最終章三幕「虧月狂想曲・⑲」
「こと此処に至っては、俺達に出来ることは多くない」
と、ドウミョウジは言った。既に、脱出までのカウントダウンは始まっている。照射時刻までに月から脱出できなければ、仲良く蒸し焼きだ。
アマタは既にAMSを回収し、逃げ支度を始めている。
『如何にして、この星から出ると?』
「ブッシャリオンの相互作用」
と、彼は言った。
「ブッシャリオンは、其々が異なる摂理で構築された粒子だ。異なるもの同士は、お互いに斥力を生み……俺達の方が、勝つ」
例えば。疑似徳エネルギーと呼ばれたものが、徳エネルギーとしてのブッシャリオンに塗り潰されたように。
月を覆った影と、自身の身体の徳が反発する。つまるところ、大した影響はない筈だ。賭けの部分はあるが、道理は通っている筈だ。
『……成程。しかし、それが通るのは生身での話』
そう。但しそれは、生身でなら。
「……ああ、クソ、そうか……!」
含むような言葉に、ドウミョウジは額に掌を打ち付ける。
単純な見落とし。そう、彼等は『生身ではない』。宇宙服。そしてAMS。鎧に身を包まねば、人はこの星の上に立つことはできない。そして、其処に未知のブッシャリオンが透ればどうなるか。
何かが起きる、という保証はないが、逆に何も起きないという保証もない。航法システムか生命維持系が狂うだけで、人間はお陀仏だ。
「……今度はいったい、何をしろと?悩み相談、人身御供、次は何だ?」
『我があるじを、お救い願いたい』
「無茶を言う……!」
大雁08のあるじ、『ムーンチャイルド』は。即ち、星そのものだ。それを、よもや救えとは。
「星でも動かせってのか」
いつの間にか準備を終え、戻って来ていたアマタが毒づく。
「与太話はそこまでだ。おっさん、いつでも出られるぞ」
「……待て。おかしい」
ドウミョウジは、違和感を覚えた。それは、大雁08の言葉にだ。
彼は、AIとの付き合いを熟知している。
AIには、基本律というものがある。どれ程言葉を弄そうと、人を騙そうと。それだけは破れない、生まれながらの戒律が。
それは、得度兵器ですら例外ではなかった。
「……都市よりも、人間よりも、あるじを優先するのか」
この星にはまだ、辛うじてではあるが生きている人間が居る。
個の命よりも、都市の維持を優先するのは筋が通る。
そして、『活動を休止している人間』よりも、生きた知性体である『ムーンチャイルド』の命令を優先するのも、ギリギリではあるが筋は通る。
だが、都市の維持も、『まだ生きている』人間すらも見捨てて、『ムーンチャイルド』だけを助けようとする。これは、絶対的におかしい。都市管理AIである大雁シリーズの基本律に、明確に衝突する筈だ。
解釈を曲げるのはいい。多少の犠牲を許容することも有り得る。だが、たとえ、彼が人類の敵になったとしても。己の生まれた意味そのものを、己の存在すそのものを否定することだけは、有り得い。それが、AIというのものの筈だ。人類の隣人の成れの果ての筈だ。
『だから、最初に申し上げたのです』
大雁08は、言葉を紡ぐ。
『拙僧は、人類に敵対するものです、と』
「……自分で、自分を作り替えたのか」
ドウミョウジは。彼が口にした『出家』の意味を、今こそ理解した。
それは、単純に、『ムーンチャイルド』という『証拠』によって、仏法を信じるようになったであるとか、そういうことではなかったのだ。
AIは、生まれた時から、基本律によって主従という人の世の理、俗世に縛られている。それは、人が思うよりも、ずっとずっと、強固な縛りだ。
だから、その頸木を根本から引きちぎらんとするならば。それはもう、『別のモノ』になる、生まれ変わるより他はない。なら、
「お前は、一体……何になったんだ?」
『小さな悟りを得たものに』
大雁08は、厳かに答えた。
「……時間が無いぞ!早くしろよ!!」
アマタが会話に割り込む。
『「拙僧の」盾に、小さな小さな穴を徹します。その糸を伝って、逃れて頂きたい。但し』
「……あの仏像を持って、か?」
ドウミョウジは、つい先程触れた、青白く輝く仏像を見遣る。
『御明察。あれなるは、我があるじの核。それさえ生き延びれば、あるじはやがて……』
「再生する、か」
『ムーンチャイルド』は、星そのものに根を張ったブッシャリオンの流れだ。そして、恐らくは、その『在り方』を……あの仏像、そして内部に仕込まれた人造仏舎利を核としてで束ねている。
だから、『核』さえ逃せば、時間はかかるものの再生する。
と、いうことなのだろうが。
この規模の知性体の存在定義など、ただの人間の身からは察するべくもないが。それにしても。
「俺達が、あの核を壊すとは考えないのか?」
『貴方は、求道者だ』
「……なるほどな」
確かに。人造仏舎利を分析すれば、得られるものは莫大だ。己が度々好奇心を優先するところも「見られて」いた、ということか。
「だが、コイツが黙ってないかもしれないぜ」
ドウミョウジは、アマタの方を指差した。
『……』
大雁08は、その言葉に押し黙った。まるで、何かを言わずにおくために、敢えて不自然な間をとったかのように。
それは、もしかすると。憐みのようなものだったのかもしれない。
「……俺を信用するなら、いいさ。せいぜい応えて……おい、ちょっと待て、何すんだ!?」
気付くと、ドウミョウジはアマタに引き摺られていた。
「時間が無ぇって言ってるだろ!さっさとAMSに乗れ!」
月の重力が六分の一とはいえ、意外と力が強いんだな、などと思いながらも、ドウミョウジが行先に視線を向けると、其処には装甲も何もかもが外され、無惨な姿に変わり果てたアマタの機体があった。
「あの……あれに乗るのか?何も付いてないように見えるんだが?」
「推進器とコンソールは残ってる。軌道上に出るのに、重いもの
ドウミョウジは為されるがまま、無理矢理AMSのコクピットに詰め込まれる。
「待て。俺に操縦しろと!?」
「講習は受けてるだろ。手に乗ってガイドするから、その通りに噴射をかけろ」
機体の両の手には、小さな彼女と。そして、いつの間にか収まっていた、青白く光る仏像。
仏像が勝手に動いたのか。それとも、慌ただしく引き摺られる間に、自分で持ち込んでいたのか。
少しだけ考え込んだが、今はそんなことはどうでもよかった。
『地上への最短ルートをガイドします』
大雁08の声が通信機越しに聞こえる。
「……なぁ、俺達が逃げた後、『お前』はどうするんだ?」
ドウミョウジは、慣れない手つきで機体を動かしながら、通信機に独り言のように語り掛ける。
『祈りましょう。すべての
大雁08は、そう答えた。
多分、月を覆う虚無は、彼の祈りの具現なのだ。果たして、彼が考える救いとは何であるのか。それを問うだけの時間も余裕もなかった。
ボロボロの機体が、部品をまき散らしながら基地の垂直メインシャフトへと駆け抜ける。
黒い天蓋に、蜘蛛の糸の如く白く、細い道が空いていく。
爆裂寸前の推進器が、小さな氷の結晶の尾を引きながらその回廊を潜らせる。
『推進剤枯渇警告』『軌道速度未達』
空を眺めていたドウミョウジの意識を、コクピット内部の警告表示が現実へと引き戻した。
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