最終章三幕「虧月狂想曲・⑰」
『私は、『ムーンチャイルド』』
確かに『それ』は、そう名乗った。
「『
ドウミョウジは思わず問い返す。
しかし、聞こえてくる言葉にも、己が返した言葉にも、どこか現実感が無い。
上げた筈の声が、音にならず世界のどこかに吸われて消えるような。そんな感覚。
(この声はなんだ。どこから聞こえている)
しかも、聞こえてくる声は、しばしば見られる、指向性の音波やレーザーを使った遠隔の『耳打ち』の類ですらない。もっと、脳に直接響く声だ。原理がわからない。
『あなたの持つ『ブッシャリオン』を震わせて、直接情報を伝えています』
なんだそれは。
(なんだそれは)
ふと、違和感に気付く。考えたことがそのまま、思念として流れ出ている。いや、読まれているのか。つまり、そもそも思考と口にすることの垣根が壊れているのだ。道理で、現実感がない筈だ。
そして。思考がそのまま、相手に伝わる。脳が直接、思念を拾う。その異常を自覚して、ドウミョウジはようやく思い至った。
資料だけは、辛うじて見覚えがある。地上で研究されていた、奇跡とやら。嘗ての偶像や聖人を再現するためだけの遺伝子細工を施された人間。遺伝子の編集(エディティング)そのものに抵抗はないが、見た時は流石に、その理解不能な目的に対して反吐が出た。
仮にこれが、その『聖人』とやらが扱う奇跡であるとして。問題は、此処が生者のいない月都市であること。即ち、それを人間以外が扱うこと。
いや、そもそも会話ができているのか。これが、決まった情報を垂れ流すレコーダーや、アクセスした人間の思念に対して
そもそも、そんな人間と存在規模の違う何かと、会話が通じるとは思えないが。いや……それとも、逆か。会話が出来る程に近い存在だからこそ、成立しているのか。ブッシャリオンが命の在り方を示すものである以上は。それを用いて代謝する存在は、自ずと近い在り方へ収斂するのやもしれぬ。
『あなたは、なかなか良い視座をお持ちの様子。少し勘違いもしていますが、ずっと昔……この星がまだ、人に溢れていた頃を思い出すようで、懐かしい』
そこまで考えたところで、再び声が聞こえる。脳がチリチリする。何を考えようと、読まれているのか。先ほどよりも、言葉を、否、思考を交わす『何か』を近く感じる。
『読む必要すらありません。貴方は、この星の上にある命なのですから』
やめろ。
読むな。
ドウミョウジは心の中で拒絶を唱える。
昔の人間は、常にネットワークに接続されていた。自分と他人の区別はあいまいだった。接続された人間は、システムと一体化し、大いなるものに属していた。
ドウミョウジは、辛うじてその時代を知っている。
だが、それでも。『人間でないもの』に自分の内側を見透かされるのは、純粋に薄気味が悪い。
まるで、食べ物ではない何かを胃に詰め込まれているような、そんな感覚だ。吐き気がする。
『そのように、邪険にしないでください。久々に話の通じる相手なのですから』
黙れ。口を開くな。
声は、はっきりと聞こえるようになった。しかし、その代わりに。一言交わすたびに、知らない筈の記憶が流れ込んでくる。思考が飛びそうになる。あやふやな頭の片隅で考える。多分、『ムーンチャイルド』とやらの正体は。
『私は、この星そのものに宿っています』
だから、読むなと言っているのに。
答えを明かすように、情報が流れ込む。
ムーンチャイルド。星の命。
人造の仏舎利。そこに宿った意識。
人の業績を伝い、星中に張り巡らされた、ブッシャリオンの根。
これは間違いなく、ろくでもない代物だ。封印される訳だ。いや、多分……その封印すら、上手くはいっていない。
ただ会話を交わしただけで、この有様。要するに、そもそもの規模が違い過ぎるのだ。息をする程度の接触で、頭を吹き飛ばしかねない情報量がテレパシーで勝手に押し寄せてくる。
人間に接触させていいものじゃない。会話ができていい存在じゃない。ただの人造仏舎利なら、どれだけ良かったか。
脳髄の奥底が、ヒリヒリと熱い。思考が『自分のもの』であるという確証が持てない。いずれにせよ、これは不味い。これ以上続ければ、正気がなくなる。
「アマタ!俺を、外に放り出せ!」
肺の中に残っていた息を、絞り出す。『言葉にする』という動作をこんなにも意識したのは、初めての経験だった。
いや、それでも。同じように
しかし、そう考えるよりも先に。身体を蹴り飛ばされるような鈍い衝撃が襲った。頭を壁にしたたか打ち付け、通路に転がる。頭の中に響く声は遠ざかったが、身体には倦怠感が残っている。
ぼやけた視界の奥で。アマタが、心配そうに此方を見つめていた。
「……おっさん、大丈夫か?」
「……大丈夫っちゃ大丈夫だが……そっちは平気か?」
「……?いや、何ともねぇけど。中に入ってから、青くなったり赤くなったりグネグネしたり、なかなか面白いことになってたぞ」
……どうやら、彼女は何ともない。
いや、それはそれで、おかしな話だ。彼女も、この星の上にある命だというのに。
「『ムーンチャイルド』は?」
「なんだそれ?」
彼女には、最初から何も聞こえていない。なら、今までのは幻聴なのか?どこからが現実で、どこまでが体験したことなのか?
『お陰様で、我があるじの無聊は、幾らか安らいだ様子』
そう益体もないことを考え始めたところで、大雁08の声が響く。
「……何が無聊だ。人身御供みたいなもんだ」
ドウミョウジは応える。人類の敵、と自称する相手の言葉を、少しでも信じたことを後悔しながら。
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