思想は、分野や文脈を変え、幾度も歴史に登場した。
一例を挙げるなら、今や巨大な情報網と自律進化する得度兵器(AI)で覆いつくされた故郷、地球は。ひとつの知的生命体と言っても過言ではないのかもしれない。
いや、それ自体は今は関係のない話なのだが。
「早い話、俺の親父や昔の研究者が、ブッシャリオンを利用して月をそういう風に改造しちまった、ということだ。意図的か、それとも何かの拍子の偶然かまでは分からんが」
『惑星統一意志『ムーンチャイルド』。観測した人間達は、そう名付けました』
大雁08は云う。
ブッシャリオンは多様ではあるが、いずれも情報を何らかの形で蓄積する粒子だ。故に、その性質は、作り主の嘗ての行いの、意志の証を反映する。故に、その存在そのものが、過去の現在の記録や意志の代弁であると言えなくもない。
なら、星の意志・星の記憶をブッシャリオンを介し纏め上げることも、理論上は不可能ではないやもしれない。それがもはや、ブッシャリオンとして成立するのか、そこまでに幾つのブレイクスルーが必要なのかを度外視すればの話だが。
「できる、ということは、いつか誰かがやる、ってことだが……」
本当に、ろくでもない。
『しかし、この星の人間達は。あるじの影響が故郷に及ぶことを恐れ、この
「そこだけは、賢明だった」
機械相手に皮肉は通じまいが。今は、口にせずにはいられなかった。大雁08は、しばし不自然に押し黙った。
「どうした?主人を馬鹿にされて気を悪くしたか?」
『……そうして、その恐れは今も変わらず。この星に向けられています。私の存在を、盾もろとも消し去らんとする恐れが』
女の声。先ほど頭に響いたものと、恐らくは同じ。『ムーンチャイルド』か。しかし、今度はアマタにも聞こえているようだった。
「ありがたい。頭の中をこれ以上引っ掻き回されるのは勘弁だ」
ドウミョウジは皮肉を零す。だが、あんなものにまた思考を読まれるよりは、幾分かマシというのは本心だった。
「…………?ああ、今喋ってるの、もしかして『ムーンチャイルド』ってヤツか!?」
アマタにもようやく事情が呑み込めたようだった。
『そちらのお方の
と、大雁08。
『その恐れを、除いて頂きたいのです』
と、再び女の声。
「……恐れ、とは何を指す?」
『恒星軌道上に設置された、鏡面衛星。その展開が確認されております』
答えたのは、大雁08。
「やっぱりPDD-002か……!タイムリミットまで何分だ?」
『発射信号と思しきものを、つい先程傍受致しました』
発射信号。
「おいコラ、何て言った!?」
「……もう、発射されたのか」
怒りと、「ああ、そうだったのか」という諦めにも似た気持ち。思ったことは同じでも、二人の反応は正反対であった。
とはいえ、それが即時の破滅を意味するものではない。何故なら。光速は、遅いからだ。
PDD-002は使用時に太陽に近い軌道を取る。故に、地球圏に位置する『ヴァンガード』本船の発射信号が然るべき場所に届き、『鏡』が反射した光が届くまで……どんなに早くとも、15分以上はかかる。
逆に言えば。何十分か後、この星の上が地獄と化すことは既に確定した。わけなのだが。それでも、猶予は
---------------
彼方の宙で、球状の衛星の梱包が解け、蓮の花弁のように構造材が開き、周囲へ飛び散るように整列していく。恒星軌道の上に描かれた紋様は陽光に輝く。
『アルキメデスの鏡』。『ダイソンの壁』。そしてまたの名を、『ダイダロスの
完全展開状態ならばまだしも。巨大な鏡の集合体は、光圧や太陽風によって修正しきれない誤差を蓄積しながら四散し、徐々に崩壊していく。
天に咲く大輪の向日葵は、その身を焼きながらも時の凍れる星に太陽の恵みを届ける。但し、それは今は、全てを焼く破滅の輝きとして。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
ブッシャリオンTips エチケット袋
無重力下での吐しゃ物は極めて深刻な問題であり、宇宙服等の密閉された空間がそうした放出物で満たされた場合、最悪死に至る危険性もある。そのため、この時代の宇宙服やAMSには吸引式のエチケット袋が標準装備されている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます