最終章三幕「虧月狂想曲・④」

 月面基地の基盤は、数百年前に建造された時のまま。月の砂レゴリスを固めた建材と、シンプルな内装。最小限の労力で構築された壁は、いまや仏教的モチーフが所狭しと刻まれ、所々に仏像が設置された石窟寺院が如き様相を呈している。

「……人っ子一人見かけないな……」

 アマタは周囲を警戒しながら呟く。

「記録に専念できていいと思うが……もしかして、怖いのか?」

 ドウミョウジは周囲の彫刻を記録に収めながら、その後を付いて行く。気のせいか、どうもアマタは仏像を目にするたびに一瞬ビクついているようにも見えた。

「怖くねーよ。苦手なだけだ」

「そうか」

 ドウミョウジも人のことは言えないが、「人工の空間」で過ごすことに慣れた人間は、「機能的に不必要な装飾」というものが苦手に感じることがある、と聞いたことがあった。この古代寺院のように彩られた月基地では、どこか落ち着かなくても、不思議は無いのかもしれない。

「基本構造には、今のところ変更なし。外側は増築されてるかもだが、外から見た限りだと、そこまで変わりはねーな」

「……時代ごとに増改築を繰り返したせいで、デッドスペースがかなりあるらしい。向こうが構造を完全に把握しているなら、どこから見られているかわからんぞ」

「……というか、おっさん、どこに向かうんだ?」

「優先目標は動力炉だ」

 そして、どうも。彼女からの呼び方は、何やら彼女の中でのランク付けに変化があったのか、「おっさん」でひとまず安定したらしい。実に遺憾だ、とドウミョウジは思う。

「動力炉?さっき言ってた宗教的ウンタラカンタラなら、えーと……礼拝堂とかじゃないのか?」

「一つ、先に解いておく必要のある謎がある」

「……今度は、説明してくれんのか?」

「俺の行動は、知らぬ存ぜぬで通して欲しかったが、それが無理になったからな……」

 ドウミョウジはため息を吐く。

「この基地の動力源が気になる。徳エネルギーの動力を使っているのは、ほぼ間違いないが」

「徳エネルギー……系列?って何だ?母船の動力炉(コア)とは違うのか?」

「それは、今から説明する。わからなかったら、その都度止めろ」

 この月面基地は、元は徳エネルギー研究施設だ。だから当然、徳エネルギーに纏わる動力インフラは備えている。大改築の痕跡も無い以上、逆に、今もそれを使い続けていると考えるのは、自然の道理。

 違うのは、地球と違って、徳カリプスということ。

「徳エネルギーの根幹にあるのは、『連鎖反応(チェイン・リアクション)』だ。だから、共同体が小さい場合、挙動は不安定になる。急速に上昇するか、減少するか」

 規模が小さい程、徳エネルギーを『安定して運用する』のは、実のところ難しい。まして、徳のレベルは目に見えない。

 破局を起こしていない以上、月面基地は地球と独立した環境にある。そうなれば、モラルハザードを引き起こし、使い物にならなくなるか。それとも、地球のような破局に至るのか。極端な結末は、容易に引き起こされる。

「でも、そうなってないってことは、理由があるってことだろ?それも、調べものの内なのか?」

  一通り、ドウミョウジの説明を聞いた後。アマタはそう返した。彼女は、今は知識がないだけで、理解が早い。もし今後、自分のセクションの増員要求が通ったら、声をかけよう、と内心でドウミョウジは考える。

「……そうだ。有り得る可能性は、大まかに3つ。ひとつ、ウチの『炉心』のような、異種概念機関を運用している。ひとつ、社会全体の管理によって、徳エネルギーとうまく付き合っているか、単にまだ危機的状況に至っていない」

 言葉を区切る。

「そして、最後のひとつ。『何らかの未知の技術』が存在している」

 徳レベルの観測技術。或いは、仏舎利のようなリアクター。

 どちらでもない何か。

「待て。あの、仏舎利とやらは違うのか?」

「当然、検討はした。しかし、ムンバイ協定での割当量と比較して、全然足りない。秘匿分や、所在不明になってる軌道上保管分の大半を押さえたとしても、微妙なラインだ」

 何故ならば。この都市はまだ、『生きて』いる。

 月面大加速器を始めとする、恐ろしく電力を食らう装置群を、軌道上観測からもわかるレベルで、いまだのだから。

「そうなると、三番目か」

「普通なら与太話だが、此処だとそうはいかない」

 『地球上』での徳エネルギーの最先端はキョートを始めとする研究都市だったが、太陽系の中では、此処が最高水準だ。

 嘗て、唯一、『南極』と伍する水準を誇った独立研究機関。地上残存勢力も手をこまねいている、白いパンドラの箱。


 月面ならば、何が湧いて出ても不思議ではない。

 たとえ、その道の専門家であっても、そう思える程の、学術の異界。

 それは紛れもなく、夜に輝く無慈悲な女王の一つの側面でもあるのだ。

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